荷物の山と埃にまみれながら、
先輩に借りっ放しになっていた、
リリー・フランキーの『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』
を読んで、号泣。

ノーメイクはおろか、
汗でべたつく顔面が、
涙でべたつき倍増で。

少年になみなみならぬ感情を持っているわたしとしては
(変な意味ではないので誤解なさらぬよう)
少年が育つ、その過程にも、いろいろと思うところはあるのですが、
それよりも何よりも、
今の心境としては、
最後のあたりの、「好きなものを好きと堂々ということ」の節に、
共感をして。

「母子家庭やったけん、子供の頃は、
おまえマザコンやろうち言われるのが
好かんでからオカンの話を人にようせんかったよ。
でも、なんで大切な人のことを想うていかんのやろうか? 
なんで好きな人のことを話して、
気持ち悪いとか言われんといけんのやろうか。
今でもようわからん。
そげんことを気にしとってから、
オカンに優しいことも言うてやれんかたかもしれん。」

例えばこれを、
母親じゃなくって(…って、この本の根幹ですが…)
何か別のものに変えたとして、
ものすごく、大切な気持ち、気づきだと思うわけです。

好きなものに、気づこと。
その好きなものを、とことん好きになること。
周りになんと言われても、
どんな目で見られても、
好きなものを好きだと宣言できる強さ。

それができるタイミングが来ることが、
早ければ早い方が、
より幸せな人生を歩めるような気がする。

例えば、
俳優さんとか、すごく若い頃から、その世界に入りたくて、
好きなもののために努力をして、
どんどん自分の活躍の場を広げていっていることとか。

例えば、
会社や組織で、肩書きが欲しいとか、
そういうことも、隠さず宣言してたりする人の方が、
逆境に強かったり、実際出世が早かったりもするし。

自分を顧みるならば。

わたしは昔、
そういうことができなかった。

つまり、
本当の自分の好きなことを、
隠していた、
思春期があって。

その期間が、
自分の将来を決める、
とても重要な期間であったにも、
関わらず、
今思えば、
切ないくらいに、
自分のすべてを、隠していた時期があります。

それは、
勝手に自分が決め込んだ、
狭い世界に、
身を置いていたから。

外の世界を、
知らなかったから。

今更それを悔やんでも仕方がないのだけれど、
ことあるごとに、
やっぱり悔しいと思うことがあって、
もうそういう思いを、
二度としたくないと思っています。

だから、
好きなことやものを、全力で、宣言しようと、
思っている。

一番かっこわるくて、
大変で、
でもきっと、
幸せなんじゃないかって思う。

自己満足かもしれないけれど、
じゃあ一体誰に、何に、満足させる?

ちょっぴり遅い気づきかもしれないけれど、
ちょっぴり遅い思春期再来かもしれないけれど、
改めてこの気づきを、
大切にしていこうと、
思っているわけであります。

リリー氏の本に、
リリー氏の宣言に、
改めて、引っ張り上げられた!