サッカー、チャリティマッチの最中です。


大阪です。


被災地出身の選手について、紹介がありました。
被災地出身からの観客もいるのでしょうか。

東北から東京に避難して来た人が、東京の平常さに愕然としたという話を聞きましたが
東京から大阪に「自主疎開」した人は、さらにその平常さに戸惑ったという話も聞き
それは
地理的な災害について、その影響が地理的に離れた地域ですべて同じとは限らない、
という当然のことでしょう。

しかし、想像力と想いは、
その社会やシステムの動きとは別のところにあるはずで、
地理的な制限を超えて繋がるものになる。

想像力や想いの源には
さまざまなものがあるでしょう。

友人、知り合った人の由縁 好きな芸能人 本や映画 音楽   
恋人 家族 風景 食べ物 建物 匂い などなどなど


そういうことを総合的に感じられるものとして、
旅の経験も挙げられると思う。


被災地、と呼ばれることになってしまったその地に、
旅した思い出がある人が、どのくらいいるのかな。


日本三景の松島をはじめ
見所も、味わい所も、温もり所も豊富な東北の街々を、
きっと沢山の人が訪れているのに違いない。
そしてきっと彼らの想いは
同じニュースの映像を見ても、きっと違うのだろうと思う。


例えば、
この冬、わたしは福島県を旅行して、
だから、原発の問題は、
水や野菜や電気の問題といった、自分の生活に関わる部分ももちろん気になるのだけれど、
あの時出会った、人や、食べ物や、思い出に紐づいて、より具体的に感じられます。


特に、
あの記録的豪雪の時に当たってしまったその旅は、
国道で数時間立ち往生になってしまったときに、
道沿いのお家の方にお手洗いを借りたり…(本当に救われた!と思った…)
雪道にはまり動けなくなった車を、何度も、たくさんの人に助けてもらったり、
それでたどり着いた宿の温泉は気持ちよかったなとか
それでありついたごはん…ふくしま米は美味しかったなとか
タクシーの運転手さん優しかったなとか
母の昔の下宿先のご家族が温かかったなとか

夏にまた、行きたいねって、言ってたこととか。

みんな、どうしているだろうか。
気軽に、聞けることでもないし、聞いたところでどうできるものでもない。


今日、原発近くの農家の方が、自殺をしたというニュースが流れたとき
美味しかったごはんの記憶がすぐに結びつき、意味が組み変わる。


文字や数字だけではない、より、人間的なものに。


こういう思いを
きっとたくさんの人が、それぞれに感じながら、
それぞれの地理的な制限を超えて、
想像をして、想いをとばして、
行動しているのかもしれない。


旅することは、
情報ばかりと共にある無機質な日常を人間的にする。
マス相手の情報を、個人的にする。
そして、きっと、扇動的な情報すら、静かで真実味のある情報となる。


視点として、感受性として、大切なこと。


国内の旅行だけでなくって、
海外旅行が好きな日本の人たちは 海外で何かが起こったときに、
そういう気持ちでニュースを眺めてきたかな?
きっと海外の人もそうだと思う。
海外から、日本へのメッセージが届くことに、
いろいろな想像力の源が貢献しているとして、
日本への旅行経験というのも含まれているのだろうと思います。

この2月まで、訪日旅行は16ヶ月連続で増えていたそうです。
この数字はきっと、これからぐんと減ってしまうでしょう。
しばらくは。


それでも、未来の話をするのであれば、
更なる未来に向けて、
わたしたちは、
国内も、国外も、旅をたくさんしたいし、
そして日本には、旅に来て欲しいし、
旅を促していきたいのです。


旅をしましょう、旅してもらいましょう。


これもひとつ、わたしのできること、わたしたちのできること。