近日中に会った別々の人たちから、
「能力の飼い殺し」について諭されることがあり
あまりにデジャヴな指摘が繰返されるものだから
自分に能力があるのかないのか 自信がない
という泣き言の傍らで 
確実に、「サボっている」感覚を自覚していることが
この居たたまれない気持ちのひとつにあるんだろうなぁということが
内外の刺激により明確化されてきたわけであります。


では、実際に何をどんな形で遂行することをサボっているのか。

これは 分かっているようで 分かっていない
分かっていない問題。


それはある種のエリート思想の自惚れかもしれないぞという指摘がある一方で
単なるエリート的な能力ではない能力も、包含するのだと思う


例えば、 人に愛を分け与えることとか。
例えば、 美意識的な感覚を伝えることとか。


まあいずれにしても サボっているんですね きっと。


「サボっている」ことは 長い道のりの中の余裕(余暇)であって
「逃げている」のとは違うから

という大人な言葉もいただいたりして

大切な人は これをわたしの「Gap Year」と呼ぶ。

この歳で、Gap Year過ごしているのも、どうなんだろうと思うけれど
そりゃあ贅沢なことかもしれず

大好きな友人に そのプロセスが大事なんだって
シンプルに状態を認めることを 認めてもらったりして


「落ち込んでるんです!」

って叫んだら 入ってくるヘルプが結構あって
叫んでみるのもひとつの解決策なのだろうなぁ。


迷惑なヤツだ。


"週末、申年の人は、旅先に縁有り。”

おかげさまで。

”引いた唯一のおみくじは、大吉だった!”


どう転ぶでしょうか。


もうしばらく サボってます。