アドラー心理学を生み出したアルフレッド・アドラーは、
1870年にドイツのウィーン近郊で、ユダヤ人の穀物商の父の元に生まれ、
六人兄弟の2番目として生まれました。
父が穀物商をしていたため、かなり裕福な家庭で育つことができましたが、
母親との関係は、あまりよくありませんでした。
母親は、性格的に冷たい人で、アルフレッドよりも、
一番目に生まれた子を可愛がったということです。
また、アドラーは、くる病を患っており、肺炎で死にかけたこともあり、
医者になる決心をして勉学に励みました。
※くる病とは、成長期(骨の発育期)の小児でカルシウムが骨に沈着せず、
軟らかい骨様組織が増加している状態をいいます。
そして、ついにはウィーン大学の医学部を卒業するまでになり、
最初は、眼下医になり、次に内科医をすることになりました。
この時点では、精神科や心理学者ではありませんでした。
やがて、フロイトの「夢判断」を読んで、フロイトに傾倒し、
あるきっかけから、フロイトと仲良くなりました。
そして、アドラー自身も精神分析学科の中心的メンバーとなり、
精神分析の世界に没頭していくことになるのです。
その後、フロイトとは意見の違いから別れることになりますが、
アドラーは、人間を分割できない全体ととらえ、
行動だけを分析したり、感情だけを分析したり、
認知だけを分析したりするのではなく、
人間一人を総合して研究すべきだという「個人心理学」を提唱したのです。
この個人心理学こそが、のちに、アドラー心理学と呼ばれるものです。
しかし、1914年には、第一次世界大戦が勃発し、
アドラーも、次第に戦争に巻き込まれていきました。
徴兵は免れたものの、軍医として参戦することになりました。
陸軍病院の神経精神科に所属したのですが、
毎日、過酷な診療状態であり、アドラーは眠れぬ日々を
過ごしたといわれています。
その後、アドラーは心理カウンセリングを公開するようになり、
アドラー心理学は、瞬く間にウィーンからヨーロッパ全土に広まっていきました。
このようにして、アドラー心理学が世界中に広まっていき、
今日、日本でも、注目されているという次第なのです。