新聞折込求人広告の日。
東京都千代田区神田司町に本社を置き、新聞折込求人紙「クリエイト求人特集」等を手掛ける広告の取扱い等の会社、株式会社クリエイトが、新聞折込求人広告の振興と発展を目的に制定。日付は、1969(昭和44)年9月8日に日本で初めて、1つの紙面に複数の企業の広告を載せた連合形式の新聞折込求人広告を、創業から2年目の株式会社クリエイトが発案し、企画発行したことから。配布第1号は、東京都板橋区と北区の周辺であった。求人広告とは、従業員(被雇用者、派遣、アルバイト、パート、委任、業務請負の非正規を含む)募集の広告のことである。求人広告は、企業が各種のメディアに求人情報を掲載することである。有料と無料の求人広告が存在するが、無料・有料に関係なく、求人広告については、年齢、性別、出身等での差別禁止、虚偽の労働条件の広告の禁止(「職業安定法[職安法、昭和22年11月30日法律第141号]」第65条第8号、6月以下の懲役又は30万円以下の罰金)、個人情報の管理義務等の取締法規が存在する。一般紙の場合、日曜日の紙面に求人広告が多く掲載される。掲載内容としては、ホワイトカラー(一般には頭脳労働をする人、若しくは、背広・ネクタイ姿で仕事をする人[総合職、事務職]のことを言い、対義語には、肉体労働者を指すブルーカラーが挙げられる)の職種が多く掲載されている傾向にあり、インターネットやフリーペーパーと違い、情報の一覧性が魅力的である。スポーツ新聞や夕刊紙では、一般紙と対照的に、タクシーの運転手や土木・建設、パチンコ店等といったブルーカラーの職種が殆どであり、三行広告による求人広告が多い。スペースが限られているから用語の省略が多く、意味を知らない者が読むと暗号のようである。新聞折込求人紙は、一般紙に折込まれる連合求人広告で、日曜日の発行のものが多く、パート・アルバイト、正社員の募集を中心に、多くの求人情報を掲載している。アルバイト、社員(正社員・契約社員)の募集が載っている雑誌、求人情報誌は、ドラッグストアやスーパー、コンビニエンスストア等で配置された無料のものも多い。インターネットでは、求人ポータルサイトや自社のウェブサイトに掲示される。求人ポータルサイトでは、職種や勤務地等の諸条件を容易に検索できる。なお、1872(明治5)年7月14日、現在の毎日新聞東京本社発行による毎日新聞の前身に当たる『東京日日新聞』に、日本初の求人広告が掲載されたことから、7月14日が「求人広告の日」とされている他、情報源としての役割を知ってもらおうと、日本新聞協会が新聞週間(10月15日から10月21日まで)中の区切りの良い日として選び、1958(昭和33)年から実施している「新聞広告の日」は、10月20日とされている。
休養の日。
神奈川県厚木市中町に事務局を置く、回復を目的とした積極的な「休養 = リカバリー」への取組みを行なう一般社団法人、日本リカバリー協会が制定。「積極的休養」の考え方を広く普及し、休養の大切さ再認識してもらうことが目的。日付は、9月8日の「9」と「8」で、「休養(きゅう[9]よ[8]う)」と読む語呂合わせから。休養は、疲労回復のためだけに取るものではなく、次の活動に向けた体力・気力・活力・意欲等を養うものでもある。そのためには、積極的休養を取ることが大切となる。21世紀における国民健康づくり運動とは、健康寿命の延伸等を実現するため、2000(平成12)年に厚生省(現在の厚生労働省の前身の1つ)によって始められた、第3次、第4次の国民健康づくり運動のことで、通称は「健康日本21」である。2000(平成12)年度から2012(平成24)年度までは「健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)」が行なわれ、2013(平成25)年から2022(令和4)年までは、「健康日本21(第2次)、(二十一世紀における第二次国民健康づくり運動)」が行なわれている。「健康日本21」では、積極的休養とは、『休養の時間を取っても、単にごろ寝をして過ごすだけでは真の「休養」とはならず、リラックスしたり、自分を見詰めたりする時間を1日の中につくること、趣味やスポーツ、ボランティア活動等で週休を積極的に過ごすこと、長い休暇で、家族の関係や心身を調整し、将来への準備をすること等が真の休養に繋がる』とし、このような休養の取り方を、「積極的休養」としている。運動や旅行等の活動的な休養法や、意識的に休みを取ることだけが、積極的休養ではない。計画的に休養の時間をつくり、その中で健康の潜在能力を高め、豊かな人生を築く、という休養の取り方を意味する。休養は、時間の長さによって、休息から休暇に分けられる。それぞれで養うことができる内容が異なるため、各自の生活に合わせて、時間を確保し、その中で何を養うかを選択することが大切となる。仕事や運動による疲労の回復は、休息・休憩のような短い時間でできるが、家族との絆を深めることや、地域活動に参加すること等、暮らしを豊かにする活動は、決して短時間でできるものではなく、週休や休暇のような、日・週・月単位の休養が必要となる。このように、休養は時間が長くなるにつれて、養う内容も充実していく。
いずし時の記念日。
兵庫県豊岡市出石町内町に事務局を置く特定非営利活動法人(NPO法人)、但馬國出石観光協会が制定。この町のシンボルは、日本最大にして最古年の時計台「辰鼓楼(しんころう)」である。元々は、1871(明治4)年に太鼓で時を告げる太鼓櫓として誕生したもの。時計台となったのは、1881(明治14)年に、藩医の池口忠恕(いけぐち ちゅうじょ)が大病を患った際、多くの出石町民が病気快癒の願掛けをし、回復後、池口忠恕は病気療養中に出石の人々から多大な精神的支援を受けたことに対して、感謝の思いを形にしたいと、「辰鼓楼」に機械式大時計を寄贈したことによる。こうしたエピソードと共に、「但馬の小京都」出石には、日本が世界に誇れる時計台があることを、より多くの人に知ってもらうことが目的。日付は、「辰鼓楼」の初号機が動き出した1881(明治14)年9月8日から。「辰鼓楼」の外観は、1881(明治14)年当時のままである。但し、時計本体は入替えられており、3代目の時計が時を刻み続けている。
クリープハイプの日。
2012(平成24)年に1stアルバム「死ぬまで一生愛されてると思ってたよ」でメジャーデビューした尾崎世界観、長谷川カオナシ、小川幸慈、小泉拓の4人組ロックバンド「クリープハイプ」が制定。日付は、9月8日の「9」と「8」で、「ク(9)リープハ(8)イプ」と読む語呂合わせから。楽曲は数々の映画の主題歌やCMソング等にも使われ、ボーカルを担当する尾崎世界観のハイトーンボイスと、独特な歌詞・曲調で人気を集めている。記念日にイベントを行なったり、ファンと祝ったりすることが目的。元々、尾崎祐介という本名で活動していた尾崎世界観は、「世界観が良い」という評価に不満を持ち、名前にすれば言われなくなると考え、「世界観」を名乗るようになった。作家としても活動し、2020(令和2)年には中編小説『母影』で、第164回芥川龍之介賞(純文学の新人に与えられる文学賞で、通称は芥川賞)の候補となる。2024(令和6)年、中編小説『転の声』が再度、第171回芥川龍之介賞(芥川賞)候補作品となっている。
千代尼忌、素園忌。
俳人、加賀千代女の1775(安永4)年の忌日(旧暦)。加賀千代女の号(本名とは別に使用する名称)は草風、法名(出家・受戒し仏門に入った者が名乗る名前)は素園。千代、千代尼等とも呼ばれる。朝顔を多く歌っていることから、出身地の旧松任市では市のシンボル、石川県松任市等、1市2町5村が新設合併して誕生した石川県白山市では、市の花に選ばれた。石川県白山市では市民の栽培も盛んで、同市が毎年開く「千代女あさがおまつり」で、花のでき映えが競われている。加賀千代女は一般庶民にも係わらず、幼い頃から俳諧を嗜んでいたという。16歳の頃には女流俳人として頭角を表わし、17歳の頃、諸国行脚をしていた俳人の各務支考(蕉門十哲[松尾芭蕉の弟子の中で、特に優れた高弟10人]の1人)が地元に来ていると聞き、宿に赴き弟子にさせてくださいと頼むと、「さらば一句せよ」と、ホトトギスを題にした俳句を詠むよう求められる。加賀千代女は俳句を夜通し言い続け、「ほととぎす郭公(ほととぎす)とて明にけり」という句で、遂に各務支考に才能を認められ、加賀千代女の名が一気に全国に広まった。
帰雁忌。
昭和後期を代表するベストセラー作家の1人、水上勉の忌日(2004[平成16]年9月8日)。「帰雁忌」の名称は、直木三十五賞(大衆性を押さえた長編小説作品、或いは短編集に与えられる文学賞で、通称は直木賞)受賞作品となった短編小説『雁の寺』に因む。水上勉は、社会派長編推理小説『飢餓海峡』、少年時代の禅寺での修行体験を元にした『雁の寺』、薄幸な女性の宿命を描いた長編小説『越前竹人形』や長編小説『五番町夕霧楼』、長編伝記小説『一休』等で知られる。主に北陸や京都等を舞台に、貧しい庶民の生活を題材にした暗い叙情的な作品は、「水上節」とも称された。