9月4日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

くじらの日。
水産資源の適切な管理・利用に寄与することを目的に、鯨類、その他の試験研究等を行なう財団法人、日本鯨類研究所が制定。鯨と日本人の共生を考える日、とすることが目的。日付は、9月4日の「9」と「4」で、「く(9)じ(4)ら」と読む語呂合わせから。鯨油の化学研究のため、1942(昭和17)年に設立された民間研究機関、中部科学研究所を前身とする日本鯨類研究所は、1987(昭和62)年に財団法人日本鯨類研究所となり、2013(平成25)年には、一般財団法人日本鯨類研究所に移行した。東京都中央区豊海町に本所を置き、南極海や北西太平洋で調査捕鯨を実施している。鯨の赤肉は、高蛋白で低脂肪、低カロリー、さらには、鉄分が豊富で、貧血の予防にも役立つ健康食でもあり、古くは捕鯨が盛んであった高知県や和歌山県、長崎県等でよく食べられていた。また、日本海側等でも、米との物々交換で手に入れて食べられていた。かつては安価で、学校給食のメニューにもなっていた鯨肉であるが、1982(昭和57)年に国際捕鯨委員会(IWC)で商業捕鯨モラトリアム(商業捕鯨を一時停止すること)が採択されて以降、流通量は大きく減り、「珍味」「希少食材」になった。そうした中、財団法人日本鯨類研究所は、鯨肉に「抗疲労力」があることを突止め、さらに研究を進めている。「イミダゾール ジペプチド」という抗酸化成分の一種である「バレニン」が、2009(平成21)年に鯨の肉に多く含まれていることが判明した。鶏肉に多く含まれている「カルノシン」や、マグロやカツオ等に含まれる「アンセリン」という2種類の「イミダゾール ジペプチド」と同じ、抗酸化成分であることも分かってきた。肩こりや筋肉疲労等は、活性酸素が体内を酸化させることが原因の1つとされる。そのため、疲労を軽減したり、疲労回復機能を高めたりするには、抗酸化成分が有効と考えられている。「バレニン」にも、その力があるということになる。しかも、鳥や豚、マグロやカツオには含まれていない、鯨特有の成分としてもよい程、多くの含有量があるとされる。日本では、組織的な捕鯨産業の成立以前から、鯨肉を食用とすることはあったようである。小型のハクジラ類を中心に、縄文時代以前を含む旧石器時代の貝塚や、弥生時代の遺跡等、古くから出土例がある。宗教上の理由等から「肉食」が忌避されたり、公式には禁止される時期が歴史上で度々あったが、欧米の場合と同じく、「魚」として食用にされていたようである。江戸時代から組織的な捕鯨が行なわれるようになり、それら捕鯨地域周辺の漁村では、鯨肉は常食とされていた。但し、九州地方の一部では、初期の突取式捕鯨期には、鯨油生産のみが行なわれて食用習慣がなく、皮下脂肪以外の鯨肉は、沖合いに運んで廃棄していたという記録もあるが、その九州でも、網取式捕鯨が始まる頃までには、急速に鯨肉食が盛んになる。流通の常で、生産地の周辺地域に広く消費される傾向にあるが、大坂(現在の大阪)等、近傍経済圏にも、この頃に生まれた伝統的な鯨肉料理が存在する。地域的な利用差がある状況は、第二次世界大戦終結まで、基本的には変化が無く続いた。日本近海で操業するロシア捕鯨船が、日本で鯨肉を販売して利益を上げていたこと等から、西日本を中心に、一定の需要はあったものと考えられる。消費の多い大阪へ、はるばる北海道からの輸送も行なわれていた。他方、東日本においては、一部の沿岸地域を除いて鯨肉食は広まらず、捕鯨会社の肝いりで東京に開かれた鯨肉料理専門店は、繁盛せずに倒産した例もある。1934(昭和9)年には、日本も南極海(南極大陸の周りを囲む、南緯60度以南の海域)の捕鯨に参入したが、当初は、沿岸捕鯨で生産される鯨肉価格への悪影響を考慮して、製品の持帰りを制限した上、日本では冷凍設備が未発達であったことから、赤肉は殆ど利用されず廃棄された。日中戦争が激化すると、食糧増産の要請から、鯨肉の持帰り制限が緩和され、日本最初の大型冷凍船も導入される等したが、第二次世界大戦対英米戦開始により、南極海捕鯨自体が停止に追込まれた。他方、沿岸捕鯨による鯨肉供給は、戦時中も続いていた。第二次世界大戦後の食糧難時代以降になると、流通保存技術の進歩もあって、限られた流通圏を越え、日本中に鯨肉食が広まった。鯨カツ、鯨ステーキ、鯨カレー等の鯨肉料理の大半は、牛肉や豚肉の入手が困難であった時代に、鯨肉を代用獣肉という位置付けの食材として使ったものである。第二次世界大戦後しばらくは、鯨肉は魚肉練り製品と共に、安価な代用肉の代名詞であり、日本人の重要なたんぱく質源として、食生活の中で重要な位置を占めた。いわゆる戦後を生き抜いた人々の間では、「鯨肉 = 代用 = 安物」といった偏見・嫌悪感もある一方で、当時へのノスタルジー(過ぎ去った時代を懐かしむこと)を惹起する食材でもある。特に、鯨の竜田揚げは、第二次世界大戦後の学校給食を代表するメニューとして語られる。1970年代までは、大半の小中学校で一般的であったが一時激減し、1982(昭和57)年に国際捕鯨委員会(IWC)で商業捕鯨モラトリアム(商業捕鯨を一時停止すること)が採択され、南極海での商業捕鯨が中止されたこと等でさらに激減した。その後、鯨肉の学校給食は徐々に復活しつつある。その背景には、調査捕鯨で捕獲した在庫がだぶつき、消費拡大のため給食用に割安で提供されていることや、食文化の継承の為という意味がある、とされる。第二次世界大戦後、捕鯨は食肉供給源、及び鯨油輸出による外貨獲得源として、重要産業となり、1950年代の終わり頃からは、日本は世界最大の捕鯨国となった。操業は、資源の減少やエネルギー革命に伴なう鯨油需要の激減により、対象種をシロナガスクジラからナガスクジラ、さらにイワシクジラやクロミンククジラへと移しながら継続されたが、徐々に縮小され、1976(昭和51)年には、水産会社毎の操業は断念されて、日本共同捕鯨株式会社に統合された。1982(昭和57)年に国際捕鯨委員会(IWC)で商業捕鯨停止が決議されると、後に日本もこれを受入れて、1986(昭和61)年には、南氷洋(南極大陸の周りを囲む、概ね南緯60度以南の海域)での商業捕鯨としての母船式捕鯨は完全停止された。以降、大型鯨類に対する捕鯨は、南極海と北西太平洋における調査捕鯨を利用して行なうことになり、1987(昭和62)年度から2018(平成30)年度まで行なわれた。捕鯨国と反捕鯨国の対立が先鋭化し、国際捕鯨委員会(IWC)管轄による、大型鯨類の商業捕鯨の再開の見込みはないと判断した日本政府は、2018(平成30)年12月26日に国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退を発表し、離脱の効力が発生した2019(令和元)年6月30日、国際捕鯨委員会(IWC)を脱退した。これにより、国際捕鯨委員会(IWC)の捕獲制限を受けなくなり、同2019(令和元)年7月1日からは、日本の領海(基線[領海等の幅を測定するための起算点]から最大12海里[約22.2km]までの範囲で、国家が設定した帯状の水域で、沿岸国の主権が及ぶ水域)と排他的経済水域(EEZ、沿岸から200海里[約370km]までの範囲で、沿岸国に鉱物資源や水産資源の開発といった経済的な権利が及ぶ海域)内に限定して、大型鯨類の商業捕鯨を再開した。
一刻者(いっこもん)の日。
日本を代表する酒造メーカー、宝酒造株式会社が制定。京都市伏見区竹中町に本社を置く宝酒造株式会社は、現在では、持株会社の宝ホールディングス株式会社傘下の事業子会社である。「一刻者(いっこもん)」とは、南九州の話し言葉で「頑固者」を意味する。頑固なまでに芋の美味さに拘り、麹まで芋で造った全量芋焼酎の「一刻者」は、芋本来の華やかな香りが際立つ、上品ですっきりとした味わいが特徴。宮崎県児湯郡高鍋町蚊口浦に所在する黒壁蔵(宝酒造株式会社高鍋工場)で仕込まれ、2021(令和3)年に発売20周年となった「一刻者」の、さらなる育成と芋焼酎市場全体の活性化に繋げることが目的。日付は、発売が開始された2001(平成13)年9月4日から。
マッサージクッションの日。
大阪市平野区長吉川辺に本社を置く、マッサージ器、健康・美容機器、健康機能寝具等の商品企画・開発・製造・販売等を手掛ける企業、株式会社アテックスが制定。「マッサージクッション」は、手軽に体の様々な部分をほぐすことができる、クッションのような小型のマッサージ器。2024(令和6)年で発売15周年を迎えることを記念し、より多くの人に「マッサージクッション」を知ってもらうことが目的。日付は、2009(平成21)年9月4日に「マッサージクッション」が発売されたことと、「クッ(9)ション(4)」と読む語呂合わせから、9月4日を記念日に。「マッサージクッション」は、コンパクトながらも、もみ速度に緩急をつけることで、プロが指圧する心地よさを追求した。効果として、疲労回復、血行をよくする、筋肉の疲れをとる、筋肉のこりをほぐす、神経痛・筋肉痛の痛みの緩解等が挙げられる。人の手の温もりをイメージしたヒーターを内蔵しており、3次元のもみ心地を実現した3Dもみモデルや、コンパクト・軽量でより使い易いミニモデル、持運びに便利なコードレスモデル等もある。小型でインテリアに馴染むデザインは、ソファやリビングに置いたままにでき、もみ技術はプロのもみ心地を追求し、年々進化を遂げている。