0422年 - ケレスティヌス1世(チェレスティノ1世)が第43代ローマ教皇に即位。
1315年 - 鎌倉幕府第12代執権北条煕時の死去に伴ない、北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任する。北条基時は、北条氏内部で家格は高く、得宗(氏族の直系の血筋、嫡流)家に継ぐ家格を持つ極楽寺流北条氏の分流、普恩寺流北条氏の出身で、北条煕時とは、第7代執権北条政村を曽祖父に持つ点で共通しており、血縁的に「はとこ(祖父母の兄弟姉妹の孫)」の関係にあったが、就任の翌年には、得宗家の北条高時(後の鎌倉幕府第14代執権)を執権に就けるための準備が画策され、1316年7月9日に得宗の北条高時に執権職を譲り、11月20日に出家する。以後は一線から離れたようで、中央政界に活動の様子は無い。
1419年 - フランスの王族で、第2代ブルゴーニュ公のジャン1世(無怖公)が、王太子シャルル(勝利王と呼ばれた、後のヴァロワ朝フランス王国第5代国王シャルル7世)の支持者により暗殺される。
1573年 - 刀根坂の戦い。朝倉義景軍は、堅固な山城として知られた、浅井長政軍が籠城した小谷城の救援に向かったが、形勢不利と見て離脱する。その朝倉義景軍を織田信長軍が捕捉し、追撃戦では、朝倉氏本家の軍事中核と見做される、多くの武将を討取り壊滅させる。
1622年 - 元和の大殉教。長崎で、カトリックのキリスト教徒55名が火刑と斬首によって処刑される。日本のキリシタン迫害の歴史の中でも、最も多くの信徒が同時に処刑されたもので、この事件後、幕府による弾圧は、さらに強化されていく。また、オランダ商館員やイエズス会(キリスト教、カトリック教会の男子修道会)宣教師によって詳細が海外に伝えられたため、26聖人の殉教(豊臣秀吉の命令によって長崎で、26名のカトリック信者が磔の刑に処されたもの)と並んで、日本の歴史の中で最もよく知られた殉教事件の1つとなっている。
1721年 - ロシアとスウェーデンが、大北方戦争(スウェーデンと反スウェーデン同盟[北方同盟]を結成した諸国とがスウェーデンの覇権をめぐって争った戦争)の講和条約であるニスタット条約を締結。
1813年 - 米英戦争: エリー湖の湖上戦。イギリス海軍史上初の全面敗北で、イギリス軍はデトロイト(現在のアメリカ合衆国中西部、ミシガン州に所在)を放棄する。
1846年 - アメリカの機械工、エリアス・ハウが、二重縫い方式のミシン(織物・紙・革等を縫い合わせる機械)の特許を取得。
1855年 - 長崎海軍伝習所が開設される。長崎海軍伝習所は、江戸幕府が海軍士官養成のため、長崎西役所(現在の長崎県庁)に設立した教育機関である。幕臣や雄藩藩士から選抜して、オランダ軍人を教師に、蘭学(蘭方医学)や航海術等の諸科学を学ばせる。その後、江戸築地鉄砲洲(現在の東京都中央区東部に相当する)の軍艦操練所の整備等により、1859年に閉鎖される。
1858年 - アメリカの天文学者、ジョージ・サールが小惑星「パンドラ」を発見。直径約66.7kmの「パンドラ」は、太陽系第四惑星、火星と、太陽系第五惑星、木星との間にある小惑星の軌道が集中している領域、小惑星帯(アステロイドベルト、メインベルトとも呼称されている)に位置する、比較的大型の非常に明るい小惑星の1つで、ギリシャ神話に登場する最初の人間の女、パンドラに因んで命名される。
1885年 - 私立の法律学校、英吉利法律学校(現在の中央大学の前身)が東京府神田区神田錦町(現在の東京都千代田区神田錦町)で開校。当初はイギリス法に関する教育機関であったが、日本でも近代法が整備されると順次、国内法も教授するようになり、校名も東京法学院、東京法学院大学と変更され、1905年8月に経済学科の設置によって中央大学と改称し、今に至っている。中央大学は、法曹界や官界、財界、政界、ジャーナリズム界に多くの卒業生を送り出している。大学付設の経理研究所は、学部の枠を越え広く会計学教育(経理研究所も参照)を提供している。現在、6学部・大学院7研究科・専門職大学院3研究科を擁し、卒業生数50万を超える総合大学であり、6学部10研究科がそれぞれ教育に力を入れている。
1898年 - オーストリア皇后エリーザベトが、イタリアの無政府主義者ルイジ・ルケーニにより暗殺される。
1912年 - オランダ領東インド(現在のインドネシア)で、サレカット・イスラム(イスラム同盟)が結成される。
1912年 - この年の3月に、国産活動写真(明治・大正期における映画の呼称)商社4社の合併で誕生していた日本初の映画会社『日本活動フィルム株式會社』が、社名を『日本活動写真』と改称し、略称を「日活」とする。以後、時代劇の名門映画会社となり、第二次世界大戦後には、『日活株式会社』に社名変更し、時代劇や文芸映画等を製作したが、興行的に苦戦する。その後、若者向けの低予算アクション映画中心に路線変更する等して、興行収益が好転した上に、事業多角化を推進したため、業績は堅調となる。しかし、本格的なテレビ時代の到来と、日本の映画産業全体の斜陽化のあおりを受け、1960年代には業績は急激に悪化する。採算面から低予算の成人映画(ポルノ映画)製作に踏切り、1971年に「日活ロマンポルノ」と銘打った成人映画路線をスタートさせ、大手の映画会社が本格的なポルノ映画に着手する、世界にも前例がないケースとなる。設立当初から経営危機を始め、様々な企業に買収・転売される等苦難の歴史を辿り続けた『日活株式会社』は現在、関東広域圏を放送対象地域としてテレビジョン放送を行なう特定地上基幹放送事業者、日本テレビ放送網株式会社が筆頭株主となっている。
1917年 - 護法運動: 中華民国で、政治家・革命家孫文が広東軍政府を樹立し、陸軍軍人・政治家の段祺瑞の北京政府と並立する分裂状態となる。
1919年 - オーストリアと連合国が、第一次世界大戦の講和条約「サン=ジェルマン条約」を締結。
1921年 - 日本サッカー界を統括し代表する団体、日本サッカー協会の前身となる大日本蹴球協会が創立される。
1921年 - 登山家の槇有恒らが、アルプス山脈最後の難所とされるアイガー(スイス中西部の中部アルプスを構成するベルナーアルプス山系にある、標高3,970mのスイスを代表する山)北東山稜(ミッテルレギ稜)の初登攀に成功。その成功は、アルプス登山史上に一期を画しただけでなく、日本の登山にも大きな影響を与える。
1939年 - 第二次世界大戦: カナダがナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党[ナチ党]政権下のドイツ国)に宣戦布告。
1943年 - 鳥取地震。鳥取県東部(鳥取県気高郡豊実村[現在の鳥取市の一部]野坂川中流域付近)を震源として直下型地震が発生。規模はマグニチュード(M)7.2、最大震度は震度6(烈震)で、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5(強震)を記録する。震源が極めて浅く、激しい揺れにより、鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みは全て失われてしまう。死者1,083名、重軽傷者3,259名、家屋全壊7,485棟等の大きな被害を出す。戦地へ出征している男性が多く、死者の約65%(1,083名の内、702名)が女性であり、地震の影響による液状化現象地(地下水位の高い砂地盤が振動により液体状になる現象)も見られた地域も存在し、山陰本線や因美線といった鉄道も、地震の被害を受けたため、長期間に亘って鉄道が不通になる。この他にも、電話を始めとする通信や道路も大きな被害を受け、梨等の農産物への被害も甚大であったが、第二次世界大戦の戦時中でもあり、情報統制が行なわれている。
1945年 - 日本における検閲: 「言論及ビ新聞ノ自由ニ関スル覚書(SCAPIN-16)」が発令され、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が検閲を始める。
1945年 - 第二次世界大戦・ニューギニアの戦い: 太平洋南部に浮かぶニューギニア島近くにあるカイリル島の日本海軍第27特別根拠地隊司令官佐藤四郎海軍少将が、カイリル海峡のオーストラリア海軍艇『ML 805』上でオーストラリア陸軍第6師団への降伏文書に署名する。
1945年 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、立川陸軍飛行場を接取したアメリカ空軍立川基地(現在の東京都立川市に所在する防衛省所管の軍用飛行場、立川飛行場)の上空から、シラミの駆除、防疫対策として殺虫剤(DDT)を空中散布。以後、地方都市でも実施する。