今年も、ひとりで、相棒と、友人知人と、
近場から遠くまで出かけましたが、
刺激を受けた場所、という意味で、
順不同で3箇所、挙げてみます。

・「比叡山」
わたしの今年最後の奮闘を促すきっかけとなった、
比叡山です。

日常に追われて、
大切なものを見失っているかも・・・という人には、
ぜひにオススメするパワースポット。

体験者は語る・・・。

いや、
日常に追われていると実際、
「見失っているかも」
ということ自体、気づいてなかったり、しますよね。

平気なつもり。

でも、全然、平気じゃなかったんです。

無意識下の感情が、
溢れ出て来ます。

圧倒的な自然と、
圧倒的な歴史と、
圧倒的な荘厳さによって、
気づき、気づかされます!!!

・「小笠原諸島(Bonin Island)」
相棒が念仏のように「行こう 行こう」といっていた、
彼の地に、
初上陸したのは、5月の連休のことでした。

26時間の船旅と聞いただけで、尻込みしていたのですが、
26時間という距離と不便さに値する、
これまた、
圧倒的な自然と、自由。

シュノーケルをつけて、
イルカと、泳ぎました。

自分が、大海の真ん中に放り出されて、
波にもまれながら、
「息ができないかも」「溺れるかも」
なんて心配していたのを、
完全に忘れて、
夢中になって泳いでいる様に、
興奮をして。

イルカを見つけた瞬間の、
興奮。

海中で、
イルカと目が合った瞬間の、
何ともいえない興奮と。

ザトウクジラの群れを見て、
ウミガメ、
マンタ。
それから、カツオドリ。

不完全な人間である、
不完全な自分を、
海鳥と一緒に、
空から見つけた、旅。

わたしはたしかに、ちっぽけでした。

そして、掛け値なしに、楽しかった!

・「パリ」
2008年の始まりは、パリから。
1月2日に関空から飛び立った、母と初めての、海外旅行。
正確に言うと、「母と初めてで、母にとって初めての、海外旅行」。

2週間もお休みがとれたこと自体、とても幸運なことだったし、
お天気にも恵まれて、
行き当たりばったりの、珍道中。

母の新たな一面(・・・それは、やはり、母がわたしの母であると
実感する場面でもあったのですが)を知ることができたのも、一興。

その、初めての土地における適応力も、
言葉なしで会話を成立させてしまうユニバーサルサバイバル力も。
(フランス人の主婦と、「嫁姑問題」について、言葉を越えて
・・・というか、言葉わからないから、言葉なしで・・・
理解し合い、感動し合って「対話」していた、のを、わたしは見た。)

何事も、「初めて体験」は、その後の何かを形作るから、
いくつになっての体験であったとしても、
この旅行が、彼女の人生の何かのパワーになったらいいなぁなんて、
子どもながらに生意気に、思ったりして。

今でも写真を見ると、
その、母娘の珍道中が、沸き立つような。

女同士の、
笑ってばっかりで、
時にシリアスで、
涙まじりの、
愛しい時間。

2008年は、
仕事でも一度、幸運にもパリに立ち寄ることがあり、
1年に2度も訪れてしまいました。

これも何かの・・・運命でしょうか?
運命だったら、嬉しいんだけど!

小さな旅も、大きな旅も、
わたしにとっては「リフレッシュ」という言葉は最適ではなく、
いつも、
どちらかというと、学習の場。

何かと何かがつながって、
導いてくれる機会だから、
来年も、大切にしていきたいと思っています。



あ、
なんか、年の瀬ですね。

…ということで、
勝手に総集編を始めようと思います。

あまり頻繁に映画を見るタイプではないのですが、
今年は比較的、
ちょくちょく見ましたね。

最近、ニュース見ても泣くくらい涙脆いから、
大体の映画で、地味に涙しましたが。

で、順不同で、ベスト3。
ドコドコドン。

・『ザ・マジックアワー』
佐藤浩市さんファンとしては、
コミカルな魅力満開で、
抱腹絶倒、大満足。

難しいことはあまり考えなかったけど、
好きなこと、とか、
俗にいう「夢」とかを、
追い求めていく姿は、
滑稽だから、
誰もあまり真剣になれなくて、
だからいっそう、
尊いんだろうな、
と、
思ったり。

最高で、最善な、
ほんの一瞬のために、
全身全霊をかけて、
その繰り返しを愛しんで。

何より、
三谷幸喜さん的ワールドで、仕事していきたいなぁって、
彼の作品を見ると、
映画の内容と関係ないところで、
感銘を受ける。

・『グーグーだって猫である』
わたしにとって、
完全アウェイ、
である、神戸で見る、
青春の風景、
武蔵野(吉祥寺中心)が舞台の、作品。

それだけで、感極まるでしょう!

今年確かに、
青春のページが、
繰り、巡った。

甘酸っぱさや、
塩辛さが最大級に詰まった、
大学入学から、
10年目の、節目。

・『フラガール』
…今年の作品ではないですが、
人間が、短い生涯の中でなし得ることは有限で、
また、あることを望んでも、
叶う者と、叶わない者とがある、
という、現実。

誰かができない何かを、
例えばわたしがやっていて、
そこには、
単にわたしの、だけでない、
何重もの想いが、
繋がれているかもしれないということ。

例えば、
リレーのバトンか、
むしろ、リレーの代表選手に選ばれること自体。

今ここにある生のすべてが、
時代を超えて、
誰かの想いを形にして、
繋いでいるものだから、
大切にしないといけない、
なんて思う機会になった、映画でした。

学校や会社に入るときも、
恋愛も結婚も、
出産だって、
わたしじゃなくて、誰か。
誰かじゃなくて、わたし。

な、訳ですから。

…と、まぁこうやって思い出そうとしてみると、
悪い記憶を、痛感。

きっと他にも、
よかった映画はあるのです。

来年は、映画ノートでも、
つけてみようかな。
それは昨夜のこと。

わたしは、
真冬の大阪のビルの外に、着の身着のままで閉め出される、
という事件に遭遇した。

幸いにも、コートとマフラーはしていたものの、
手持ちはお財布。

鞄をビル内に置いたまま、所用があり、外に出たのが運のつき。

携帯も、手帳も何もなく、
ビルは営業時間を過ぎて、電子施錠がなされ、
人の出入りもないため、
どうにもこうにも、例え叫んだとしても、
誰も来てくれず、
ドアは固く閉ざされたままである。

いったいこのまま、わたしはいつまで外に居ればよいのだーーーーっ

誰かに開けてもらうにも、誰に連絡をすればよいのかわからないし、
だいたい、今時「公衆電話」がどこにあるのかも、わからない。

そう、「公衆電話」。

小学生の頃、忘れ物をして自宅に連絡するときも、
遠出をして家に連絡するときも、
ポケベル時代も、
あそこにあったな、ってな具合に察知能力が備わっていた、
公衆電話。

今では、
それらがいったい、どのあたりに設置されているのかという、
検討すらつかない。

「公衆電話センサー」が、すっかり退化してしまったのだ。
PHSから携帯の使用に伴って。

15分ほどビル下で人が来ないか待ったが、
いっこうに気配はなく、
その代わりに、わたしは「ビル管理センター」なる、
24時間通話可能な電話番号が記された、
ステッカーを、
扉の中に見つけたのである。

もはや扉にへばりつき、
ただの変な人と化したわたしは、
呪文のように電話番号を記憶し、
(わたしは数字の羅列を覚えるのがことごとく苦手だ)
大通りを、
とりあえず、郵便局やコンビニや、
そういった、
「電話が必要そうな生活シーン」
をめがけて、一目散に走った。

お財布ひとつ握りしめて、
まるでサザエさんの形相である。

そして、
ついにファミリーマート前で、緑の薄汚い公衆電話を見つけたときには、
この世にまだ、
公衆電話という存在があることのありがたみを、
ここ10年で一番といっていいくらいに噛み締めた。

さて、
問題は、お金である。

必死で覚えた番号にかけたはよいが、
お金がどんどん落ちて行く。

そして、
これも10年以上ぶりの発見であるが、
公衆電話というのは100円玉と10円玉しか使えないのである。

あたふたと、
管理センターのおじさんに、事情を話して、
もう一度、電話番号を確認して、
(1回かけたら、忘れてしまったので)
電話を切り、コンビニでお金を崩して、かけ直す。

話をしながら、ごそごそとお財布の中をかき回していると、
過去の偉大なわたしが入れたであろう、
テレフォンカード。

おおお、
これぞ、テレフォンカード。
いつの時代の?使い方って?度数って?
ああもはやこれも、記憶の彼方。

それでも、その古ぼけたカードを見つけたときの喜びといったら、
言い表しようのないもので。

その後、
管理センターのおじさんを、
電話越しに遠隔操作。

インターネットで、
わたしが荷物を置いて来たテナントの連絡先を探してもらい、
その連絡先を、これまたごにょごにょ記憶して、
電話をして、
中の人に、一階まで降りて来てもらい、
無事、解錠。

ああ、ビルの中の、
空気のなんて暖かいこと。

その間、およそ40分。

短いような、長いような、
どたばたのサバイバル劇でした。

教訓:
1. 鞄を身から離さない
2. お財布と携帯は持って行動する
3. 常日頃から公衆電話の位置をチェック
4. テレフォンカードは死語でも不要品でもない、1枚は身につけておくべし。

以上。