
わたしの血筋は東北地方、正確にいうと、青森県から来ており、
わたし自身、そこに住んだことは一度もないのですが、
やっぱり、おじいちゃんとかおばあちゃんとか、親戚のおばさんとか、
子どもの頃から、知らず知らず感じ取ってきたやさしい言語の響きというのがあり。
ヨーロッパ言語に近いと言われる(火曜日の「第九」の練習のときにも、先生が言ってたな)、
ちょっとこもった、日本語にしてみれば「中途半端な」響きが、
結構、癖になる、響きよ、これ。
単語レベルで理解できないことばがあって、
おばあちゃんと会話にならないときも、たまにあったりもしますが…
ふっ、と力が抜ける、
脱力系。
癒し系。
…ちょっと古いか。
ところで先日、「めざましテレビ」で、
松山ケンイチさんがインタビューでしゃべっているのを見て、聞いていて、
その独特のしゃべり方から、
この人は東北人に違いない、
と感じた。
ぼさーっとして、
ふわーっとして、
ビジュアルにも、しっくり来ていて、
それより何より、
あんまりテレビでああいう風に素でしゃべっている人、つまり、
東北地方のイントネーションを
残したままにしゃべっている人、見たことないぞー!と思って、
気になって調べてみたら、
やっぱり、
青森県むつ市出身なんですねぇ。
しゃべれはしないものの、
わたしのリスニング能力に間違いはなかったと、
改めて感動しました。
…というのは冗談で、
彼の、あのアンニュイな雰囲気が、
一瞬にして理解できた気がします。
青森県って、
自分も知らないことばかりなのですが、
とても不思議な雰囲気を持つ場所だと、常々思っています。
スピリチュアルといってしまうと、
なんだか安っぽいけれど。
白神山地とか恐山とか、そもそもそういうスポットもあるけれど、
八甲田山とか奥入瀬とか、
なんというか、
土のエネルギーがあるというか、
なんというか。
そんな中で、
人が、ぼーっと生きてる感じ。
ぼーっと、というのは、何も考えてないというんじゃなくて、
なんか、
そういう土に囲まれた中で、
気候のこともあるからか、
悶々と内にこもって、考えているというか。
内と外が、くっついたり、離れたり、しているような。
一体化して、境目がわからないような、
でも、孤立しているような。
結局、曖昧な、アンニュイな感じに、なっちゃうんだろな。
だから、
この夏、本屋さんに並ぶ太宰治のシリーズが、
松山ケンイチさんの表紙になっていて、
それが、
何ともいえず、しっくりくるなぁと、横目でずっと眺めていて、
その理由が、
一瞬にして解けた感じ。
太宰治も、
かの地の人、ですからね。
なんだか多分、
その土地に行ったことのない人には、
あまりわからない、「感覚的」なものなのだけれど、
アンニュイという言葉が、
言語の響きとも相まって、
これほど似合う土地も、
日本の中で、そうそうないと思ったり、しています。
思春期の頃から、
夏に、冬に、
おばあちゃんの家を訪ねるたびに、
そう感じていた、
わたしにとって、
身近なようで、身近ではないその土地と、
その土地が生み出す、人、
人を介して発せられるエネルギー。
そういった、不思議な魅力が、
何だか気になるのは、
隠しようのない、事実なのです。
きっと、
どこかが一本、つながっているから、なのでしょう。