国語の力その10

                                                                                            2024.8.20

   文章を書くことが苦手だという人は少なくないだろう。その理由の一つに、書けないからということがあるのではないか。なぜ書けないのか。まずは、書く内容が浮かばないということであろう。何を書いたらいいのか分からないのである。次に、書く方法をもっていないということがある。どう書いていいのか、分からないのである。  

 何をどう書くのか。このうち、優先的に解決すべきは、どちらだろう。多くの人は、内容、すなわち何を書くのかを優先させるのではないか。日記が書けない子どもに対して、今日はどんなことがあった?あのときのあの場面でのことを書けばいいのではないの?などとアドバイスしがちである。読書感想文ならば、読んだ文章の内容にこだわってしまう。あらすじをだらだらと書いてしまう。いずれも、内容重視である。これらが、無駄なわけではない。               

 その場では、子どもは、分かったような気持ちになる。そして、ある程度は書くことができる。しかし、次に別の内容を書かなければならないときに、手も足も出ないということがある。そのたびに、振り出しに戻って、何を書けばいいのだろうとなってしまう。                        

   このようなことを繰り返していても、子どもに書く力は育たない。では、どうすればいいのか。まったく逆の考えをしてみる。形式優先でいく。内容の反対語は形式である。文章で言えば、何を書くかの反対が、どう書くかである。どう書くか。すなわち、書き方のことである。それは、書くための方法、書くための技術、書くための型を意味する。                                      

   型があると安心できる。何のよりどころもないまま原稿用紙に向かうときの不安感を消し去ってくれる。型は、文章の全体像を与えてくれる。一つの文を書いても、次の文を考えなければならない。一段落を書き終えても、二段落めを何とかしなければならない。そのたびに、止まってしまう。このような手探りの状態から抜け出すことができる。あらかじめ、先が見通せる状態で、書き始めることができる。       

   型があっても、内容がなければ書けないのではという疑問が生じる。型を習得していくと分かるが、型があればこそ、今までは存在しなかった内容が、生み出されるようになる。型が内容を呼び込むのである。型こそが、子どもたちをその気にさせ、型こそが、子どもたちの書く力を育てる。型を制する者は文章を制する。                                                            
 

                        国語の力その9
                                                                                                         2024.8.19      論理的思考力とは、関係を整理する力のことである。力とは、技術を使いこなす能力を意味する。そこで、正確に論理的思考力を定義すると、関係を整理する技術を使いこなす能力となる。この能力は、次の3つの力に分類できる。         

   言いかえる力とは、同等関係整理力である。同等関係とは、主に抽象と具体の関係である。意味を広げるのが抽象化、意味を狭めるのが具体化である。抽象化とは、絵に描きづらいような表現に言いかえることである。固有の特徴を引き出し、同時に他の特徴を捨てることである。具体化とは、絵に描きやすいような表現に言いかえることである。固有の特徴を与えることである。例えば、みかん、ぶどう、バナナが具体であり、果物が抽象である。ペン、消しゴム、定規が具体であり、文房具が抽象である。言いかえる力とは、単語レベル、文レベル、文章レベルで抽象化・具体化することにより、発信者の抱いているイメージを受信者に対し、ありのままに届ける、あるいは、受信者がありのままに受け取るための力である。                                           比べる力とは、対比関係整理力である。

   ① このボールは大きい。     それに対して、あのボールは小さい。              ② このボールは軟らかい。    それに対して、あのボールは硬い。                   ③ このボールは大きい。     それに対して、あのボールは硬い。                   ④ このボールは大きくて軟らかい。それに対して、あのボールは小さい。               対比の観点は、①が大きさ、②は軟らかさである。③は、観点がずれている。そのため対比が成立しない。④は、大きい・小さいという反対語により、一つの対比は成立している。しかし、もう一つの対比である軟らかい・硬いの観点が半分消えている。そのため、バランスのわるい文章となっている。対比関係の整理とは、発信・受信の際、観点とバランスに意識を向けていくことを意味する。                                        

   たどる力とは、因果関係整理力である。因果関係とは、原因と結果の関係である。因果関係が成立するとは、なるほどと思えることである。10人中8人が、なるほどと思えるかどうか、すなわち客観性が高いかどうか。これが、正しい因果関係の一つの基準となる。「この公園にはごみ箱がない。だから、ごみ箱を置くべきだ。」という文と、「この公園にはごみ箱がない。そのため、ごみが散らかって公園が汚れている。だから、ごみ箱を置くべきだ。」という文とでは、後者のほうが客観的な説明になっている。このような関係を因果関係と呼ぶ。客観性を維持しながら原因・結果を順にたどっていく力がたどる力である。                      
 

校長室だより~燦燦~ №431
                                            作文力
                                                                                   2021.9.29
                                                                                        
  「作文能力は読書の量に比例する」これは、曽野綾子氏の言葉である。私もそう思う。このことに関わって氏は次のようにも述べている。

  最近の私の驚きは、多くの若者、中年たちが本を読まなくなったことだ。彼らはほとんど自分の考えを自由に文章で表現することができなくなってしまっている。(中略)すでに国民の多くが読み書きも不自由になっているのである。                           (中略)多くの人々は、テレビや漫画で知識、教育、意志の伝達などができると思っているが、初歩的なもの以外は不可能だろう。文字を読むことから抽象概念を構築し、それを再び創造的に具象的なイメージにまで発展させるという操作には、独特の訓練の過程があるので、画像から得られる直接的な知識の分野ではとてもカバーしきれない。

  「作文力は国語学力の総決算だ」という人もいる。それは、話す力、聞く力、読む力という国語学力の全てが作文には動員されるという意味であり、同時に作文力は、それらの個別の力を高めることなくしては実り得ないということでもある。
  作文の力を高めようと考えている教師は、作文のみに力を注いでも大きな実りは期待できないであろう。読書も聞く力も話し合いも、それぞれ充実させなければ、作文の力はつかないのである。  曽野綾子氏は、次のようにも言っている。

  漫画とテレビだけで人生を送る人と、読書で自我をつくる人との間には、まもなく深刻な「知的格差」が生じるだろう、と思われる。

  「知的格差」は、すでに生じている。本を読むことを面倒がる若者、壮年が増えている。教師の中でも同様の傾向が生じ、教育実践が現象的かつテクニカルなハウツーレベルに下がることが危惧される。教育書の購買者の減少という事実もある。教育書や教育雑誌が売れなくなり、読まれなくなり、廃刊に追い込まれ、姿を消していくということのマイナスの大きさは計り知れない。
 「七歳の児童たちの読書量が、将来の世界における英国の位置そのものである」これは、イギリスのブレア元首相の言葉である。卓見である。
  曽野綾子氏は、「作文教育を重視して、し過ぎることはない」と言う。千金の重みがある一文である。高校1年生に、「中学校3年間で、作文を3回以上、課せられて書いたことがある人は?」とたずねる。挙手をするのは、どのくらいだろう。高校3年間についても同じことをたずねる。挙手をする割合はもっと下がるだろう。
  普段から、毎回の授業の中で、書く時間が確保されていればいいのだが、現実はどうであろう。日常的に書いている上で、まとまった長さの作文を書くというのが理想である。書かなければ、書く能力は発達しようがない。当たり前のことである。

                   国語の力その8
                                                                                    2024.8.9      論理的思考力とは、バラバラの考えや言葉を整理するための力である。整理には、重要な目的がある。それは、バラバラの考えや言葉を、誰かに伝えるということである。自分一人で何かを考えるときは、その誰かは自分になる。自分とのコミュニケーションである。何かを整理して誰かに伝えるとき、その方法には、どんなものがあるだろうか。「まとめて伝える・分けて伝える」「比べながら伝える」「順序よく伝える」などだろうか。                                            

 何ごとも、洗練されていくと、以下のようにシンプルになっていく。シンプルだからこそ、子ども自身が真似しながら、それらの技法を体得していくことができるようになる。焦点化する、重点化することがポイントである。               
 

 国語力とは、論理的思考力である。論理的思考力とは、3つの力である。3つの力とは、言いかえる力、比べる力、たどる力である。                                               

   さて、国語力がつくと、他の教科の力も伸ばすことができるのだろうか。入試などには、国語だけでなく、算数・数学、社会、理科、どれをとっても文章で説明させるような問題が出題されている。もし、整理してまとめることができたとすれば、論理的に書くことができたということである。また、算数や数学には文章問題がある。できない子どもは、本当に算数・数学ができないのだろうか。実は、そもそも文章問題の意味がわかっていないということはないだろうか。全国的な調査では、クラスの約半分の子どもが、教科書を読めない、教科書の内容を理解できてはいないということが明らかになっている。国語力、特に読解力が足りないために、文章の意味がわからず、算数・数学の問題が解けないということではないか。論理的思考力、つまり3つの力は、あらゆる教科を根底で支えてくれる土台、原動力になる。                            論理というとむずかしそうで、小学生に無理なのではないかと危惧する人もいることだろう。小学生には、中学生の読解問題はできないのだろうか。そんなことはない。実際に、中学生の問題を解いてしまう小学生は、たくさんいる。3つの力の使い方には、学年の差はない。論理に、学年は関係ない。たとえ、日本語の使われ方や言葉の意味内容が、時代の流行とともにと変化、変遷していくとしても、論理それ自体が変化することはない。                                          

 国語力が他教科の力にまで影響を及ぼすとしたら、小学校で、国語の授業時数が他教科よりも多いことにも納得がいく。それだけ、国語力は重視されなければならない。                     
 

                   国語の力その7
                                                                                    2024.8.8      国語は論理だけでいい。形式だけでいい。そう言われると不安に思う人もいるかもしれない。文章の意味や内容は、考えなくていいのか。そういった疑問があるのは、やむを得ないことである。論理や形式と意味や内容のどちらかということではなく、バランスの問題である。今までは、意味や内容に偏りすぎていたのではないか。もう少し、論理や形式のことも考えていこうということである。                                       A 「東軍は1位。西軍は2位です。」    

      B  「東軍は1位。でも、西軍は2位です。」             

   Aは、それぞれの順位を淡々と伝える文章である。それに対して、Bには、新たな意味が生まれている。西軍は、東軍よりもわるい結果だったという事実が強調されている。もし、アナウンスでBが流れたら、比較された西軍のメンバーは、嫌な気持ちになるだろう。AとBの意味する内容は、大きく異なっている。                                内容に大きな影響を与えたものは何か。それは、「でも」という、たった2文字の言葉である。この言葉自体には、意味はない。きわめて形式的なものである。ところが、このたった2文字の形式が内容に与えた影響は測り知れない。このような形式を意図的に操作できれば、内容をも操作できるようになる。つまり、論理(形式)をコントロールできれば、文章の意味(内容)をコントロールできるということである。だからこそ、論理的思考力をつければ、国語力は確実に上がるのである。                    論理的思考力とは何か。それは、バラバラの考えや言葉を整理する、関係づけるための力である。その過程は、3つに分類される。「言いかえる力」「比べる力」「たどる力」である。       

 言いかえる力は、一見バラバラに見えるものの中に、共通点を見つけ出し、整理する力である。それは、抽象化と具体化の力でもある。比べる力は、一見バラバラに見えるものの中に、対比関係を見つけ出し、整理する力である。たどる力は、一見バラバラに見えるものの中に、結びつきを見つけ出し、整理する力である。文章で言えば、原因と結果、つまり因果の結びつきをたどる作業になる。たどる力とは、因果関係を整理する力である。                                          

 これらは、ひとまず、だいたいのイメージである。論理的思考力を3つの力に限定するのはどうなのかという問題はある。だが、あれもこれもではなく、何事も絞ることは重要である。絞ることで取り組みやすくなる。絞ってはいるが、それが他のことにも波及するようになる。何ごとも3つである。これが大切なことである。