園長通信~こころ~ №377
ターニングポイント
2026.1.23
どうにかこうにか小学校教員1年目が終了した。そのまま持ち上がって小学4年生の担任となった。お世話になった学年主任の先生が異動し、転任してきた先生が新たな学年主任となった。
1年目が終わろうとする2月頃から考えていたことがある。「このままではいかん。どうにかしなくては」たぶん、20年あまり生きてきた人生で、初めて真剣に考えた。本気になった。教員2年目を迎えるにあたって、ようやく本気で教員になろうと考えた。
それまでは、何となく流されるままに大学に入り、教員になってしまっていた。この調子ではいけない。目の前の子どもたちの純粋な目の輝きが、一人の人間を本気にさせた。何の疑いももっていないような目で見られると辛かった。本気にならざるを得なかった。
1年やってみたおかげで、見通しがもてるようになった。少しは気持ちにゆとりが生まれた。まずは学級経営、学級づくりということで、何か柱になるものはないかと考えた。1年目から学級通信は出していた。出したいから出していたというよりは、まわりの先生方がみんな出しているため、何となく出していたという程度のものだった。思うようにはいかず、悔いが残る取組となった。
2年目となる学級経営の柱に、この学級通信を据えることにした。年間で50号出すことに決めた。ということは、毎週1号プラス数号となる。果たして、毎週出せるのか。続くのか。不安しかなかった。先輩の先生方の中には、毎日出している方もいた。雲の上の存在だった。
毎週出しているうちに気づいたことがある。学級通信に、クラスの様子や子どものことを載せようとすると、自然と子どものことを見ようとするようになる。そうか、学級通信を出すということは、そういうことなのか。大きな発見だった。 毎週出すことが、何とか軌道に乗ってきた。すると、書く内容も少しずつ変わってきた。というか、だんだんと書けるようになってきた。2学期になり、10月頃だっただろうか。教頭先生に呼ばれた。あれっ、何かしたか。
研究論文を書いてみないか。そういう話だった。学級通信をがんばっているようだから、学級経営で書いてみたらという話だった。そうは言われても、どう反応していいのやら。論文というと、大学を卒業するために必死になった卒業論文の苦い思い出しかない。論文=嫌やもの、辛いものだった。とりあえず、「はい、わかりました。やってみます。ご指導お願いします」と答えるしかなかった。
思えば、このやりとりによって、その後の教員人生が方向づけられた。もちろん、あの当時は、そのことを知る由もない。今思うと、長きにわたる教員人生の中でも、ターニングポイントとなった2年目だったといえる。
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