9月16日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3月曜日 旧暦  8月14日、先負、月齢 13.0 
グレゴリオ暦で年始から260日目、年末まであと106日。
誕生花 リンドウ・オリヅルラン。

敬老の日。 
9月第3月曜日。「国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)」第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。2002(平成14)年までは毎年9月15日を敬老の日としていたが、2001(平成13)年の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」改正(ハッピーマンデー制度、「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律[平成13年6月22日法律第59号]」)により、2003(平成15)年からは9月第3月曜日となった。兵庫県多可郡野間谷村(後の兵庫県中部八千代町を経て現在の兵庫県多可郡多可町八千代区)の門脇政夫村長(後に兵庫県議会議員)と山本明助役が1948(昭和23)年に提唱した「としよりの日」が始まりである。「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」と、農閑期に当たり気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、前年から敬老会を開いていた。1948(昭和23)年7月に制定された「国民の祝日に関する法律(祝日法)」において、こどもの日と成人の日は定められたものの、老人のための祝日は定められなかった。門脇政夫村長は、1948(昭和23)年9月15日に開催された第2回「敬老会」において、9月15日を「としよりの日」として、村独自の祝日とすることを提唱した。さらに、門脇政夫村長は県内の他の市町村にも祝日制定を働き掛け、その趣旨への賛同が広がった。これが1950(昭和25)年からは兵庫県全体で行なわれるようになり、後に全国へも広がった。その後、「としより」という表現は良くないということで、1964(昭和39)年に「老人の日」と改称され、翌年に野間谷村からの政府への繰返しの働き掛けもあり、国民の祝日「敬老の日」に制定された。このため、「母の日」のように、輸入された記念日と違い、日本以外の国にはない。但し、五節句の1つであり、邪気を払い長寿を願う9月9日の「重陽」と、主旨が類似している。森羅万象(宇宙のありとあらゆる事物)をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の2つのカテゴリに分類する思想、陰陽思想では、陰と陽とは、互いに対立する属性を持った2つの気であり、万物の生成消滅と言った変化は、この2気によって起こるとされる。奇数は陽の数であり、陽数の極である9が重なる日であることから、9月9日は「重陽」と呼ばれる。奇数の重なる月日は、陽の気が強過ぎるため不吉とされ、それを払う行事として節句が行なわれていたが、九は、一桁の数の内で最大の「陽」であり、特に負担の大きい節句と考えられていた。後に、陽の重なりを吉祥とする考えに転じ、祝い事となったものである。9月という開催時期には、農閑期であることや気候に加え、「養老孝子伝説」も参考にしたという。美濃国(現在の岐阜県南部)に、源丞内(げんじょうない)という貧しい若者がいた。源丞内は、老父を家に残して山へ「まき」を拾いに行き、それを売って、米や老父のための酒を買うのが日課で、老父は、目が不自由で日々酒だけが楽しみであった。ある日、源丞内が山の中で転んで眠ってしまったところ、夢の中で酒の匂いがした。目が覚めると、香り高い酒が湧き出る泉があり、源丞内は喜んで、老父にその酒を与えた。すると、老父の目が見えるようになる。酒の泉は、不自由な体を直すということで有名になった。この「養老孝子伝説」の源丞内ゆかりの神社と言われる養老神社は、現在の岐阜県養老郡養老町にあり、養老神社の境内には菊水泉がある。その近くには、落差約32m、幅約4mの養老の滝があり、この滝の水が酒になったとも言われる。717(霊亀3)年、第44代天皇、元正天皇はこの地を行幸し、霊泉で体を洗うと病気が全快した。そして、『醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし』との詔を出して「養老」に改元し、全国の高齢者に賜品を下した。この養老年間には、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』が完成している。なお、元正天皇は、女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。平安時代初期に編纂された勅撰史書『続日本紀』には、「慈悲深く落着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されている。歴代天皇の中で唯一、母から子への女系での皇位継承が行なわれた。この他、飛鳥時代の皇族・政治家、聖徳太子が四天王寺(現在の大阪市天王寺区四天王寺に所在)に、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設である悲田院を建立した日が、593(推古天皇元]年9月15日であるとして、敬老の日をこれに由緒付ける説もある。現在も寺に伝わり、国宝に指定されている書物『四天王寺縁起』によれば、聖徳太子が四天王寺建立と同時に悲田院を含む「四箇院」(現代でいう社会福祉施設)を設立したとあるが、「9月15日」という日付には根拠がない。四天王寺悲田院の伝統を継ぐとする社会福祉法人四天王寺福祉事業団も、「敬老の日」由来の諸説の1つとして挙げるに止まる。なお、四箇院の創設者を聖徳太子とする伝承も、後年の太子信仰の中で仮託されたものと考えられている。なお、大阪市天王寺区四天王寺に所在する社会福祉法人、四天王寺福祉事業団は、社会福祉を目的とする事業の内、規制と助成を通じて、公明かつ適正な実施の確保が図られなければならないものとされる社会福祉事業や、公益事業等を手掛け、22ヶ所の施設を運営している。
グランド・ジェネレーションズ デー。
若々しく年齢を重ね、豊かな知識と経験を持ち、第二の人生をさまざまなライフスタイルで楽しんでいるGRAND GENERATION(G.G)世代。その世代にエールを送り、より輝きを増す日にと、千葉市美浜区中瀬に本社を置き、総合スーパー(GMS)、及びスーパーマーケット(SM)の「イオン」、「イオンエクスプレス」(小型スーパーマーケット)、「イオンスポーツクラブ」(スポーツクラブ)、「キッズリパブリック」(ベビー・キッズ向け総合専門店)等を運営する企業、イオンリテール株式会社が制定。日付は、「敬老の日」を尊重して。
海老の日。
長いひげを持ち、腰の曲がった姿が凛とした老人の相に似ていることから、長寿の象徴とされる海老。目玉が出ていて、「お目出たい」といわれる縁起の良い海老。その海老を「敬老の日」に食べて、日本を支えてこられた高齢者の方々に感謝と敬意を表わし、末永い健康と長寿をお祝いする日にと、愛知県西尾市一色町坂田新田沖向に本社を置く、老舗の海老専門業者、毎味(ことみ)水産株式会社が制定。「敬老の日」には海老を食べる、という新しい食文化を提案している。プレゼントには、「エビせんべい」等も人気となっている。毎味水産株式会社は、1950(昭和25)年に創業した会社で、企業理念は「『毎日を美味しく』その真心を食卓へ届けたい。」で、社名の「毎味」も、これに由来する。海老一筋で、海老のプロが集まる会社である。創業以来、海老せんべいの故郷と呼ばれる愛知県の一色町(愛知県幡豆郡にあった町で、2011[平成23]年4月1日に西尾市に編入されており、現在の西尾市南西部に相当する)で小海老原料の販売から手掛け、現在では、輸入業・水産加工業・卸業・ベンダー業(製品の供給業者)と、その時代時代に応じて取扱い品目を増やし、2020(令和2)年には、創業70周年を迎えた。和語の「えび」は、元々は葡萄、或いはその色のことであった。葡萄の色に似ていることから、蝦・海老のことを「えび」と呼ぶようになった。現在でも、「葡萄色」と書いて「えびいろ」とも読む。漢字表記の「海老」や「蛯」の字は、曲がった腰と長い髭を老人に見立てたものである。英語における呼称は、大きさにより分けられており、イセエビ程度のサイズで「lobster(ロブスター)」、クルマエビ程度で「prawn(プローン)」、小さなエビは「shrimp(シュリンプ)」と呼ばれる。なお、カブトエビ、ホウネンエビ、カイエビ、ヨコエビ、シャコ、オキアミ、カブトガニ等は、名前に「エビ」と付いていたり、姿形がエビと類似しているが、エビ目ではない。海老の体表は、動物繊維の一種であるキチン質(蟹の甲羅や海老の殻を構成する成分で、昆虫や多くの微生物の表皮も、このキチン質で構成されている)の殻に覆われ、頭胸部と腹部に大きく分けられる。頭部と胸部は頭胸甲で繋がる。複眼の間に額角(がっかく)という尖った角があり、これの形状も種類を判別する手掛かりの1つになる。頭胸甲内の歩脚の近くに鰓をもち、呼吸を行なう。ヤドカリや蟹には陸上生活できるものもいるが、海老には乾燥した陸上で生活できる種類はいない。頭胸部には13対・26本もの付属肢があり、前の方から2対の触角、大あご、2対の小あご、3対の顎脚、5対の歩脚へと変化している。触角は周囲の様子を探る器官、大あごと小あごは餌を咀嚼する器官、顎脚は餌を掴んだり小さくちぎったりする器官、歩脚は歩くための器官である。分類群によっては、顎脚や歩脚の先が鋏に変化しており、このような脚を鋏脚(きょうきゃく)、又は鉗脚(かんきゃく)と呼ぶ。ザリガニやロブスター等は、鋏脚が特に大きく発達し、敵に対して大きく振りかざして威嚇したり、敵を挟んで撃退することもある。腹部は6節に分かれ、それぞれの節が腹甲に覆われ、内部は消化管を囲むように筋肉が発達する。腹節の下部には腹肢をもち、泳ぐ時や卵を抱える時に使う。尾部(しっぽ)は中央の尾節と左右に2対の尾肢があり、尾扇という扇子のような構造となる。敵に襲われた時は腹部を勢いよく下に曲げ、大きく後ろへ飛び退いて逃げる動作を行なう。殆どの海老が食用にされ、大小さまざまな海老が漁獲・消費されている。陸上の昆虫等と異なり、少ない労力で大量に捕獲できるため、世界中で利用されている。肌や髪のツヤ・ハリに作用するタウリンや、骨を丈夫にするカルシウムが含まれている。天ぷら等のエビの調理の際には、背ワタを取り、尾の先端を切る下処理が行なわれることも多い。背ワタと共に、腹ワタを取ることもある。海老を使った料理は、刺身、茹でエビ、焼きエビ、佃煮、グラタン、寿司、天ぷら、エビフライ、えび団子、ハトシ(主に東南アジアや日本の長崎で食べられている、食パンの間に海老等のすり身を挟んで、油で揚げた料理)、焼売、餃子、エビチリ、炒め物、鉄板焼き等多種多様である。スナック菓子としても、煎餅(えびせん、海老満月)、シュリンプロール等が作られている。漁法としては、主に刺し網、徒手採捕、かご・どうを用いた漁法で漁獲する。ウシエビ(ブラックタイガー)等の海老は、東南アジアを中心とする海外で大規模に養殖されている。これらの海外養殖では、養殖場確保のためにマングローブ林が伐採され、養殖後は汚染された湿地が残される等、環境問題も指摘されている。なお、海外の海老養殖の多くは日本、及びアメリカ向け輸出用の生産が大半を占めている。熱帯域の浅い海に生息する大型のエビで、日本では高級食材として扱われるイセエビ(伊勢海老)には、別名に外房イセエビ(千葉県産)、志摩海老(三重県産)、鎌倉海老(神奈川県産)等がある。全国水揚げ量のトップ2は千葉県と三重県で、両県で全国漁獲量の約40%を占める。体型は太い円筒形で、全身が暗赤色で、棘だらけの頑丈な殻に覆われ、触角や歩脚もがっしりしている(稀に、青色の個体も存在する)。外洋に面した浅い海の岩礁や、サンゴ礁に生息する。昼間は岩棚や岩穴の中に潜み、夜になると獲物を探す。食性は肉食性で、貝類やウニ等、色々な小動物を主に捕食するが、海藻を食べることもある。イセエビ類は、古くから日本各地で食用とされており、鎌倉蝦、具足海老(海老の甲羅を具足[鎧兜]に見立てた呼び方)等とも呼ばれていた。また、日本語の「エビ」は、長い触角をしたイセエビ(伊勢海老)を、「柄鬚」と表記したことが始まり、という説がある。
軽量の日。
9月第3月曜日。梱包材として使われる気泡シート「プチプチ」気泡ボード「プラパール」。これらの商品は、とても軽くてお年寄りでも楽に運べることから、愛知県名古屋市中区丸の内に本社、東京都千代田区五番町に本店を置く、「プチプチ」「プラパール」等を製造販売する梱包資材(緩衝材)メーカー、川上産業株式会社が制定。日付は、ギリシャ神話に登場するかわいい妖精「ナイアド」を記念日のシンボルとしたことから。「ナイアド」は、以前は冥王星がより太陽に近い惑星(現在では、冥王星は準惑星に区分される)であったために、第九惑星ともみられた海王星の第3衛星の名前であるため、9月と第3月曜日を組合せたもの。川上産業株式会社は、包装等に使用される緩衝材(動きの異なる複数の物体が干渉し合うことによって、物体が破損することを防ぐために、間に挟む素材)の1つ、気泡緩衝材や気泡ボード、その他、梱包資材の製造・販売を行なっており、この分野では国内最大手である。
オゾン層保護のための国際デー、国際オゾン層保護デー
(International Day for the Preservation of the Ozone Layer)。
1994(平成6)年の国際連合総会で定められた記念日で、国際デーの1つ。日本では、「オゾン層保護のための国際デー」がある9月をオゾン層保護対策推進月間と定め、国、地方公共団体等において、諸々の啓蒙活動を集中的に行なっている。また、環境保全政策等を掌る中央省庁、環境省は、オゾン層保護対策と地球温暖化防止対策の促進を目的として、産業情報紙(ビジネス全般に関する話題を広く扱う新聞)を発行する日刊工業新聞社が毎年実施している表彰制度、「オゾン層保護・地球温暖化防止大賞」等を後援する等、関連行事への協力も実施している。1987(昭和62)年、カナダで「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書(モントリオール議定書、昭和63年条約第9号)」が採択された。モントリオール議定書の主な内容は、オゾン層を破壊するおそれのある物質を特定し、当該物質の生産、消費及び貿易を規制して、人の健康、及び環境を保護することである。日本では1988(昭和63)年に、「特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律(オゾン層保護法、昭和63年5月20日法律第53号)」が制定され、フロン類の生産や輸入の規制を行なっている。オゾン層(大気中のオゾン総量の約9割が存在する成層圏[大気の鉛直構造において一番下の層である対流圏の直上層]の高濃度オゾン帯を指し、高度約10kmから約50km付近とされる)が有害な紫外線から地球を守っていることや、自然が豊かな場所で空気が清浄であることを「オゾンが多い」と表現する(実際にオゾンで汚染されている訳ではない)ことから、「オゾンは体に良い」という誤解があるが、オゾンが殺菌・消毒に用いられることからも分かるように、生物にとっては有害である。なお、光化学スモッグは、光化学オキシダント(窒素酸化物[NOx]と炭化水素[炭素原子と水素原子だけでできた化合物の総称]とが光化学反応[物質が光を吸収して化学反応を起こす現象]を起こし生じる、オゾンやパーオキシアシルナイトレート等の酸化性物質[オキシダント]の総称)を主成分とするスモッグである。このスモッグとは、大気中に大気汚染物質が浮遊しているため、周囲の見通し(視程)が低下している状態を指す言葉であり、高濃度の大気汚染の一種である。工場や自動車の排気ガス等に含まれる窒素酸化物や炭化水素が、日光に含まれる紫外線により光化学反応を起こして変質し、オゾン等が発生する。夏に多く、日差しが強くて風の弱い日に特に発生し易い。1839(天保10)年にスイスの化学者クリスチアン・シェーンバインがオゾンを発見し、その特有の臭いから、ギリシャ語で「臭い」を意味する「ozein」に基づいて命名した。1879(明治12)年にフランスの物理学者マリー・アルフレッド・コルニュが、太陽光のスペクトル(光をプリズムや回折格子といった分光器を通すことにより得られる、電磁波の波長毎の強度の分布)観測において、300nm(ナノメートル[1ナノメートル = 0.000 000 001m])付近より短い波長の紫外線が地表付近で観測されず、大気による紫外線の遮蔽があることを発見した。1881(明治14)年にアイルランドの化学者ウォルター・ハートレイは、実験室内で300nmより短い波長の紫外線が、オゾンにより強く吸収されることを発見し(ハートレー帯吸収)、大気による紫外線隠蔽の原因はオゾンであると提案した。1913(大正2)年にイギリスの物理学者ジョン・ウィリアム・ストラット(第3代レイリー男爵、レイリー卿)は、下層大気では紫外線の吸収が無いことを発見した。そして、同じ1913(大正2)年には、フランスの物理学者・天文学者シャルル・ファブリとフランスの物理学者アンリ・ビュイソンによって、「オゾン層」の存在が発見された。1920(大正9)年には、イギリスの物理学者・気象学者ゴードン・ドブソンが、科学的測定によって、オゾン層の存在を証明した。成層圏中では、酸素分子が、太陽からの約242nm以下の波長の紫外線を吸収して光解離し、酸素原子になる。この酸素原子が、酸素分子と結び付いてオゾンとなる。また、生成されたオゾンは、約320nm以下の波長を持つ紫外線を吸収し、酸素分子と酸素原子に分解するという反応も同時に進行する。オゾンは主に、日射量の多い赤道上の熱帯成層圏下部で最も活発に生成されている。生成されたオゾンは、赤道から両極に向かうブリューワー・ドブソン循環によって高緯度の成層圏に運ばれるので、中・高緯度地域の方が熱帯地域よりもオゾンが多くなる。ブリューワー・ドブソン循環は、成層圏下部に当たる高度20km付近で1年中続いているため、オゾン輸送は年中途切れない。しかし、冬に当たる成層圏には、極付近に極渦というジェット気流帯があり、その南北を跨ぐ熱や物質の輸送が起こりにくいので、熱の輸送が遮断されて低温になり、南極では、冬の間に大量の極成層圏雲(PSC)が生成される。春から初夏にかけて、この氷の雲が融解すると同時に、塩素原子が大量に発生する。極成層圏雲(PSC)の表面ではオゾンの分解反応が促進され、オゾン濃度が急低下し、春季にオゾンホール(南極や北極上空の成層圏のオゾン層における、春期のオゾンの濃度の減少)が発生する主因となる。一方、北極では、ロスビー波(大陸・海洋の温度差や地形の高低差等によって大気が揺すぶられて生じる自由振動の波の1つで、惑星の自転に伴なう回転がある緯度に及ぼす効果[惑星渦度]が、北である程大きく[北極で最大値、南極で最小値、赤道上で0]、低気圧の西側では、北から南に大きな[低気圧性の]惑星渦度が、東側では南から北に小さな惑星渦度が運ばれてくるため、ロスビー波の位相が西にずれ、東西方向へは位相が西に伝播する)の影響で極渦が南北に乱されるため、極成層圏雲(PSC)の生成に至る程、気温は低下せず、オゾン濃度の低下も起こりにくい。オゾンは、ヒドロキシラジカル(いわゆる活性酸素と呼ばれる分子種の中では最も反応性が高く、最も酸化力が強いもので、糖質やたんぱく質や脂質等、あらゆる物質と反応する)、一酸化窒素、塩素原子等の存在によって分解される。これらは、成層圏で自然にも発生するものであり、オゾンの生成と分解のバランスが保たれてきた。ところが20世紀に入り、冷蔵庫、クーラー等の冷媒やプリント基板の洗浄剤として使用されてきたフロン等、塩素を含む化学物質が大気中に排出された。1974(昭和49)年にアメリカの大気化学者フランク・シャーウッド・ローランドとメキシコの化学者マリオ・モリーナは、成層圏で活性化した塩素原子はオゾンを分解することを指摘(両者は、ドイツの大気化学者パウル・クルッツェンと共に、1995[平成7]年にノーベル化学賞を受賞)していたが、1985(昭和60)年にイギリスのジョゼフ・ファーマン、ブライアン・ガーディナー、ジョナサン・シャンクリンが、南極上空のオゾンが春季に減少する現象を論文で発表したことで、これが国際的な問題として浮上し、同年には「オゾン層の保護のためのウィーン条約(ウィーン条約、昭和63年条約第8号)」が採択された。2年後の1987(昭和62)年には、「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択され、世界的にフロン規制が始まった。産業活動や自動車の排煙に含まれる大気汚染物質であり、火山ガスにも含まれる硫黄酸化物が反応して生成される硫酸エアロゾルも、触媒としてオゾンの分解に寄与する。フィリピン北部のルソン島西側にあるピナトゥボ山が噴火して、硫酸エアロゾル濃度が大きく増加した後の1992(平成4)年と1993(平成5)年には、北半球のオゾン濃度も大きく低下した。このままオゾン層が破壊され、地表に有害な紫外線が増えると、皮膚がんや結膜炎等が増加すると考えられている。