週末に、佐村河内守さん作曲の『交響曲第1番<HIROSHIMA>』の演奏を聴いてきました。

感想は、言葉ではとても言い表せないと思って
でも何か記さなきゃと思って ここ2日間ほど考えていたのだけれど
やっぱりまとまらないから
ぼんやりしたままにしようと決めました。

そういうことも、あるよね。

ひとつだけ個人的に衝撃だったのは
わたし ワルシャワでお化け(と言っていいのか)に出会ったことがあるのですが
そのそきと まったく同じ音がしました。

雑踏というのでしょうか。

軍人さんの足音
逃げ惑う市民の足音
死に行く人の足音

どんな時代も 朝も夜も(夜は多少寝静まっているのだろうけれど)
戦闘の中 混乱の中 静寂の中
人の性質は変わらないのに
人の行動は変わり
温もりのあるはずの足音が 
感情を失って 次から次へと重なって
無機質な足音となり
…雑踏となり、
それは、「感情すら失った悲しみ」の音となり、
心を絞りきって空っぽにするような、音となり。


願わくば、光ある「明日」に向かって進む「雑踏」であって欲しいのだけれど…


わたしの足音も
こうやって重なっているんだろうと考えながら


悲しい足音が 響かないことを願ってやまないと思いながら


やっぱり考えはまとまらないので
この辺で。

HIROSHIMAは、学生の頃からわたしが感じ続けているテーマの一つだから
こういう風に
いろいろな人がいろいろな形に変えて
伝え繋ごうとしていく流れに
わたしも触れていたいし
どんな端っこでもよいので、
こういう気持ちを持つことで、一端を担っていたいと思います。

さて、
音楽的(かどうかは別にして)な感想で言うと

会場内にご本人がいらっしゃって
作曲者と空間を同一にしての交響曲って、聴いたことないななんて
改めて
いわゆる日本における(日本から発する)クラシック音楽ってなんだろうって
別のテーマというか そういうものに想いを馳せながらも
静かに、心が動きました。

浮かれた(?)部分としては、
金聖響さんの動きや息づかいがとってもよく見える(感じられる)席だったので
延々と続く音楽の、苦しかったり 悲しかったりする気持ちの合間に
ふっふーん、
っていう気持ち(どんな気持ちだ)を瞬間、瞬間に思い出したりしながら、
静かに、心が癒されました。

様々な楽器の編成が重厚なのはもちろん特徴的なのだと思うのですが、
打楽器が多用されていて、
それもまたよく見える位置だったので興味津々。
いろんな奏者さんが、楽器を持ち替えるのも、出番に備える姿を見るのも、
面白いですね。
呼吸の合間に 眺めるような感じで、
静かに、楽しむことができました。


目を閉じると
音玉が会場中に歩き出した
あの激しい空気感がよみがえってくるようです。