朝も苦手なわたしが、
とりわけ忙しい朝に気づくことは、
息をしていない瞬間が、多いということ。

お湯をわかしているときでさえ、
服を着替えるとき、
駅の階段を駆け上がるとき、
座席に座って、一呼吸、の直前まで。

呼吸は、
生きることの不可欠な要素でありながら、
平然と無視されている。

こんなにも、苦しい!

と、思うとき、
わたしは息をしておらず、
その一瞬を、生きていない。

忙しさの対局にある瞑想は、ただ呼吸の重みにおいても、生があるのだろう、と思う。