ジブリ映画『風立ちぬ』を観てきました。
公開初日に映画を観に行ったのって、人生で初めてかもしれない…

そのくらい、
「飛行機」と「戦争」という2つのことがテーマになっている、
それはつまり、
わたしが生まれた日から今日まで、
わたしの人生の真ん中に据え置かれて
わたしをこれからもずっと離さないテーマについて
宮崎駿監督が描くとすれば、
観ないわけにはいかないわけで。

一方で
涙を流すことや きっと無力感を覚えることを承知のうえで
それを観るということが、
何となく億劫だという気持ちもあって
多分、初日という理由をつけてでも出かけなければ
避けてしまったかもしれないという予感もあったのです。


観終わった後には そんな迷いというよりは、
抜けきった空のような
「大人らしい」冷静さが、しっとりと残ったわけではあるけれど。


飛行機という夢と
戦争という悪夢


ひとりの人間の夢と
「全体」という得体がもつ悪夢


それでも どんな「後先」があっても
人が夢中になるもの。


たくさんの個人がひしめき合う世界の中で
幸福は 
どのように重なって どのように壊れていくのか
どのように復興し どのように保たれていくのか

姿や形を変えながら

こういった連鎖は続いて 
人を奮い立たせ 人を陥れ 人を生かす


「どのように」

を探し出したくって わたしは社会科学の道を進んだわけだけれど、
先生が言うところの、“社会という「箱庭」”は、
実際に入り込んで行けば行くほどに
捉えようもなく雑多に絡み合っていて 途方に暮れる

途方に暮れる一方で 
夢のしっぽを捕えて しがみついていくのが
…何度でも、しがみついていくのが、
どんな時代に生まれたとして、「生きる」ということなのでしょうか。


わたしの夢のしっぽ


戦争のない世界を目指す複雑な営みのどこか一端に
ちっぽけでも 何でもいいから
しがみついて もがいて 
その選択肢を振り払って 別の道をつくっていくこと。


日本の夏に わたしの夏に
しっとりとはまり込む 映画の時間でした。