なんとなくそういう気分になって、パソコンに向かってみた。

睡眠時間に充てればいいものを…
というのは、
別腹的な問答。

いつぶりか知りませんが、時々、書いてみようと思います。

大体が、今日のような=休日=オットがお休み=いろいろな負担が分担されて心ウキウキ、
な日になりそうだけれど。


先日急に、「トツギーノ」というコント?お笑い?のフレーズを、
本当に突然に思い出して、
(実際には、「トツギーノ」という言葉も忘れて、「ふふふ~ふ♪」という調子だけ
思い出して、あれ?これって何だったっけ?となって、オットとブレストした結果、
「ぎ~の♪」が来たので、ググって、バカリズムさんのネタにたどり着いた)
子育てのルーチンを黙々とこなす中で、おもしろ可笑しく使いたくなって使っていた。

おっぱいのみーの
うんちしーの
だだこねーの
わらいーの
なきーの
たべーの
おっぱいのみーの
ねーの
おきーの
あそびーの
なきーの
たべーの
おっぱいのみーの
とつぎーの

とか…
短くしたり、長くしたりねっ!

けど、何だかブームは2日ほどで去ってしまった。


そういう風に、
何でも衝動的に思い出したり、実行したくなったり、するときが、あるよね。

ブログもきっと、そんな感じで。
季節の変わり目には、邪気が生じるそうで。

我が家に訪れた邪気といえば、
週末前の昨日に、突然ガス給湯機が壊れたことでしょうか…

お風呂が1日の中で最も至福の時であるわたしにとって
(いや、朝ご飯かな…どっちだろう)
この寒い日々にお家でお風呂に入れないなんて、そんなひどい罰はない。

神様、何か悪いことしましたでしょうか、わたし。

近所の銭湯があるのがせめてもの救い。
けれども。
世の中には銭湯マニアな方もいらっしゃるけれども、
わたしはやっぱりお家のお風呂がいい。
どんなに小さくても狭くても、
好きな入浴剤を入れたり入れなかったりして
ぼんやりしたり 反省したり 閃いたり 歌を歌ったり


ああ、お風呂に気ままに入られないと思うだけで、心は張り裂けそう。
週末を越えて、お風呂、いつ復活するのでしょうか。


これで邪気が払われるのであれば
安いものと思うべきか。

大体、バーターなんてものが、あるのかな。
鬼と福の。
そういう考え方自体が、そもそも勤労精神なのだろうか。

一方で、お豆やら太巻きやらを、
撒いたり(巻いたり)、食べたりするだけで、
鬼と福が外と内を行ったり来たりするのであれば、
勤労精神とは多少遠う気もするけれど。


いずれにしても、
2月は毎度毎度、何やら体調を崩しがちだから、
何でも払えるものは払っておきたい気持ちと、
そして、今回の「季節の変わり目」は、
わたしの生きる、暮らす時間の流れも、しっかりと分けるものになるのです。

いろいろなことが、春に向けて動き出す、芽吹く…

そう思うと、何だかいつもの節分と
違う色に見えるよ。
晴れたお天気のせいかな。

そんな季節を分ける日を、清々しい気持ちで迎えたい。

ガス給湯機への恨めしい気持ちも、早くすっきり、させつつ。。。
早くね、早く!ガス屋さーん!


 
わたしが学生時代からずっと尊敬している女性といえば
緒方貞子さんと黒柳徹子さん。
時代は変わり、わたしの考え方が少しずつでも変わっていきているとしても、
二大巨頭はここにあり。

で、このところの気分が大変に徹子さんモードで
(どんなモードか…)
そんなわけで、今現在は、
『窓ぎわのトットちゃん』
を読み直しているのですが
こういう気分のときに読むと、
文章や行間、その背景への想像から、「愛」や「優しさ」が溢れ出して、
ちょっとカサッとした心のひび割れに、しみていって、
涙が出てくる。

『窓ぎわのトットちゃん』を読んで電車で泣いている女子というのも、
何だか奇妙かもしれないですけれども。
基本的には、底抜けに明るくて、心優しくて、純粋な子どもたちのお話なわけだから。

特に仕事をしている時間というのは、
そういう愛や優しさは、不要とされがちというか。

ずっと、そういう環境への順応と戦ってきたような20代を経て、
時にじぶんの中でも、そういった感情の優先順位を下げるように
努力したり、或いは、本当に忘れてしまったりして、苦しんで。

30代になって、なんとか「じぶんがじぶんで居られる場所」を探して、
たどり着いた今日という日かもしれないけれど、
それでもまだまだ、いや、まだまだまだ、
多少の殺伐とした気持ちや苛立や、不安、
俗にいう「大人のストレス」というものを抱えているじぶん。

カサッと、気持ちが乾いて、
乾燥した部分は、
よくない諦めに変わって、潤うことを怠って行く。

でも、
やっぱり、否定できない、押し込められない、
じぶんを作っている純粋な感情、
パッションとか情とか、
そういう面倒くさいけれども、
母から、祖母から、受け継がれたような、
シンプルなコアがあることを、
感じざるをえないライフステージにも、
入って来たりして。

そういった身勝手でなく、機械的でなく、表面的でない、
じぶんのコアに、どんどんと近づいていく段階にある中で、
その感情的なじぶんに、改めて向き合いたいというように、
欲求が高まっているのかもしれない。

トットちゃんのように、
「黙っていられない」じぶんを、
必要以上に、否定したり、後悔したり、
しなくていいように。

それは悪いことじゃないし
それによって(とりわけ)仕事上、苦しむことや苦しめられることがあるとしても、
わたしはわたしなんだからと。

溢れ出てくる気持ちを
子どものような 
愛とか優しさとか好奇心とかいう「柔な」部分を
ただ、そこに出して、
傷ついても、それはそれでいいじゃないかと、
思えれば、それで、いいんじゃないかと。

例えば、男の人ばっかりの環境で仕事をしていなかったら、
こんなことに悩む必要もないのかな。

とか、そんな、「もしも」はさておいて…

気持ちが暖まるような
冬を過ごせるように
じぶんの真ん中と対話を続けています。

徹子さんの本を傍らに、山積みにして、
それらを手がかりに。
こんな幸せな時間も、もしかしたらないのかもしれないと
感謝も、しながら。