この辺りの市議会議員選挙が来る日曜日に開催され
この一週間、静かなこの街にも、
(…救急車はしょっちゅう通るのですけれど…)
街宣カーが走り回る(といっても、基本的に名前の連呼だけですが…)。


22議席に対し23候補者という、
渋めの選挙戦。


残念ながら選挙権はないので、
行く末を見守るだけなのですが、
もし投票するとしたら?


と思って
どの人が一体何なのだ
というのを探してみたいのだけれど
情報が無し。


市役所および市議会のウェブを検索しても
候補者名一覧も載っていない。


比較検討している公私サイトもないし。


このコミュニティでは、
市報を見るしか、新聞を見るしか、
情報を得る手段が極端にないのだなぁと
改めてインターネットの無力を感じる…


こうなったら
ポスター看板の前に立って、「顔相」で見極めちゃろう、
と思っても
おじさんばかり(おじいさんともいう…)で
もうどうしたらよいものか。


女性のひとりも居ないところに
大変な違和感を覚え、くらくら。


地元のナントカ(建設業とか…農業関連とか…そういうのが多いのでしょうかね)
が分からない者には、
もはや何にも分からない。

「顔」と「名前」が通ってマスね、
ってやつなんでしょうかね。

この人口6万強の地方都市は
赤字財政が大変なんだとか
市立病院の運営が大変なんだとか

いろいろと切ない噂ばかりを聞きますが

新人候補は二人だそうで
ポスターはおじいさんだらけで(再掲)
この地方都市を「そうしてきた人たち」が、「そうなった状態からの脱却」を
どうやって図っていくのだろう…

いや、責任もって、市民と一丸となって、
過去の(自分たちが作って来た)負債をナントカするのだ!
というのであれば、
それは、そうあるべきなのかもですよ。

でも、どうやって、どうやってだろう…
何をもって、どうやって、が、
知りたいのに、知ることができない、
と、鬱々と思っていたら
日本の国政も 多かれ少なかれそんな状況なのかもしれません。


それでもまだ、
女性もいて、20代~30代議員もいて、
blogやtwitterやそういったものでも情報発信もマメにあり、
少しは希望が残っているのだけれど。


とはいえ、
わたしは、この「地元」の詳しいことは何も分からないので
無責任にそういうことをただ感じているだけなのですが。


感じている。


そんな中、2chの掲示板上の論評を読んでいた方が
よっぽどよっぽどに、この街の市政や内情について、
「よそ者にも」いろんなことが分かる気がする。


…久しぶりにチェックしちゃったぜ、2ch…。

2chで使用されている言語や表現が、全国共通っぽいところに、
なぜか安堵目
この今まで2chに感じ得なかった、
フォーラム的な安心感(「おかえり、いつでも誰でも来ていいんだよ」)は、一体何なんだ!
という個人的衝撃が走る。
(滅多に見ないんですよ、あしからず。)


村上龍氏が発行するメルマガ内で、ふるまいよしこさん
中国の現状を知るのには、インターネットメディアを情報源とすることが不可欠で
特に、30代以下の若い世代が、
市民として、或いはプロフェショナルのジャーナリストとして、
農村近くのインターネットカフェから、都市部まで、
インターネットメディアを広く活用しており、
そこでは、多様な見解と活発な議論が繰り広げられており、
『人民日報』のような政府主導の情報(プロパガンダ的情報)、
また、
そればかりを情報源として追う日本のマスメディアを見ていても
得られないような、
中国の、「人びとの真実」を追うことができる、
といったようなことを書いていらっしゃいます。


何だか、似たような雰囲気を、この街に関する2chに感じつつ
(暮らす人の本音や事情は、そこでしか追跡できない)
一方で、それくらいしか(2chくらいしか)インターネットが活用されていない現実に
「声」が繋がらないことの危機感があることを垣間みる。

…リアルなコミュニティも昔ほど綿密でないのに、
現代的なコミュニケーションツールもさほど活用されていない状態…

中規模都市の中途半端であることの危機感。

繋がれない 繋がらない


小さな町や村であればできることもできない
大きな町や都市であればできることもできない


だから、ある意味で
政治のよくない部分が 改善されずに残っているような。


地方都市を元気に、という合言葉があるのだとしたら
インターネットメディアの普及という、
何だか10年昔にさかのぼっちゃったような議論を、
こういうところで「実践すること」が急務なのではないかと、
強く思うのであります。

もっとも、
インターネット自体は普及しているのかもしれないのですが(ショッピング利用とか)。

インターネットメディアの、
市民的活用の普及、とでも言い換えればよいのでしょうか。


中国のように、表現の自由が統制されている場合に、
唯一の手段として市民的に活用されるインターネットがあるとして
日本は
一見、自由に生きている、自由が許されている、
とわたしたちが感じてしまいがちだから、
インターネットがそれほどに重宝されないのではないかな。


マスメディアが常に正しく インターネットが「裏」であるような。

そのイメージが、変わらず、誰も変えず、ここまで来ていること。


人口比にしめる「若者」が少ない場合に、
そのコミュニティで、その傾向はますます顕著になるのかもしれない。


何だか、言葉が悪いようだけれども
言論や表現、コミュニケーションの「飼い殺し」が横行している、
ような。


可能性がまだまだ、ある、と思って、強気になる。
可能性までの距離を感じて、弱気になる。


選挙戦の裏の裏のそのまた裏あたりから。