普通に生きている。
と、云っても、世界の中で俺一人が生きている訳じゃないから、他と接すると信じられない状況になることがある。
より綿密な関係になる職場は尚更だと思う。
俺自身は我が儘で冷たい人間だから、まだ、この状態でもなんとかやっていけてるけど、正直、お利口ぶってる自分をぶん殴りたくなる衝動に駆られる時がある。
まぁ、今がそうなんだけど(笑)
不安定な足場を慎重に、足を踏み外さないように歩く。
そんな柄じゃないんだけどね。
でも、生きているうちは仕方がない。
じゃ、どうする?
愚痴るしかないよね。
こういう時、ブログって便利だと思う。
ただ、Twitterやlineはある明確な対象があって言葉を発するけど、ブログは放ったら放ったまま。
誰も見てなくても、誰かが見てたとしても、それは自由な事。
ただ、それが行きすぎると、2ちゃんやYahoo!ニュースなどのコメントのように無責任に露骨な中傷を書いたらしまうからだめだと思うけどね。
言葉を発する口と云う機能があるのに、本当に語りたいことはこうしてブログを通してじゃないと語れない。
なんか違う気がするんだけど、良くも悪くも現代的なんだろうかな。
下北沢駅が地下に降りて、
たぶん、もし、行くことがあったら、
異空間にさまよった感じになるんだろうな。
東京は進化を続ける街だから、
もう5年以上行ってなかったら、
確実にリーガルエイリアンな存在になるんだろうな。
しかも、
僕がよく行った場所は、
いわゆるハイソサイティでオシャレを気取る場所じゃなくて、
低所得生活者が行く抜くための場所。
そんな場所が、
進化していく街に残り続けることは不可能に近いのかもしれない。
そして、2020年のオリンピック。
確実に云える事は、
僕の目に焼きついていた。
庶民的な場所は消失しているんだろうな。
でも、微かな期待を持つならば、
そこはライブハウスや小劇団たちが活躍する小屋たち。
そして、それを支える汚いけど安くてボリューム満点のちょっと如何わしいお店たち。
東京という街の別の顔は、
そういう底辺でうごめく人たちにも優しく微笑む陰の場所も息づいているということ。
ただ、確かめようがないから、
どないしようもないけど、
ネットなどの書き込みでは、
僕がよく通った店はことごとくつぶれているようだ。
でも、信じたい。
オシャレな街の裏側には、
それを支えつつ、
うごめく別の顔があることを。
それが共存できるのが、
都市であり、都会ならではの存在理由なんだと思う。
地方にいると、
このメリハリがないのっぺらぼうの場所がそこにある。
ライブが終わった後。
余韻を楽しむように下北沢の駅周辺を
さまよった後になにげなく入った安くてほどほどのラーメンを食べてる感覚は、
たぶん、近代東京にうごめく地下街には響いてこないのかもしれない。
まるで、裏側で生活する事実をシャットアウトするかのように…。
今日は日曜日。
わかっているけど、サービス業をしていると、感覚が麻痺してくる。
昨日は恨みたくなるような帰りは雨降り。
仕出しやを出た時は小雨だったので、思いきって100円ショップに向かう。
前チャリを家の横の空きスペースに置いたままなので、自転車カバーを買うことに、庇があるからある程度の雨には濡れることはないと思うけど、なんとなく、それなりになんとかしてやりたいな。なんて思うのが人情ってやつ。
100円ショップを出ると本降りになっていた。
でも、ある意味では忘れられない負のデビューとなったような気がする。
現にこうしてネタになっているわけだから。
帰宅をすると、愛犬ビビは姉の娘宅へ里帰り。
最近、異様になつかれてちょっと疲れていたけど、居ないとそれはそれで寂しいものである。
高島暦で、2月に何か始めたら吉となっていたけれど、結局何も出来なかった。始めたと云ったら、YouTubeに動画投稿を再開したくらい。
東京に暮らしてた頃に買ったり貰ったデモテープ。
本来、アップするならアーティスト本人の許諾がいるんだろうけど、既に15年の月日が経ち。たぶん、まだ音楽活動をしている人は少ないと思う。
ふと、YouTubeを何気なく開いた時に、忘れてた記憶を箱を見つけてもらえたら、あと、いい曲だから、誰かの心に引っ掛かってくれたら、嬉しいなと思っている。
今夜も何曲かアップするつもりです。
日曜の夜。
ふと思い出す。
でも、今はサービス業。
月曜日はお休み。
ちょっとだけ、優越感に浸ります。
