9月8日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第2日曜日 旧暦  8月 6日、先勝、月齢  5.0  
グレゴリオ暦で年始から252日目、年末まであと114日。
誕生花 ホウセンカ・イワヒバ。

菊の被綿。 
重陽(五節句の1つで、9月9日のことであり、菊に長寿を祈る日とされる)の前日、9月8日の夜に、菊の花を真綿で覆って夜露と香りを写し取り、翌朝にその綿で体や顔を拭う日本独自の風習。そうすれば、老いが去り、長寿を保つと信じられていた。また、近世になると、白菊には黄色い綿、黄菊には赤い綿、赤菊には白い綿を使い、色を変えた小さな綿で蕊(しべ、紐の先端と総[ふさ]との間に付ける飾り)を作る、という風に、色々と細かい決まりもできてきた、とされる。しかし、旧暦の時代には盛んに行なわれていた被綿も、新暦が採用されてからは、9月8日頃では菊の開花には早く、夜露も降りないことから、明治時代以降は次第に行なわれなくなり、宮中も含めて、被綿の記録は余り残っていない。なお、昨年、2020(令和2)年の旧暦9月8日は、現在の暦では10月24日となっていたが、今年、2021(令和3)年の旧暦9月8日は、10月13日となる。つまり、旧暦での日付は、新暦では大きく時期が移動してしまう訳で、旧暦の行事をそのまま新暦の行事に移行させることの難しさが現れている。 
サンフランシスコ平和条約調印記念日。
1951(昭和26)年9月8日、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州のサンフランシスコで「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約、昭和27年条約第5号)」が調印(条約や協定等の内容が確定した時、それに関係する当事国の代表者が、その公文書に署名すること)されたことを記念する日。条約がすると共に、公布された4月28日は、国際法上はこの条約の発効により、日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結して、日本の主権が回復され、国際社会に復帰した日として、「サンフランシスコ平和条約発効記念日(サンフランシスコ講和記念日)」となっている。「サンフランシスコ平和条約」は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国を始めとする連合国諸国と、日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約である。この条約を批准した連合国(49ヶ国)は、日本国の主権を承認した。国際法上は、この条約の発効により日本と、多くの連合国との間の「戦争状態」が終結した。ソビエト連邦を始めとする東側諸国、「中国」やインド、インドネシア等の国は、会議への参加や調印・批准を行なわず、個別の条約や合意によって、戦争状態が終結することとなった。この日に全権委員によって署名され、同日、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安保条約、昭和27年条約第6号)」も署名された。翌1952(昭和27)年4月28日、「サンフランシスコ平和条約」が発効した。「サンフランシスコ平和条約」と「旧日米安保条約」の2条約の締結を以って、日本は自由主義陣営の一員として国際社会に復帰した。他方で、共産主義陣営のソビエト連邦と中華人民共和国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との間では軋轢が続いた。しかし、日本は条約締結後、インド、中華民国、ソビエト連邦、韓国、中華人民共和国等、条約を締結しなかった国々と、個別に平和条約、又はそれに準じる共同宣言等を締結し、各国との国交を正常化していった。なお、「サンフランシスコ平和条約」の後文には、「千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で、ひとしく正文である英語、フランス語及びスペイン語により、並びに日本語により作成した」との一文があり、日本語版は正文に準じる扱いとなっている。これは、当時国際連合公用語であった英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・中国語の5ヶ国語の内、ソビエト連邦と中華民国がこの条約には加わらなかったことから、ロシア語版と中国語版が作成されなかったことによるもので、また、日本語が加えられているのは、当事国であるためとなる。日本では、外務省に英文を和訳させ、これを正文に準ずるものとして、締約国の承認を得た上で条約に調印した。現在、条約締結国に保管されている条約認証謄本は、日本語版を含む4ヶ国語のものである。「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約([旧]日米安保条約、昭和27年条約第6号)」は、日本における安全保障のため、アメリカ合衆国が関与し、アメリカ軍を日本国内に駐留させること(在日米軍)等を定めた二国間条約である。1951(昭和26)年9月8日の「サンフランシスコ平和条約」の同日に署名された。1960(昭和35)年、防衛義務の明言や内乱条項の削除等を行なった「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約([新]日米安保条約、昭和35年条約第6号)」が発効したことに伴ない、「旧日米安保条約」は失効した。 
桑の日。 
福岡県八女市室岡に所在する、桑抹茶等の茶製品や健康食品等のメーカー、株式会社お茶村が制定。桑の高い栄養価やその長い歴史、効能効果に対する知識を深め、感謝するのが目的。日付は、9月8日の「9」と「8」で、「桑(く[9]わ[8])」と読む語呂合わせから。株式会社お茶村では、「神仙桑抹茶」シリーズを販売している。その昔、日本に茶をもたらした栄西禅師(平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本における臨済宗の開祖)の記した書物『喫茶養生記』には、茶の薬効と共に、桑の薬効についても説かれていた。桑と茶は、古くから関係の深いものであった。神仙桑抹茶シリーズは、時を経て、自然豊かな中国で出逢った栄養価の高い「神仙桑」を、伝統的な抹茶製法を活かして、飲み易く仕上げている。「神仙桑抹茶ゴールド」は、農薬不使用で育てた「桑」「緑茶」「シモン」を、おいしい抹茶に仕上げている。桑は落葉性の高木で、大きいものでは約15mに達するが、通常は数m程度のものが多い。樹皮は灰色を帯びる。葉は薄く、つやのある黄緑色で、縁には粗い鋸歯がある。葉を茶の代用品とする「桑茶」が飲まれていた地域もあり、現在も市販されている他、若くて柔らかい葉は、天ぷらにして食べることもある。桑は、蚕(カイコ)の餌として古来重要な作物である。蚕の正式和名はカイコガで、カイコは本来、この幼虫の名称であるが、一般的には、この種全般をも指す。桑を食餌とし、絹を産生して蛹(さなぎ)の繭(まゆ)を作る。有史以来養蚕の歴史と共に、各国の文化と共に生きてきた昆虫と言える。また、家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で、野生には生息しない。さらに、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、餌がなくなっても逃げ出さず、体色が目立つ白色である等、人間による管理なしでは生育することができない。蚕(カイコ)を飼ってその繭から生糸(絹)を作る産業、養蚕業は、蚕を飼うため桑を栽培し、繭を生産する。繭を絹にするために、製糸工場で繭から生糸へと加工され、生糸をさらに加工して、絹織物等の繊維になる。かつて養蚕業は、日本の主要産業であった。しかし、1929(昭和4)年10月の世界恐慌(世界中の資本主義諸国を襲った史上最大規模の恐慌[好況局面で突如発生する深刻な景気後退])以降の海外市場の喪失、代替品の普及等で衰退していった。