ほらでいっぱいの町にぼくのうそが白い息と共に流れてる -8ページ目

ほらでいっぱいの町にぼくのうそが白い息と共に流れてる

わたしはかもめ。飛べないかもめ。日記みたいなもの。

もう3年なんですね。
でも、まだ3年とも云える復興の現実。

3年前、仕出し屋で仕事しながら、
「東北ですごい地震があったらしいよ。」
と、同僚の声に、
「そうなんだ。」
程度の感情しか沸かなかった。

その時の関心は、
地元のツタヤが書店になるということ、
僕は仕事帰りに急いでツタヤへ行った。
入店して唖然とする。
ただのレンタルショップだった頃は狭く感じた店内も、
広く感じた。
正直、「やばい!」
という感想だった。
同じく偵察に来ていた駅前の本屋の店主は、
「予想以上だね。」
と言っていた。
その本屋はその年の夏に10周年という区切りという名目で店を閉じた。

そして、帰宅後、
テレビから流れてくる映像で僕は事の重大さを思い知った。

皮肉なことに、
ツタヤの書店は震災の日に産声をあげた。
覚えてもらえやすいと云えばそうだけど、
オープン記念セールなどはやりにくいだろうなと思った。

天災は忘れた頃にやってくる。

寺田寅彦さんの有名な言葉だけど、
震災後、彼の本が再販された。
しかし、今ではランク外になっている。
でも、さげることなく、まだ本を置いている。
そう、この言葉どおり。
いつやってくるかわからないのだ。
だからこそ、置いておきたい。
それは自分の気を引き締めるためでもあり、
誰かがちゃんとメッセージを受け取ってもらえますようにという願いでもある。

そして、1年後の3.11が終わる直後に、
老犬ぶーりん師匠が旅立って行った。
あまり苦しむことなく、静かに息を引き取った。
死に目には会うことができなかったのが悔やまれるが、
日付を越えて、トイレに行こうと1階へ下りた。
いつも階段を降りたところに鎮座していたぶーりん師匠から、
生の気配が消えていた。
乾いた空気の中で小さなさよならが僕の心に響く。
悲しみより、「よかったね」と思った。
その年の初めに、口に腫瘍ができて、
それはみるみるうちに大きくなり、
数日前には、何も口に運べなくなっていた。

さまざまな想いで僕は3.11を迎える。

犠牲者の人たちに、
よかったですね。
と報告できる3.11になるのはまだまだ先のようだ。

先日の会見で安倍首相が言った言葉が気にかかる。
「被災地のできるだけ多くの子どもたちを東京オリンピックに招待したい。」
ねぇ。東北は2020年でもまだ被災地でありつづけなければならないの?
あげあし取りだと思ったけど、2020年までには完璧に復興事業が終わっていて、
本来ならば、
「全国の未来のアスリートたちを招待したい。」
と、して欲しいと思った。
もちろん、安倍首相の想いはわかんないでもないけどね。
でも、どうしても、今の政権が復興に力を入れてるような気がしなくて、
ちょっとしたマイクパフォーマンスにしか思えなかった。

たぶん、テレビは形どおりの関連番組をするだろう。

肝心なのは僕たちの意識。

遠くの出来事だったと思わずに、
向き合いたい。

天災は忘れた頃にやってくるんだから。

『取次屋栄三3若の恋/岡本さとる』(祥伝社文庫)を休憩中に読了。
明日はオフなので、赤穂まで出掛けて続きを購入する予定。
仕出しやも、やっとひとだんらくと云う感じみたいで、なんとか今年も乗り越えられたと胸を撫で下ろす。
でも、毎年思うが、今年で最後にしたいものだ。
しかし、本屋はねぇ。
その前に生協自体が危ないかも(苦笑)
とりあえず、今日もさっさと仕事を終わらせて、パートのお姉様方にお帰りいただいて、好きな音楽でもながしながら、ぼちぼち仕事をしようかな。
なんて思ってます。
基本、人間嫌いなんでねぇ。
もう、直しようないです。このどうしようもない性格だけわ(笑)

春だけど、なんとも安定しない気候。
たぶん、春より夏の方が好きなのは、この今時分の中途半端さにじれったさを感じてしまうのかもしれない。
昨日は久しぶりに1日読みをした。
『闇猫 冴子/安達遥』(徳間文庫)
官能サスペンスと云うか、表紙のわりに、展開がユーモアに充ちていて面白かった。
こういうタイプの本は、挙げ足とるよりも、どっぷりとこの作家の世界観に浸るのが正しい読み方だろう。
んな、あほなぁ!
的な展開も、フィクションだからと思って読めば、面白いと感じるものだ。

その後、さらに女性向けの短編小説を1編読んで就寝。
うちの本屋でいま、イチバンの売れ筋が携帯小説なのだ。ただ、すんなりとその世界に飛び込むのは、準備体操をせずに冷たいプールに入るのと同じ。
売れっ子のコピーライターが書いた小説らしい。
それで、そろりと足を踏み入れてみる。
俺にはもう縁のない恋愛感覚であるが、まぁ、こういう駆け引きも悪くないかもと今は(『今』がポイントね)思う。