昭和59年11月3日土曜日晴れ、朝、目を覚まして外を見たら朝モヤが町が見えないくらいに深く垂れ込んでいた。
神秘的な自然の現象に心を奪われた。
天気は久しぶりの晴れで朝食を済ませ身支度を整えて荷物を単車にパッキングして大津に向けて出発した。
8号線を南下する形で鯖江市を通過して起伏のある道路をいくつかトンネルを抜けた先に眼前に碧く光る敦賀湾が広がった快晴の中に碧く光る海は眩しくてキラキラとしていた。
敦賀湾を右手に見ながら心地よいワインディングを走ると県境の峠に古民家を改装した峠の茶屋があったのでそこでトロロ定食を食べた、このうまさに私は驚いた。
美味な定食でおなかが満たされたので再び単車で走り始めた、峠を抜けると8号線は内陸に向けて南下して琵琶湖にぶつかった、今度は海のように広く大きな琵琶湖が眼前に広がったのである。
太陽を燦燦と受けて湖は輝いていた。
今日は道中かなりのツーリング族と呼ばれるバイク族が行き交っていた。
この頃はバイク同士が行き交う時にお互いがピースサインをしあうのが流行であった。バイクブームの最盛期でもあったのでかなり多くのライダー人口がいたのだ。
右手に琵琶湖を見ながら8号線は彦根市からやや内陸に入り若干琵琶湖から離れた位置で並行して大津まで延びていた。近江八幡の丘の上にあるユースに宿泊した。
到着したのが午後3時でまだ陽が高いので受付を済ませて荷物を部屋に置いてユースの入り口で単車にまたがってぼんやりと景色を眺めていたら地元の滋賀ナンバーをつけたヤマハの2サイクルエンジンを搭載したRZ250Rに乗ったライダーに一緒に走らへんか?と誘われた。
ヤマハに乗った彼はフルフェイスのヘルメットに革製のライディングつなぎを着て革製のライディングブーツを履いたいかにも走り屋という出立ちで単車にまたがっていた。
私自身も走り屋を自負していたので誘いを受け入れて峠道を攻めることにした。
ユースの前の道路が峠道で交通量の少ないコーナーカーブの続くワインディング道路で走り屋には堪らない道路であった。
私は久し振りに荷物を降ろし身軽になった単車でアクセルを開けて高速走行をした。
ヤマハにまたがった地元の彼はすこぶる速くて的確にコーナーを1つづつ曲がっていった。
ひらりひらりとまるで蝶が舞うようにリズミカルに走っていた。私も久しぶりにアクセルを思い切り開けてコーナーを攻め込んでみた。
高速でコーナーを曲がろうとすると異常にハンドルが振れて言うことをきかないのだ、旅の間はただ荷物を載せて移動するだけで無理な走行とかはしていなかったので気づかなかったのだが、どうやら以前事故を起こしたときの歪みが残っているようだ。
高速で攻めたりしなければ支障はないので私は地元ライダーの走りを見学することにしてしばらく華麗な走りに魅入っていた。
日が暮れてきたので私は地元ライダーと別れを告げてユースに戻った。
ここのユースは宿泊所と言うよりは研修道場のような施設みたいな無機質な造りの建物であった。
宿泊者は週末と言う事もあってか家族連れが多く見受けられた。いつものユースとはまた違った騒がしさに面食らいながら食事を済ませて入浴を済ませて道路地図で翌日のコース確認をして就寝をした。
