「もしかしたらこの先使うかもしれない。。。」
という思いが少しでもあると、モノを捨てれないという厄介な性格。
思い出の濃度が高いほど、そこにしがみつき
「残しておく理由」を見つけようと必死になる。
個人的に多趣味な方なので、その対象が多すぎて
部屋がすぐに飽和状態になる。
学生の頃はそれが心地よかったりしたのだが
年々その環境が息苦しいというか、誰かが言ってた
「部屋は自分の心の鏡」という教えがずっと胸に留まっており
何とか部屋をスッキリさせようと試行錯誤するのだが
結局モノがありすぎて、収納するスペースがどんどんなくなっていく。
それでもほしいものがあると、ついつい購入追加してしまって
挙句窒息状態になるわけだ。
これって、社会でも同じことが言えるような。。。
人それぞれのキャパ(部屋の広さや数)があって、そこに様々な関係を築いて(収納して)いくわけで
そしていつか飽和状態になって、そこからさらに新しい人と繋がりをもっていくと
やがて繋がった色んな人に気が向いてしまって、自分自身がみえなくなって
何だか苦しくなって。。。。
そりゃ誰だって(とは言い切れないかもだが)繋がりが消えてしまったり、失ったりすることを喜ぶわけがない。
だからこそ「失わない理由」を必死になって探そうとする。
モノも人も沢山あることで救われることも沢山あるのも事実だが
その分同じように息苦しい自分とも対峙していくのも避けられないだろう。
所詮は「気にしい」の独り言だが、意外にこういう人が多そうな。。。
私のマザーもそういう気がありますな。
出会った以上、繋がった以上、大切にしなければならない。
全員完全に同じようにとはいかないけど、それでも均等な配慮をしなければという
思いは常にあります。
だからこそ色んなことが気になって、そっちばっかり考えて。
心のリフォームが出来たらどれだけ素晴らしいだろうかねぇ。
増築増築でっせ。
と、そんなSF物語を妄想しても仕方がないので
4畳半の小さな心で何とかせねばいけない。
生きるってのは常に心との対峙だわ。
あ~釣りに行きたい。
