園長通信~こころ~ №420
                      千日苦行                                                                                                    2026.3.30
                                                                                      

 楽しみにしていた昼食で、まさかの前沢牛の脂にやられたまま毛越寺に来た。今では、世界遺産になっている。昔、まだ若かった頃に来たことがあった。まだ整備中だった覚えがある。大きな池はあったが、他には何もなかった。 
 時はだいぶ経過した。さて、どうなっているのか。さほどの変化はなかった。結局、池のまわりを歩くしかなかった。増えたのは、本堂と○○跡という案内板だろうか。                        

 一夜明けた。前日の脂にやられた体が、どのくらい回復するのか心配だった。朝、起きてみると、思いの外、よくなっていた。朝食も少なめではあるが、食べることができた。                    

 気を取り直して、世界遺産、中尊寺金色堂を目指した。毛越寺は、それほど人は多くはなかった。ところが、中尊寺は、朝からたいそうな人出である。金色堂を目指すのは、もう何年ぶりになるのかわからない。前回の記憶で残っているのは、金色堂のみである。ところが、今回は、金色堂にたどり着くまでに、様々なものがあった。それらを一つ一つ見ていった。果たして、前回も見たのだろうか。まるで覚えていない。                                                        
    ようやく、メインの金色堂までやってきた。中に入る。そこは、黄金の世界に包まれていた。これこそが、金色堂である。どうやって、こんなものをつくったのか。奥州藤原三代の栄華とは、どれほどのものだったのか。そんなことを考えてしまう。             金色堂の阿弥陀如来を眺めていたら、あることが浮かんできた。何かをしたくなってきた。いや、やらなければいけない。そんな思いに駆られた。今までも、日々のめあて、目標のようなものを決めて取り組んだことはあった。けっこう続いたのだが、努力していることに、だんだんと疲れてきてしまう自分がいた。それでも、取り組んだだけのことはあったように感じる。                  

     今回は、何に取り組もうか。すぐに一つのことが浮かんできた。徳を積みたい。積徳である。どうすればよいのか。阿弥陀様が教えてくれたのが「怒りの感情を抱かない」であった。生活していれば、生きていれば、怒りの感情が出てしまうこともある。それをやめるのである。怒りの感情が出そうになったら、スイッチをオフにする。いうなれば、アンガーマネジメントのようなものである。アンガーマネジメントは、6秒間待つ。この6秒の間に、怒りのスイッチをオフにするわけである。                                     
    これを、千日間続けることに決めた。気分的には、千日苦行のようなものである。阿弥陀如来から教えをいただいたのが、2月22日である。あれから一月以上が経過した。今のところ、千日苦行は続いている。とはいっても、まだ30日あまりである。先は長い。だが、エッセイを1000号分出せたのだから、もしかしたらできるかもしれない。
 滅多にお守りなど買わない人間が、この日に限って「一願成就守」を買ってしまった。いつまで続くかはわからない。この紙面に載せたのは、有言実行のつもりである。もし、千日続けることができれば、少しは、積徳になるような気がする。久しぶりに、中尊寺金色堂を訪れてよかった。もしかしたら、阿弥陀様が呼んでくださったのかもしれない。                                  
 

園長通信~こころ~ №419
                      前沢牛                                                                                                    2026.3.27
                                                                                      

 2月の3連休のときだった。岩手県に行った。目的の第一は、前沢牛だった。もうだいぶ昔のことになる。30年以上も前のことである。家人と平泉に来たことがあった。あの頃は、まだ若く、経済的な余裕などなかった。
 だが、何を思ったか、二人で奮発して前沢牛を食べることにした。それこそ、清水の舞台から飛び降りる気分である。今もそうだが、前沢牛を食べようと現地に行っても、お店はそう多くはない。食べるならば、盛岡のほうがよいかもしれない。                      一軒のお店に入った。まだ新しさを感じるお店だった。前沢牛を口に入れた。それはそれは美味しかったのを覚えている。そのとき、家人と、また来ようと話したのだった。                    

 時が経ち、ようやく前沢牛を食べに行くことにした。お店は、以前と同じである。まだ健在だった。違うのは、数十年経った店内とお値段だった。また奮発した。前沢牛がテーブルにやってきた。まずは、何もつけずに口に運んでみた。とろけた。美味しいのは間違いないのだが、どうにもこうにも脂がすごかった。脂にやられた。それでも、食べないわけにはいかない。口に運ぶ。すぐにとろける。だが、脂がすごい。        思い出したことがあった。一年ほど前だろうか。今は喜多方市になっているが、そばの里、山都に出かけた。もちろん、おそばをいただくためである。こちらも、30年ぶりぐらいだった。天ぷら付きのおそばを注文した。おそばはいいのだが、天ぷらの油にやられた。何とか完食したが、何だか具合がわるくなってきた。しばらく、食べるという行為をしたくなくなった。                

 あのときと同じである。山都の天ぷらと同じ症状だった。もう何も口にしたくはなくなった。とはいえ、珈琲は別だった。とりあえず、珈琲を飲んで落ち着こうと思った。だが、だめだった。どんどん具合がわるくなっていく。もはや、夕食をとることなど考えられなかった。                

 ところが、この日は、2食付きの温泉旅館が宿泊所だった。豪華な夕食膳が出てくることは、容易に想像できた。食べないわけにはいかない。だが、食べたくはない。仕方なく、気力をふりしぼって食べた。こんなに食事が辛いとは。30年ぶりの前沢牛で、こんなことになるとは。がっかりである。                                                                               奮発した前沢牛であるだけに、ダメージが大きかった。それでも、泊まった温泉旅館の料金が、破格だったおかげで、多少は痛手を和らげることができた。もう二度と前沢牛はご免だと思いたいところである。ところが、しばらくしたら、今度は盛岡でいただこうとしている。何があっても前沢牛は特別なのである。あの若い頃に味わった格別の前沢牛に、今一度会いたい。              
 

園長通信~こころ~ №418
                     30分間の講話                                                                                               2026.3.26
                                                                                      

 この前、栄養教諭や栄養技師の皆さんを前にお話をした。90分間の講話である。タイトルは、「わかりやすい話し方と伝わりやすい文章のつくり方」である。皆さんは、子どもの前で授業をしたり、保護者の前で話をしたりする。「給食だより」をつくったりもする。                      

 だが、話し方や文章のつくり方に関しての研修があるかというと、たぶんない。そもそも、学校の先生でさえ、そのような研修はないだろう。そのため、私に依頼が来たのだろう。90分間で、そのオーダーにこたえなければならない。ご期待に沿うようにしなければならない。   
     話し方も文章のつくり方もむずかしい。だが、意外と誰も教えてくれない。指導してもらえる機会は、そう多くはない。話し方にも文章のつくり方にも共通した結論がある。それは、「相手意識」である。話を聞く相手は誰か。文章を読む相手は誰なのか。この相手意識が弱くなると、話も文章もわかりやすくはならない。逆に、伝わりにくくなる。                                        

    相手といわれても、いろいろな方を想定するだろう。だが、話も文章も、たった一人に向けたほうが、かえって、多くの人に伝わるのである。一つのコツのようなものである。                  

     珍しく5分早く終わった。すると、質疑応答の時間となった。ある方が、こんな話をしてくれた。その方が、初任者のときに、磐梯青少年交流の家で研修があった。小学校教諭、中学校教諭、養護教諭、栄養技師などが一堂に会していた。2泊3日の研修だったと思うが、その最後のコマが、不祥事防止の講話だった。時間は30分間だった。その担当が私だった。あのとき私は、たった30分の話をするために、福島から猪苗代まで出かけて行ったわけである。                          

     その方は、30分の話をしたのが私であることを覚えていた。私が最初に何を話したかも覚えていてくれた。「不祥事とは、喜ばしいことではありません」のような話をした。最初にその話を聞いて、その後の内容がすうっと入ってきたそうである。               2泊3日の研修で疲れているところの最後の30分が、不祥事防止の話である。どのような30分にするか、さすがに考えた記憶がある。やはり、話というのは、最初が重要である。最初で決まってしまう。改めて、そう思わせていただいた。                           このお話を伺って、うれしくなった。もう何年も前のことである。たった30分の話をした人のことも、その内容も覚えているのである。すごい方だと思う。そして、思った。やはり、講話や講義、講演など、人の前で話すときには、そのときのベストを尽くさなければならないのだと。全力で取り組まなければならない。そのときには、直接の反応を聞くことはないだろう。だが、こうやって、人の心に残っているのかと思うと、益々、責任の重さを感じずにはいられない。            

      話というものは、時間の長さではない。3分でも、30分でも、3時間でも、話す側 の問題である。これからも、肝に銘じていきたい。                                                    
 

園長通信~こころ~ №417
                     4人の卒業生                                                                                                     2026.3.25
                                                                                      

 幼稚園に4人の若い女性が来てくれた。来年の1月には、成人の集いに参加する年齢である。幼稚園で働くようになる前は、中学校に勤務していた。校長室が居場所だった。そこには、清掃当番として、3年生が来てくれていた。その中学校は、無言清掃を行う学校だった。したがって、校長室清掃の3年生と、そんなに会話をかわすことはない。
 ところが、ある年度の3年生だけは違った。無言清掃のはずなのに、いろいろな話をした。清掃後のちょっとした時間をうまく活用していたのだろう。清掃当番が終了しても、4、5人の男子生徒と、女子生徒も4、5人が、何かと校長室に来ていた。         中学校を卒業し、高校生になっても、何度か校長室に来てくれた。その中の4人の女子生徒が、今回、幼稚園に来てくれた。一人は、美容師を目指して専門学校に通っている。一人は、助産師になるために県外の大学に行っている。一人は、高校卒業後、地元に就職した。一人は、将来の目標に向かって県外の大学で学んでいる。                         4人ともに、自分の道を進んでいる。前を向いて歩いていた。美容師の厳しい世界を聞かせてもらった。ちょうど私の教え子に、美容師として成功を収めている人物がいるため、その話をした。助産師の大変さ、助産師になる苦労も聞かせてもらった。これも、私の教え子に産科の医師となり、開業している人物がいるため、その話をした。地元で働いている彼女からは、勤務時間の大変さを教えてもらった。それでも、仕事が楽しいという。それは、表情からもよくわかった。また別の彼女は、大学を卒業したら就職はするが、ゆくゆくはJICAに入りたいという。以前、JICAの教師海外研修でモンゴルに行ったときの話をした。                                            

 4人とも、それぞれ自分の道を進んでいく上で、どんな苦労があるかを理解している。それでも、自分の夢や目標に向かって進もうとしている。みんな輝いていた。何だか眩しかった。中学校を卒業して、まだ4年である。人は、こんなにも成長するのだと教えてもらった。                    

 今回、話をしていて、自分の教え子のことや自分の経験が役になっていることに気がついた。こうやって、若い人たちとも話ができるんだと気づかされた。これは収穫である。                  

 聞いてみると、私が幼稚園にいることは知らなかったとのことだった。ネットで「高澤正男」を検索したのだそうだ。便利な世の中である。
 以前、4人と会ったのは、彼女たちが高校1年生のときだった。私は、まだ中学校にいた。それ以来である。来てくれたお礼に、1月に出版した『人生を彩る6つのまなざし』をプレゼントした。すると、サインがほしいという。やっぱり、そうなるか。一人一人に、メッセージを書いた。その中に、“最高の卒業生”というフレーズを入れた。そう思わせてくれる4人だった。            
 

園長通信~こころ~ №416
                  まだ早いアイスコーヒー                                                                                            2026.3.24
                                                        

    失敗だった。まだ早かった。ちょうど一月前のことである。暖かな日が続いていた。もうすっかり春めいてきた。吾妻小富士の雪うさぎが、それらしく見えた。山を眺めると、草木が芽吹き始めているのがわかった。この時期としては、気温も高めだった。                                  

 ある欲求がわいてきた。アイスコーヒーを飲んでみるか。いや待てよ。さすがにまだ早いだろう。春の陽気ではあるが、アイスコーヒーにはまだ早いような気がした。だが、どうもあきらめがつかない。試しに、ちょっと飲んでみるか。
 欲求に負け、コンビニのアイスコーヒーに手を出した。専用のケースから容器を取り出し、レジに行く。そして、コーヒーコーナーに行き、所定の位置に容器をセットする。ガムシロップを入れるのを忘れてはいけない。問題は、3段階ある濃さである。どうせならと、濃いめにした。        

 楽しみと不安とが入り混じりながら、ストローから今年初のアイスコーヒー濃いめを吸い込んだ。特別まずくはない。かといって、感動するほどの美味しさもない。やはり、まだ早かったか。それはそうである。まだ2月だった。                                                     いつもならば、初アイスコーヒーは4月だったような気がする。4月だというのに、もう初夏の陽気に包まれたゴールデンウィーク前の時期だろうか。この頃になると、初アイスコーヒーは美味しく感じられる。ここからは、アイスコーヒー解禁となる。よほど、気温が低くならない限り、秋までずっとアイスコーヒーである。                     今年は、フライングをしてしまったか。反省した。焦っていたわけではない。きっと、アイスコーヒーに対する思い、いや期待が大きくなっているのである。加えて、コンビニに朝6時30分頃に現れる二人組のおばあちゃんに会えていないことも、アイスコーヒーへの思いをかき立てる。  

 あのおばあちゃんたちには、ずっと会えていない。冬の間は、姿を現さないのだろうか。確かに、冬季間は南に向かって歩いていくのも難儀である。春になったら、来てくれるだろうか。そんな期待感が、フライングアイスコーヒーになってしまった一因でもある。                      
     あの日から、一月が経過した。あれ以来、アイスコーヒーには手を出してはいない。ずっと我慢している。今一度、気を取り直して、初アイスコーヒーを味わいたい。その日が来るのは、もうまもなくであろう。アイスコーヒーとともに、おばあちゃんたちも来てくれないだろうか。今一度、ストローをさしたアイスコーヒーを片手に、南へと、さっそうと歩いていくお二人を見送りたい。