画像-0218.jpg
朝が待ち遠しい、
なんて、
しばらく思ったこと、ない。

目が覚めると、うんざりする。

…仕事だ。

朝が来た!
なんて喜ぶ、そんなオトナがいたら、
聞いてみたい。

なんで、朝を待っているのか?

夜は暗いから。寂しいから。怖いから。

朝は明るいから。嬉しいから。

希望に満ちているから。

朝が通常に来ることが、ある事態下においては贅沢でさえあることもわかったうえで、
敢えて言うならば、
朝が待ち遠しくなるような、
そんな「生」のサステナビリティが、
わたしには必要なんだと、
最近ことに思う。

わたし自身の中に、
わたし自身の生き方・暮らし方にないものを、
自然環境や、なにやに、
エナジーをつぎ込んで築くことはできないだろう。

気づくことはできても。

わたしだけでなく、
きっと、そういうことを感じたり、考えたりする余裕のないヒトは、
きっと、
ヒトとして、サステナビリティのない生き方をしているのではないだろうか。

そしてそれは、大勢、かもしれず。

大勢いると、
それは「普通」になる。

そしてそれが、この国を作っていたりして。

もっともな、確信だったりして。