
『カルメン』ですよ。
この暑い夏の日に、熱い舞台を観てきました。
佐渡裕さんプロデュースオペラ@兵庫県立芸術文化センターです。
『カルメン』観たのは初めてだったのですが、
おー、この曲もそうかー、あー、これもかー!
という、ピースとして聞き慣れた曲が多くって、
オーケストラと、素敵な歌い手さんたちの織りなすメロディーが、
美しく、楽しく。
また、衣裳/舞台セットの色合いも、
もちろん洗練されているのだけれど、「土臭い」情感が表出されているように感じて、
心にどすんと来る、視覚で、
美しく、楽しく。
(凝視し過ぎて目が乾き、2幕の終了5分前にコンタクトが落ちるほど。)
それにしても。
「自由」ですよ。
「自由」とは何かですよ。
「飼いならす」、その支配欲とは、何かですよ。
"世界が故郷”という、壮大で自由なスケールで生きる、
ジプシーの女と。
家族がいる土地で、軍隊という、その領土に根付いた、
規律に基づいた組織で生きる、男と。
何かを飼いならすこと、
自分の手元におくこと、
支配すること、独占すること。
失うものがない、
のであれば、
権利とかそういう概念は存在しないのであって、
失いたくないから、
わたしたちの社会は制度を作ってきたのです。
自分以外に、失うものがない女が、
制度という権力の、ど真ん中にいる男と、
合うはずがないわけで。
結局、支配すること、独占することに失敗した男(ホセ)は、
女(カルメン)を、自らの手によって殺してしまうのだけれども、
わたしはこれを、
「自由」を駆逐することが、決してできないこと、の、
象徴なのかなと思って、観ていたわけで、あります。
「恋」に限ったことじゃなく、
「飼いならすことなんてできない」のが、
ひとりの人間の存在。
ひとりの人間が、持っている、価値基準。
結局、自分以外の人間を
飼いならそうなんて、できない話、なのです。
駆逐できない自由への、集団としての恐怖が、
制度を作ってきたのだけれど、
制度の側に、いてもいなくても、
個人である以上の自由を、すべての人がもっているとしたら、
当然、
制度には矛盾があって、不満があって。
だからこそ、
その制度から外れてしまった存在には、
嫌悪の目が向けられたり、
ペナルティが課されたり、するわけで。
でも、
例えば、日常を生き抜くときに、
自分以外のものを飼いならすことができない、
という自覚をもったときに、
「恋」に限ったことじゃなく、
もっと寛容になって、
もっと自由に、
この世界を生きて行けるのかもしれない、
と思ったりもして。
「平和」につながる考え方が、
やっぱりこういうところに、あるのではないかと。
ひとりの人間がそう思うだけではだめで。
それでも現実には、
「飼いならしたい」
という、支配欲や征服欲があるから、
痛みや憎しみや、嫉妬が、
うごめくわけなのですけれども。
カルメンなら、
そんなもの、
あざ笑って、しまうのでしょう。
誰かを飼いならすことが、手段として必要になるときでさえ、
それを命題にするのではなく、
まずは自分に忠実になること。
自分を飼いならすことができて初めて、
それについてくる、一緒にいることができる他者を、
見つける、育てることが、できるのかもしれないです。
恋だって、
社会的な、ミッションだって。