9月15日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0668年 - 軍の中に不満が高まったことから、自ら軍を率い、繰返して遠征を行なった東ローマ皇帝コンスタンス2世が暗殺される。 
1590年 - スペインでの教皇使節を長く務めたジョヴァンニ・バッティスタ・カスターニャが、スペイン系枢機卿達の後押しで、ウルバヌス7世としてローマ教皇に選出される。しかし、ウルバヌス7世は、在位13日でマラリア(「悪い空気」という意味の古いイタリア語が語源とされる、熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫[寄生性で、特に病原性のある原生動物]感染症)のため病没し、在位期間史上最短のローマ教皇となる。 
1789年 - アメリカ合衆国外務省が国務省に改称され、内政の任務が割当てられる。内政任務の大半はその後、19世紀に設立された他の省庁に引継がれ、外交に関する任務だけが残余しており、現在では、他国における外務省と殆ど変わらないが、外交のみならず、通商や国家行事等も担当することがあり、他国での通常の外務省よりも、その管掌範囲は広い。 
1821年 - 中央アメリカに位置するコスタリカ、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、エルサルバドルが、それぞれスペインからの独立を宣言する。 
1830年 - イギリスで、世界で最初の実用的な蒸気機関車を用いた鉄道、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道が開通。リバプール・アンド・マンチェスター鉄道は、アイルランド島とグレートブリテン島を隔てている海、アイリッシュ海に面するリバプールの港と、綿工業等が発展し、産業革命において中心的役割を果たしたことで知られているマンチェスターとその周囲の北西イングランドの町の工場を結んで、原料と製品をより高速に輸送できるように建設されたものである。開業式典当日に、リバプール選出の議員であるウィリアム・ハスキソンが、列車に轢かれて死亡するという最悪の事態に見舞われる。これが、世界初の鉄道人身障害事故となる。幸先の悪い開業日であったが、その後の経営は極めて好調であり、開業後数週間にして最初の臨時列車が運行され、世界で最初の鉄道郵便の営業も行なわれている。なお、リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の建設した当初の路線は、今でも両都市を結ぶ路線として使用されている。 
1835年 - イギリス海軍の帆船『ビーグル号』による世界探検の途上であったイギリスの地質学者・生物学者、チャールズ・ダーウィンが、東太平洋上の赤道下にあるガラパゴス諸島に到達する。南アメリカ西部に位置するエクアドル領の諸島、ガラパゴス諸島は、エクアドル本土より西約900kmにあり、大小多くの島と岩礁からなる。チャールズ・ダーウィンは、約1ヶ月間ガラパゴス諸島滞在し、その間『ビーグル号』は、初めて諸島の地理調査を精密に行なっている。諸島で観察した動物相は、南アメリカでの調査の経験と共に、進化論(生物のそれぞれの種は、原始生物から環境に適応しながら自然淘汰を経て進化してきたとする学説)のヒントとなる。 
1868年 - 戊辰戦争: 岩代国(陸奥国南部)二本松藩が守備していた二本松城(現在の福島県二本松市に所在)が落城する。 
1873年 - 普仏戦争(フランスとプロイセン王国[現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国]との戦争)における賠償金の支払い完了を受け、プロイセン王国軍がフランスを去る。
1879年 - 藤田組贋札事件。藤田財閥(非鉄金属・精錬等の事業を主力とする会社、藤田組[現在のDOWAホールディングス]を中核とする企業グループ)の創立者で、建設・土木、鉱山、電鉄、電力開発、金融、紡績、新聞等の経営を手掛け、今日の多くの名門企業の前身を築いた、明治時代の大阪財界の重鎮とされる実業家、藤田伝三郎らが、紙幤贋造の容疑で逮捕される。しかし、何ら証拠がなく、同年12月に藤田伝三郎らは無罪放免となる。約3年後には真犯人が逮捕され、冤罪も晴れている。 
1894年 - 日清戦争: 平壌の戦い。 
1900年 - 第7代首相であったが、辞任して政党創立の準備をしていた伊藤博文らが、立憲政友会(政友会、資本家や地方の地主を主な支持基盤とした政党で、1940年7月30日に解党)を結成する。 
1915年 - 中国東部にある上海で、雑誌『新青年』が創刊される。『新青年』は、古えの君子の政治を理想の時代とした儒教に対する批判を徹底して行ない、西洋の近代思潮を広範に紹介する等、中華民国の新文化運動の中心的な役割を担った雑誌であり、1910年代の中国の思想界をリードしたが、1922年7月で休刊し、事実上廃刊となる。
1916年 - 第一次世界大戦・ソンムの戦い: イギリス軍が、史上初めて戦車を実戦に投入する。 
1924年 - 中華民国の軍閥(ある程度の実効支配地域を持つ地方に割拠する軍事組織)、直隷派と奉天派の間で第二次奉直戦争が勃発。 
1929年 - 鉄道省(現在の国土交通省、JRグループの前身)が、特別急行列車(特急列車)に初めて列車愛称(「富士」「櫻」)を付ける。
1931年 - インヴァーゴードン反乱。イギリス海軍大西洋艦隊の水兵が、給与削減に抗議してストライキを起こす。 
1932年 - 日満議定書調印。日本国が満州国(現在の中国東北部に存在した国家)を承認する。
1932年 - 撫順襲撃事件。満洲国南部にある撫順市の撫順炭鉱で、匪賊(非正規武装集団)の大軍が採炭所を襲撃して施設に火を放ち、日本人5名を惨殺する。 
1935年 - 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス・ドイツ)が、ユダヤ人の定義を規定し、その市民権を否定するニュルンベルク法を制定。 
1935年 - ハーケンクロイツ旗が、正式にドイツの国旗とされる。ハーケンクロイツ(鉤十字)の図案は、古代よりヒンドゥー教や仏教、さらに西洋でも、幸運の印として使用されており、キリスト教では十字の図案の1種でもあり、日本では家紋や地図記号等で「卍」(左まんじ)が多く使われている。また、逆向きの図案(卐)は逆鉤十字、逆まんじ、右まんじとも呼ばれている。しかし、20世紀以降にドイツで民族主義運動のシンボルとされ、1920年に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス・ドイツ)が党のシンボルに、1935年にはドイツ国旗に採用した影響により、ナチズム等のシンボルとも見做されることが多い。
1936年 - 東武鉄道新栃木駅構内で、電車と貨物列車が正面衝突。乗客や運転士等6名が死亡し、5名が重傷を負う。
1938年 - 鉄道省(現在の国土交通省、JRグループの前身)の指導により、食堂車や駅構内食堂を運営していた6社の共同出資による、日本食堂株式会社が設立される。この日本食堂株式会社は、日本国有鉄道(国鉄)をJRとして、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」等に分割し、民営化した国鉄分割民営化に伴ない、全国一元での運営を続ける意義が薄らいだため、各旅客鉄道会社の営業エリアに沿う形で分社化・資本分離され、本体の日本食堂は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の営業エリアを受持つこととなり、社名を「株式会社日本レストランエンタプライズ」、略称を「日食」から「NRE」に変更する。 
1942年 - 第二次世界大戦: アメリカ海軍の航空母艦(空母)『ワスプ(CV-7)』が、ガダルカナル島攻防戦において、日本海軍の伊号第十九潜水艦(艦長木梨鷹一海軍少佐)の魚雷攻撃を受けて沈没。
1942年 - 青森市で民家から出火し、重油が保管されていた県漁連倉庫に延焼したことから火勢が拡大し、328戸(211棟)が焼失する大火となる。
1945年 - 文部省(現在の文部科学省の前身の1つ)が、第二次世界大戦後教育の基本方針「新日本建設ノ教育方針」を発表。 
1945年 - 『日米会話手帳』が発刊され、年末までの約3ヶ月間で、約360万部以上を売る大ベストセラーとなる。これは、日本の出版史上第1位である、黒柳徹子の自伝的物語『窓際のトットちゃん』(約580万部)に次ぐ、2番目の販売部数であったが、現在では第10位にランクされている。『日米会話手帳』は、東京都文京区に本社を置く出版社、誠文堂新光社の小川菊松社長が玉音放送を聴いた帰りにひらめいたとされているが、社員の1人が進駐軍を見て思い付き、中国語会話の本から例文250余を選出し、当時東京帝国大学(現在の東京大学)卒の編集アルバイトで、後に中央大学教授となる板倉勝正に英訳を依頼する。訳者は月給100円以下という当時、即金で3,000円の原稿料を得るも、英語は専門ではないという理由で、名を秘して小川菊松社長の名で発行する。僅か32ページの小冊子であり、社名を出すことも憚られるとして、関連会社の科学教材社名義での発行となる。