10月1日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

日本酒の日。
1978(昭和53)年、東京都港区西新橋に本部を置く日本酒造組合中央会が、若者の日本酒離れを食止める為に制定。新米による酒造に掛かる月が10月であること、酒壺を表わす「酉」の字は十二支の10番目、さらに、「酒造年度」が10月1日(現在では7月1日)から始まることから、何かと酒に関係の深いこの日を、清酒をPRする「日本酒の日」とした。日本酒造組合中央会は、「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律(酒類組合法、昭和28年2月28日法律第7号)」に基づいて、酒税の保全に協力し 、また共同の利益を増進するために、清酒製造業者によって組織された酒造組合( 税務署単位、或いは都道府県単位)を、全国的に纏めている組織である。米と麹と水を主な原料とする清酒が日本酒であり、単に「酒」という場合も清酒を指すことが多い。日本特有の製法で醸造された酒で、醸造酒に分類される。日本酒は、元々常温で飲用するものである。しかし、富裕な者らの始めた趣向から、徳利を湯煎で温めて飲用する「熱燗」が広まった。20世紀後半以降には冷蔵設備の普及により、冷やしたり氷を浮かべて供することも広まった。そのため日本酒は、約5℃から約60℃まで、幅広い飲用温度帯を有するようになった。このように、同種のアルコール飲料を同じ地域で異なった温度により味わうのが常態となっている例は、他に中国の紹興酒等がある程度で、比較的珍しい。日本酒は、魚介類の臭み消しや香り付け等の調味料として、調理にも使用される。日本酒の製造過程で生じる酒粕も、砂糖や塩を加えた白湯に溶かして飲用する他、粕漬けや粕汁等の料理に用いられる。 
日本茶の日。  
朝廷や京都の民衆に自己の権威を示すため、豊臣秀吉が1587(天正15)年10月1日(旧暦)に、現在の京都市上京区馬喰町にある北野天満宮の境内(北野の森)で、北野大茶会(北野大茶湯とも呼ばれる、大規模な茶会)を開いた故事から、東京都渋谷区本町に本社を置く、茶製品、野菜飲料、コーヒー飲料等を扱う飲料メーカーで、日本茶飲料メーカーとして知られる株式会社伊藤園が制定した。10月上旬は、「お茶まつり」等を開いている茶業家も多い。日本茶の多くは、蒸すことで加熱処理をして酸化・発酵を止めた後、揉んで(揉まないものもある)、乾燥させる製法を取る。この方法は、日本独自で発展したものであり、世界的にみても製茶過程で「蒸し」という工程が行なわれている国は他に類を見ない。一説によると、宋時代の古代中国において少数派であった製法を、たまたま日本が持帰ったもの、と言われている。茶葉は摘んでまもなく加熱処理されるので、すぐに発酵が止まる。このため、日本茶と言えば、普通緑茶を指す。日本茶は寒冷地である北海道を除き、零細規模のものを含め、日本全国に産地が分布する。これは、近隣の寺院が庶民の健康維持や、水を美味しく飲むため、茶の栽培を奨励したことで、そのまま名産地となった地域や、藩政時代に奨励作物として栽培が盛んになった地域が多いためである。また、明治時代から昭和初期までは、輸出用の換金作物として全国各地で栽培が行なわれるようになった。しかし、第二次世界大戦後に主な輸出先であった北アフリカの政情不安や価格競争、輸出国への嗜好変化等もあって、輸出量は大きく落込んだ。一方で、ペットボトル、パック緑茶の普及や健康志向等もあって、減少の一途を辿っていた緑茶消費量は横ばいを続けており、今日では専ら国内で消費される。そのため、日本における茶の自給率は、2011(平成23)年現在で約92%(紅茶等を除く)に及んでいる。 
醤油の日。 
東京都中央区日本橋小網町に本部を置く業界団体、日本醤油協会等の醤油関連団体が2003(平成15)年に制定した日。日付の由来は、「10」が干支で「酉」に当たり、酉が瓶(かめ)に由来する象形文字であることと、「醤油」という語に「酉」が含まれることから。醤油は、主に穀物を原料とし、醸造技術により発酵させて製造する液体調味料であり、日本料理における基本的な調味料の1つとなっている。日本の醤油は独自の発展を経て、明治時代の中期に完成を見た。醤油は、日本料理の調理で煮物の味付けや汁やタレのベースにする等、広く利用されている。また、醤油差しに入れられて食卓に供され、料理にかけたり少量を浸す「つけ・かけ」用途にも使われる。天ぷら、江戸前寿司、蕎麦等、日本の食文化の基本となっている調味料で、主要な産地は千葉県や兵庫県である。日本の醤油には長い歴史があり、各地で独自の風味や味わいを持つ醤油が開発されてきた。1963(昭和38)年に制定された農・林・水・畜産物、及びその加工品の品質保証の規格、日本農林規格(JAS)では、本醸造、混合醸造、混合3つの製造方式による、製造方法、原料、特徴等から、「こいくち」「うすくち」「たまり」「さいしこみ」「しろ」の5種類に分類されている。そして、醤油は「しようゆ」と表記されている。「たまり」は、江戸時代中期までの醤油の主流で、その頃までは、醤油と言えばこの溜り醤油のことで、とろりとしており、旨味、風味、色共に濃厚である。刺身につけたり、照焼きのタレ等に向く。味噌を絞ってその液体部分だけを抽出したもので、原料は大豆が中心である。小麦は使わないか、使っても少量で、豆味噌を絞ったものが中心となっていた。現在では、製法としては普通の醤油(濃口醤油)と同じで、単に小麦を使わないか、少量しか使わないものを「たまり」と称することも多い。「こいくち」は現在、最も一般的な醤油であり、醤油の生産高の約8割を占め、通常「醤油」というとこれを指す。江戸時代中期の関東地方で発祥し、江戸料理の調味料として発達した。醤油特有の香りが高く、たまり醤油のように濃い色を持つ。全国的に最も一般的な醤油であり、食堂にある醤油は、まずこれと思ってよい。様々な料理の味付けに使われ、色付け・香り付けにも使われる。原料の大豆と小麦の比率は半々程度である。「うすくち」は、汁物、煮物、かけうどんつゆ等の料理用に、特に近畿地方で多用される。近畿の料理は昆布ダシを多用し、昆布の風味が失われないよう、香りの薄い醤油が求められた。また、濃口醤油を使うと料理の色が黒くなる(うどん汁が大阪では薄色で、東京は黒いのは醤油の色の違いである)ので、素材の彩りを生かす京料理等に透明な醤油が好まれた。塩分濃度は、濃口より1割程度高い。濃口よりも原料の麦を浅く炒り、酒を加える。仕込み時には、麹の量を少なく、仕込み塩水の比率を高くする。圧搾前に甘酒を加えることもある。酸化して黒みが出ると価値が低いとされているために、濃口醤油より賞味期限が短い。「さいしこみ」は、さしみ醤油・甘露醤油とも呼ばれる、風味、色共に濃厚なもので、江戸時代中期頃に周防国(現在の山口県東南半分)の柳井で考案されたと伝えられる。仕込工程で、塩水の代わりに生醤油や醤油を用いて造る。一般的には淡口醤油の諸味が用いられる。刺身、寿司等に向く。白醤油とも呼ばれる「しろ」は、色が薄く、醤油というよりナンプラー(魚類、又は他の魚介類を主な原料にした、タイ[東南アジアに位置する国]料理には欠かすことのできない液体状の調味料)のような淡い琥珀色をしている。味は、淡泊ながら甘味が強いのが特徴である。茶碗蒸や吸い物、うどんのつゆ、煮物等に向く。原料は大豆が少なく、或いは全く使わず、小麦が中心である。淡口醤油より、淡い色の淡さが特に重要なため、淡口醤油よりも、さらに賞味期限が短くなる。