もうすぐ3歳のぼっちゃんの言葉の進化が著しく、
毎日、
笑ったり(含む苦笑)、ドキッとさせられたり、ヒヤッとすることがあるのだけれど、
最近、結構ツボだったものの中に、
 
「パパの気分もあるし、ママの気分もあるからさ〜」
 
というのが、ある。
(ちなみに、我が家ではパパをパパとは呼ばないのですが、便宜上。。。)
 
使われるシチュエーションは、夜、お布団に入りに行くタイミングでのことで、
寝かしつけをパパがするのかママがするのか、について、
(選択の余地があるときは)本人の希望を聞いているのだけど、
そのときに、「ママ!」とか言って、
パパが、「え〜?」って、選ばれなかった悲しみを(一応)表す時に、
使われる。
 
諭すように。
 
そんな、「気分」なんて、生意気言ってるわ〜、
と、言われるたびに、笑える。
 
で、これを言われると、
 
「ひとりでいい。ひとりでなくてもいい。」
 
という、キユーピーマヨネーズのコピーが、
連想される。
(調べてみたら、2009年頃のもの??当時から胸に刺さって離れない。)
 
 
そう、だいたいのことはきっと、
で、いい。し、
でなくても、いい。
のだ。
 
 
本当はそうなのだけれど、
日々の中で、
「絶対」を求めているような感覚で、
何だか息苦しくなってること、あるよなぁって、
子どもの生意気に笑いながら、
ふと思ったり。
 
 
子どもだって、
ママじゃなくっちゃだめだ、ってこと、
「絶対だめだ」ってことは、きっとない。
(もちろん、〜の方がいい、とかはあるかもしれないけど、それだって、感覚の問題なのではないかと思う。)
 
 
ママでいい、ママでなくてもいい。
 
 
仕事だって、わたしじゃなくちゃだめなことは、きっとない。
 
 
おまえでいい、おまえでなくてもいい。
 
 
でも、どこかで、そういうすべてのことに、
わたしじゃなくちゃだめだって、言ってもらいたくって、
そう感じていたくって、
なんか、がんばっちゃってるとこ、あるよなぁって。。。
 
 
その気持ちも、原動力としてはとても大切ではあるけれど、
あんまり噴かしすぎても、つらいなぁって。
 
 
そういうのって、
つらいんじゃないのぉって、
子どもに諭されている気がしちゃって、
何であのコピーが好きなのさって、
そういうとこ突かれたわけでしょうって、
当時の自分がひょっこり、
出てきたりしちゃって。
 
 
なんか今、投げやりになるのとは、ちょっと違う感じで、
(いや、もしかしたら多少投げやりかもしれないけど…)
石ころ蹴って歩きたい気分、
なんだなぁ。