この頃
見逃していた日本映画のキャッチアップマラソン(FOXチャンネルみたいな言い回し…)を
やっていて、
最近ではようやく
「おくりびと」を。


リアルタイムで観ていないので、
あれやこれやと評判の偏見があっての鑑賞ですが、
小山薫堂さんのストーリーテリングに、
泣かされ
笑わされ
泣かされ
笑わされ
泣かされ
(題字出現前までのシーンで既に2~3ターンくらい)
笑わされ
泣かされ
笑わされ
泣かされ
笑わされ
泣かされ
笑わされ
泣かされ
笑わされ
(終盤まで続く)


わたしたちの行動の生き様のすべてに
きっと泣きと笑いは交互にやってくるという
冷静な事実について
きっとそうなんだろうなぁって
思いながら観ていた。


わたしはわたしの物語について
涙の瞬間とか 笑いの瞬間とか
瞬間をとらえがちで
まるで物語がそこで完結したかのような気分になり
自分は幸せだとか不幸だとか思う。

けれども
それは生きて行く限り、
紡がれて行くから、
途中で
涙が乾くことも
笑顔に変わることも
ややもすれば爆笑
そういうことも経験するのだけれど、
とりわけ
よその人の物語については
別れたときのその瞬間が
すべての物語になりがちで
あの人は幸せだったとか不幸だったとか。


自分の物語も 他人にすれば
途中で終わった喜劇 あるいは 悲劇。
もしかしたら
誰かの目には喜劇 あるいは 悲劇。
そして
当人には喜劇 あるいは 悲劇、
そのすべてを差し置いて、
「人生だった(である)。」
というわけだ。


悲劇は喜劇で 喜劇は悲劇なのかもしれないな。


今起きた、起きている出来事の
裏の裏の裏の裏をまたまたひっくり返して見てみるやり方で
生き方はきっと面白くなると思う、
それは何となく思っていたことだったけれど、
こういうことだったのかもしれないって
美しい庄内の風景ともっくんとヒロスエと
生と死のテーマが交差する映画に、
思ったのでありました。