9月17日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3火曜日 旧暦  8月15日、仏滅、月齢 14.0  
グレゴリオ暦で年始から261日目、年末まであと105日。
誕生花 エリカ(白)・フウセンカズラ。

二十四節気・雑節等
燕去る。
七十二候の1つ(45候)。

中秋の名月。
旧暦八月十五日の夜の月を「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」と呼ぶ。「仲秋の名月」という表現もあるが、この表現では「旧暦8月の月」を指すことになり、十五夜の月に限定されなくなる。「仲秋」とは、秋を初秋(旧暦7月)、仲秋(同8月)、晩秋(同9月)の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指す。対して、「中秋」とは「秋の中日」となり、旧暦8月15日のみを指す。加えて、中秋の夜に雲等で月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」、中秋の晩に雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼び、月が見えないながらも何となくほの明るい風情を賞するものとされる。「望(ぼう)」は、満月を指す。また、俳諧では、8月14日 - 8月15日、8月16日 - 8月17日の夜をそれぞれ「待宵(まつよい)」、「十六夜(いざよい)」と称して、名月の前後の月を愛でる。英語圏では、同時期の満月を表わす表現として「Harvest Moon」や「Hunter's moon」がある。中国から仲秋の十五夜に月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族等の間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船等に乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催した。また、平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだという。現代では、月が見える場所等に、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗等を盛り、御酒を供えて月を眺める(お月見料理)。この時期収穫されたばかりの里芋を供えることから、十五夜の月を特に「芋名月」と呼ぶ地方もある。一方、沖縄ではふちゃぎ(吹上餅)を作って供えている。また、仏教寺院では、豊作を祈る満月法会を催すところもある。この他にも、第二次世界大戦前から昭和中期にかけて(ところによって今日でも)、子ども達が近隣の各家に供えてある月見団子や栗・柿・枝豆・芋・菓子類を、その家人に見付からないように盗って回り、その年の収穫を皆で祈る(祝う)「お月見泥棒」という風習もあった。家人は、子供達の行ないを見付けても見ない素振りをした。秋分は、北半球では太陽と月の角度により月の(地球から見た)位置が観月に最も適しており、これは旧暦の8月に当たる。今日における新暦(グレゴリオ暦)の日付では、秋分(9月23日頃)の前後半月の期間(1ヶ月間)の中で変動する。十五夜の日は満月の日に近い日ではあるが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多い。その差は最大で2日である。月見だんごは、十五夜に月に供える団子である。団子粉(うるち米やもち米を精白し、水に漬けて粉砕し、乾燥して作る粉)で作った丸い形のもので、団子をピラミッド状に重ねたものや、関西で多くみられる、細長い団子に餡を巻いて「芋名月」にお供えする「衣被(きぬかつぎ)」(里芋の子の小芋を皮付きのまま蒸したもの)を模したもの、名古屋市近辺で多くみられる白・ピンク・茶色の3色で、餡を巻かずに里芋の形に似せて丸めたものがある。
すっぽんの日。
すっぽんの養殖地として全国的に有名な静岡県浜名郡舞阪町(現在の静岡県浜松市西区舞阪町)の舞阪町観光協会が、すっぽんの養殖が始まって100年となる2000(平成12)年の10月に制定した日。滋養に優れたすっぽんを広くアピールすることが目的。日付は、「月とすっぽん」のことわざから十五夜の日に。また、中秋の名月の頃は、すっぽんに脂が乗って一層栄養価が高くなることも理由の1つ。すっぽんは、爬虫綱カメ目スッポン科の亀である。日本では本州以南に生息するが、養殖場から逃亡した個体に由来する個体群と、自然個体群の両方が生息するため、正確な自然分布については不明な点が多い。日本国内に生息している個体群は、本州、四国、九州のものは、主として在来個体群に起源すると考えられているが、南西諸島の個体群は、過去に中国等、海外から人為的に持込まれたものが起源と考えられ、その由来の追跡研究も現在行なわれている。最大甲長は38.5cm。他の亀と異なり、甲羅表面は角質化していないので軟らかく、英訳の「Soft-shelled turtle(柔らかい甲羅を持つカメ)」もこのことに由来する。この甲羅の性質のため、他のカメよりもかなり体重が軽い。幼体は、腹甲が赤みがかり黒い斑紋がある。成体の腹甲は白やクリーム色。噛みつく力は強く、すっぽんの体に触った場合は、自己防衛の為に食い付こうとする。「雷が鳴っても離さない」という譬えがある、噛付いたすっぽんは、首を甲の内側に引っ込める。噛まれた場合は動かさずにいると、10秒程度で噛みを止める。噛付かれても、大抵の場合は水に戻せばそのまま泳いで逃げる。古くは、物事をしつこく探求する者を「スッポンの何某」と呼ぶこともあった。すっぽんは日本や中国では、古くから食されていたようである。日本列島においては、縄文時代中期の貝塚や弥生時代の貝塚等から出土している。また、すっぽんは、主に西日本の食文化であったが、近世には関東地方へももたらされ、現在の東京都葛飾区青戸にある葛西城跡では、中世末期から近世初頭の多数のすっぽんが出土している。美味しいダシがでるため、日本酒とすっぽんで拵えた「スープ」や雑炊、吸い物は日本料理の中では高級料理とされる。甲羅、爪、膀胱、以外は全て食べられることが特徴である。すっぽんの形状が丸いため、「まる」とも呼ばれる。解体することを、専門用語では「四つ解き」等とも言う。専門店や知識のある店では食前酒として、すっぽんの活血を日本酒等のアルコールで割ったものを供し、ワイン等で割った血を供す店もある。全体を乾燥して粉末化した健康食品に用いられることも多い。滋養強壮の食材とされているが、肉には水分が多い。蛋白質、脂質が少なく、カロリーは低い。また、ビタミンAやビタミンB1は多いとされる。
月見酒の日。
京都市伏見区南浜町に本社を置く老舗の日本酒メーカー、月桂冠株式会社が制定。まろやかな味わいと、すっきりとした後味が特徴の清酒「つき」を、より多くの人に味わってもらうのが目的。日付は、銘柄名から月が1年で最も美しく、風流な「月見酒」を楽しむのにふさわしい「中秋の名月」の日とした。月桂冠株式会社は、2017(平成29)年に創業380年、「つき」の発売20周年を迎えた。創業が他業界と比べて非常に古いと言われる日本酒業界の中でも、「月桂冠」の歴史は古く、創業は1637(寛永14)年にまで遡る。1868(慶応4)年の戊辰戦争(明治新政府が、日本を統治する政府として国際的に認められることとなった内戦)の緒戦となった戦い、鳥羽・伏見の戦いでは、酒蔵等が被害を受けるものの、本宅が被害を受けずに済み、廃業を免れたという歴史的な経緯もある。明治時代以降は、全国的な清酒メーカーとして発展した。「つき」の販売本数は、2Lパック換算で約2億本の累計本数)に達しており、多くの人から愛されているロングセラー商品となっている。美味しい酒を造るためには、何よりも良い米と良い水が必要不可欠である。「つき」を始め、月桂冠の日本酒は、発祥の地「伏見」の水の豊かさを象徴する地下水「伏水」を仕込み水として用い、日々酒造りに勤しんでいる。
モノレール開業記念日。
東京都内で東京国際空港(羽田空港)アクセスモノレール路線「東京モノレール羽田空港線」を経営する東日本旅客鉄道(JR東日本)グループの鉄道会社、東京モノレール株式会社(本社所在地は、東京都港区浜松町)が制定。1964(昭和39)年9月17日、浜松町駅 - 羽田駅(後に移設され、天空橋駅に改称)間の東京モノレール羽田線(現:東京モノレール羽田空港線)が開業した。これが日本初の旅客用モノレールとなるが、遊覧用のものでは、1957(昭和32)年に上野動物園に作られたものが最初である。「東京モノレール羽田空港線」は、東京都心と東京国際空港(羽田空港)を結ぶアクセス路線として、モノレール浜松町駅 - 羽田空港第2ビル駅間を普通列車では約23分、空港直行列車である「空港快速」では約18分で結んでいる。1964(昭和39)年秋の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の開催で、日本国内外からの羽田空港利用客の都心への、アクセスの改善を目的として建設され、10月10日の東京オリンピック開会式前の9月17日に開業した。この路線は、車両の下にレールがあり、レールに車両が乗っている形態のモノレールである跨座式モノレールで、殆どの部分が高架線であるが、羽田空港旅客ターミナル移転に伴なう路線の移設・延長により、天空橋駅付近と新整備場駅 - 羽田空港第2ビル駅間は地下線となっている。路線距離は17.8km、駅数は起終点駅を含めて11駅、最高速度は時速80kmである。当初は、新橋駅を起点として計画されたが、用地確保の目処が立たず、止むなく浜松町駅(新橋駅から1駅南隣の品川駅寄り)をターミナルとしている。東京オリンピックに間に合わせるため、用地買収が不要な京浜運河の上に多くの区間が建設されるが、終夜の突貫工事が行なわれたため多大な工費が掛かり、その後の経営の足枷となった。開業当初は途中駅が全くなかったため、空港利用客以外の乗客がいなかった。また、運賃が割高で、旅客機利用や海外旅行が一般的でなかったこともあり、乗車率は20%台に留まった。その後、国際・国内空路の拡大と共に空港利用客は増加、首都高速道路の渋滞で、路線バスやタクシーよりも速いとのイメージの定着から、乗客は徐々に伸び、1970年代中頃には、羽田空港へのアクセス路線として定着していった。1998(平成10)年、それまで空港の外れの位置までで、直接空港内には乗入れておらず、アクセス路線としては殆ど機能していなかった京浜急行電鉄(京急)空港線が空港内に乗入れた。さらに、京成電鉄や東京都交通局等、5社局(当時)が相互乗入れすることによって、羽田空港と千葉県方面を結び、羽田 - 成田間の直通連絡特急(エアポート快特)の運転も開始された。そのため、浜松町でJR線と接続しているとはいえ、広域で見た場合のネットワークにやや劣ることもあり、開通以降長らく続いてきた「羽田空港への唯一の軌道系公共交通機関」から一転、激しい競争にさらされた。1997(平成9)年に最高の約6,500万人を達成した輸送人員が、京急乗入れ後は約3割減少した。羽田発着の航空機の増加への対応や、京浜急行電鉄等との競争のためには増発が必要になったが、ネックになったのは、単線ホームの浜松町駅で、改築が急務となった。羽田空港アクセスに参入する意向を持っていた東日本旅客鉄道(JR東日本)は、2002(平成14)年に東京モノレールを子会社にして、次々と改善策を行なった。まず、浜松町駅のJRコンコースから直接乗換えができる(逆は不可)新改札口「モノレール口」を設置し、京浜東北線の快速を浜松町駅に停車するようにした。また、Suica(東日本旅客鉄道[JR東日本]等で導入されている共通乗車カード・電子マネー)を導入し、東京モノレールは「モノレールSuica」を発行・運用開始し、全ての駅でSuicaを使用可能にした。さらに、「特別企画乗車券で羽田空港駅から東京山手線内各駅への格安乗車券を発売(モノレール&山手線内割引きっぷ)」「ホリデー・パス(現:休日おでかけパス)を260円値上げし、東京臨海高速鉄道りんかい線と共に乗車できるよう変更」等の策を行なった。2002(平成14)年、2003(平成15)年度から予定していたワンマン運転を前倒しで開始し、2004(平成16)年8月8日からは、終日に亘って快速運転を開始した。同年12月1日には、東京国際空港(羽田空港)第2旅客ターミナルの供用開始に伴ない、羽田空港駅 - 羽田空港第2ビル駅が延伸開業し、同時に羽田空港駅が羽田空港第1ビル駅に改称された。2007(平成19)年3月18日には、昭和島駅の待避線が完成して追越し運転が可能となり、さらに空港アクセスの競争力強化が図られた。このダイヤ改正では、「快速」を廃止して新たに「空港快速」と「区間快速」を運転開始し、速達性でも京浜急行電鉄(京急)に対抗している。東京国際空港は、2010(平成22)年10月31日に国際線の定期乗入れを再開した。これに合わせて、空港南側の環状八号線沿いに建設される新国際線ターミナルビルに、「羽田空港国際線ビル駅」が設置されることになり、同年4月11日より、天空橋駅 - 新整備場駅間の軌道の一部が新ターミナル敷地内へ移設され、10月21日に駅が開業した。なお、同地には、京浜急行電鉄(京急)空港線にも新駅「羽田空港国際線ターミナル駅」が同日に設置された。2014(平成26)年9月には開業50周年を迎え、累計輸送人員は約18億人に達している。都心のターミナル駅である浜松町駅の整備計画が、2009(平成21)年6月に東京モノレールから国土交通省に報告された。開業から45年間そのままであった、軌道1本(単線)構造の現在の駅施設を、ホーム2面・軌道2本(複線)に改良するというものである。概算事業費は約260億円で、地元協議から設計を経て、工事が終了するまで約6年半と見込んでいる。これにより、1時間当たりの最大運転本数を現在の18本から24本に増やす計画である。同時に、新橋延長に対応した構造となる。当初、JR線路の東側に移転することも検討されたが、コスト面等の理由で、現在の場所にある駅の拡張に留まった。なお、当初の移転先には、東日本旅客鉄道(JR東日本)の北口新駅舎が建設される計画がある。2002(平成14)年には、親会社の東日本旅客鉄道(JR東日本)が長期計画として、東京モノレールを浜松町(新駅)より新橋に延長する計画を発表し、これが日本経済新聞に掲載された。路線の用地取得問題に関しては、JR線上空を使用することで目処が付いている。但し、新橋駅の設置場所や、途中駅を設けるかについては明らかにされていない。駅用地は、ゆりかもめ新橋駅付近等が候補に挙がっている。また、新橋への延伸工事の着工は、羽田空港国際線ビル駅の建設と、浜松町駅の拡張工事が完了してからになる予定である。2010(平成21)年9月には、新橋駅、若しくは東京駅に延伸するため本格的な検討に入ったと、東京新聞が報じている。延伸が検討された理由は、浜松町駅に乗入れている路線が限られており、JRと東京モノレールを利用して、成田空港から羽田空港に移動すると、乗換えが2回必要であるため、競合する他の交通機関に劣ることである。