つらいときに 気を紛らわせる方法としては


あーーー
わたしって
この地球上に存在する一個の生き物
本当にちっぽけなちっぽけな存在だなぁ


という風に、大局的に考える方法がある。


大体これは、
日本の田舎を旅行したときとか(ここにも人の営みがあるなぁ)
海外に出たときとか(こんなところにも人の営みがあるなぁ)
自然をフィーチャーした映画をみたときとか(動物もがんばって生きてるなぁ)
日本人宇宙飛行士が宇宙からやっほーってしたときとか(無限の広がりがあるなぁ)
そういうときに
うっすら涙ぐみながら思う種類のことである。


一方で
最近わたしが
あまりに魑魅魍魎とした組織(間)の中で 
思い通りにならないことや理解不能なことに直面し
ストレスで気が狂いそうになるとき…(ひどい言い様だけれどかなり真実)

もはや意思疎通困難なことばを喋り続ける人を目の前にして(これもひどい言い様…)


ああ
この人には この人の人生があるんだなぁ
この人の人生にとって
わたしはただの脇役 端役でしかないんだなぁ
わたし(や、わたしの「思い通りにしたいこと」)って、なんてちっぽけなんだろう


という風にも、大局的に考える方法がある。


このごろでは 
そうやって「自分の必死」が、「他人の人生」にとって
どのくらい意味を持つのかとか 重たいのかとか 押し付けがましいのかなとか
そういうこと考えます。

必ずしも 論理的に説得できない場面 感情的に納得できない場面に
直面するときに
自分の挫折感やフラストレーションを 大局的に捉えるために。


まぁ、これまで人生で経験してきた以上に
「同じ方向を見ている」と感じられる人たちと一緒にいないから
かもしれないけど。

違う方向見ている人たち 違う世界見ている人たち
わたしの見ている方向と世界

ひとりひとりが主役の人生を生きる中で
交わっている瞬間に
わたしは脇役として 誰かの人生を彩ったり 邪魔したり 

わたしの人生にとっては脇役だったり端役である人たちの中の
わたしという脇役、端役


だから複雑なんだなぁ、人間関係っていうのは!!!組織っていうのは!


そういう風に思うと
何だか脱力して やる気が失せるっていうこともあれば
逆に だったら脇役として思い切り暴れてみるのもいい味出すかなとか
大体失敗したって 大したことないよ 所詮脇役なんだから
なんて
何だか精神的に落ち着くような気がしてきたりもする。


明日からまた
お仕事が始まるわけで
わたしはわたしの人生で必死に主役を全うして
誰かの人生に脇役として踊り
そのアングルの違いで 葛藤する
そんな一週間が始まるわけです。


舞台なのか 映画なのか
わからないけど
とりあえず 
そんなディレクター的な、或いは、観客的な目で
冷静に眺めてみる っていうことを
多分 一日に何度か 繰返すことでしょう。