子どもの頃から、
節分は、結構大切なイベントで。

「鬼は~、外! 福は~、内!」

なんていって、
(大豆ではなく)落花生を、
狭い社宅の部屋中に、
ばらまく、
父親、
に、
ついて歩く、3匹の子ぶた。

時に、チョコレートが混ぜてあったような。

子ぶた同士で、争奪戦だったような。

年の数だけ「しか」、
食べられなかった、あの頃。

今朝、
しまった、おマメも恵方巻も用意しそびれた、
と思ったけれど、
会社の近くのコンビニで、
煎り大豆が置いてあるのを発見し、
喜び購入。

上司と同僚とで、
年の数、なんて言いながら、
あれやこれや、
節分の思い出を喋ったり。

マメが、20の桁、30の桁にもなることを、
いつ、
どうやって想像しただろう!

あの日が、
今日につながっていることが、
どうにも信じられなくて、
実家では今頃、
50を超えて、60もの桁になるような、
もっともっと年を重ねた両親が、
二人でマメを撒いているんだろうかなんて、
センチメンタル。

ダディの後ろを追いかけて、
落花生を拾い歩いた子ぶたは、
今日は乾燥したオフィスで、
遠く離れた神戸の街で、
大豆を啄んでいましたよ。
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年末から、不調の相次いだ、
我が家の冷蔵庫ちゃん。

本日夜、遂にオペを受けました。

5年目の彼女、
冷えが悪くなってみたり、
ゴゴゴゴゴゴと、尋常でない轟音をあげてみたり。

周囲に聞いても、
ネットで調べても、
冷蔵庫の修理はお金がかかるから、
場合によっては買い換えた方が安い、
という意見が多く、
いっそ買い換えるか、
やはり修理してみるか、
悩んだここ1ヶ月でしたが、
結果、
修理にして、よかった。

調べてもらったところ、
保証の範囲内の修理ということで、
無料だったのです。

よかったなぁ、冷蔵庫ちゃん。

やっぱり、
一人暮らしを共に歩んできた彼女だし、
小さな体なりに、
わたしの料理探求生活を支えて来てくれたわけで、
電子レンジとお揃いのオレンジカラーも、
なんとなしにホッとさせてくれる、
暖かみをもっていて。

つまり、
愛着があったから、
捨てたくなかったのです。

うじうじ悩んでだけど、修理を頼んでよかったなぁ!


2時間半にも及ぶ、
大手術でしたが、
無事生還で、ひと安心。

これからも、
もりもり作って食べるから、
食材やご飯の保管係、
どうぞよろしくね。

修理の方にも、
感謝。

モノを捨てるのは、
悲しい気持ち。

モノはなるべく長く、
大切に、使いたいデス。
2週間ほど前になりますが、
バレエ『Bolero』を観ました。

モーリス・ベジャール追悼と銘打った東京バレエ団の演目で、
躍ったのは、
贅沢にも、
シルヴィ・ギエム

彼女をライヴで観るのは初めてでしたが、
3F席という、
おおよそステージからの距離感を十二分に保ったとことからでも、
伝わってくる表情というのがあることを、
知りました。

圧倒的な存在感って、
こういうことを言うんだろうなと思い、
圧倒的な存在っていうのは、
性別も、
人種も、
文化も、
ひゅうっと超えてしまうものがあるんだと、
漠然と思いました。

そういう余分な情報は何も感じず、
ただ、人間として、
或いは動物として、
完全に平伏したいくらいの、美しさ!

舞台美術とか
その雰囲気も含めて、なんでしょうけど。

それから、
「バレエ音楽」
というものが、
やはり、バレエのためにあるものである、という当たり前の事実にも、
しばし衝撃を受け。

楽器がどんどん重なり合って、
高まっていく、
それに合わせて高まっていく、
感情、
感情が重なり合っていくこと。

例えば音源をCDなんかで聞くときには、
ほとんど感じなかった、気持ちの変化です。

境界線を超えるには、
圧倒的になる必要があることと。

そのものらしくあること、
そのためにあること、
が必要であること。

(シルヴィ・ギエムのではないけれど、
youtubeにモーリス・ベジャール振付のBoleroが上がっていたので、復習。
この男性の踊りもよいですが、
シルヴィの方が、妖婉さがあったなぁと、
個人的には、彼女の肢体も含めた表現として、好きでした。)