9月3日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

-401年 - クナクサの戦い。現在の中東から地中海沿岸東部地域を支配したアケメネス朝ペルシャの王、アルタクセルクセス2世ムネモンの軍が、反乱を起こした弟、キュロス(小キュロス)軍を破り、キュロス(小キュロス)は戦死する。
-036年 - シチリア戦争: ナウロクス沖の海戦。 
0301年 - イタリア半島の中東部に位置する共和制国家、サンマリノが成立する。周囲が全てイタリアのサンマリノは、現存する中では世界最古の共和国とされ、アメリカ大陸がヨーロッパ人に知られる以前、既にサンマリノ共和国初代大統領が就任していたと言われる。国土面積は、青森県十和田市と秋田県鹿角郡小坂町に跨る湖、十和田湖(約61.11平方㎞)とほぼ同じで、世界で5番目に小さなミニ国家で、1992年には、国際連合と国際通貨基金(IMF)に加盟している。 
1260年 - アイン・ジャールートの戦い。マムルーク朝(エジプトを中心に、シリア、ヒジャーズ[アラビア半島の紅海沿岸の地方]までを支配したスンニ派のイスラム王朝)軍がモンゴル帝国軍を破り、モンゴル帝国の西進を阻止する。 
1603年 - 徳川家康の孫で7歳の千姫が、11歳の豊臣秀頼に輿入れする。
1643年 - 三十年戦争: カルタヘナの戦い。
1650年 - 第三次イングランド内戦:ダンバーの戦い。イングランド共和国軍司令官オリバー・クロムウェルが、スコットランド軍に勝利する。
1651年 - 第三次イングランド内戦:ウスターの戦い。ダンバーの戦いから丁度1年に当たる日に、イングランド共和国軍司令官オリバー・クロムウェルが、再度スコットランド軍に勝利する。
1658年 - イングランド共和国護国卿オリバー・クロムウェルが死去し、三男のリチャード・クロムウェルが第2代護国卿となる。
1777年 - アメリカ独立戦争: クーチ橋の戦い。
1783年 - アメリカ独立戦争の講和条約、パリ条約が調印される。独立戦争は終結し、イギリスはアメリカ合衆国の独立を承認する。 
1791年 - フランス革命: 憲法制定国民議会が1791年憲法を制定。 
1856年 - アメリカの外交官、タウンゼント・ハリスが、伊豆半島南部に位置する伊豆国賀茂郡下田(現在の静岡県下田市)の玉泉寺に、初の駐日アメリカ領事館を設置。貿易業を手掛けていたタウンゼント・ハリスは、東洋に興味を抱き、政界人の縁を頼って政府に運動して、1855年にアメリカ合衆国大統領フランクリン・ピアースから、初代駐日領事に任命される。当時、イギリスの駐日公職者は、母国政府から派遣されたエリート出身者が殆どであったが、アメリカは、タウンゼント・ハリスのような在住の商人らに兼任させることが多く、タウンゼント・ハリスは、シャム(タイ王国)との通商条約の締結にも尽力している。下田においては、薪水給与や貨幣交換比率等の問題を巡り、和親条約改訂のための交渉が行なわれ、翌1857年には、日米追加条約(下田協約)が調印される。 
1868年 - 東京奠都: 「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」が発せられる。なお、「東京奠都」と「東京遷都」の語の使い方を巡っては議論がある。一義的には、「奠都」は都を定めることを表わすのに対して「遷都」は都を移すことをいうが、天皇や政治中枢の移動を伴なえば、実質的にはほぼ同じ意味であり、この場合は、旧都を廃することを含んでいるかどうかが論点となる。「遷都」の場合は、廃止の語義を含んでいる。 
1870年 - 普仏戦争: メス攻囲戦が始まる。
1878年 - 旅客外輪船『プリンセス・アリス』が、イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川で、貨物船(石炭船)『バイウェル・キャッスル』と衝突し、沈没する。正確な死者数は判明していないが、600名から700名が死亡したとされ、イギリスの内陸水路海運事故では最大の死者数となる。
1914年 - ベネディクトゥス15世が第258代ローマ教皇に就任。ベネディクトゥス15世は、第一次世界大戦という未曽有の惨劇を乗越え、世俗国家の仲介者としての新しいカトリック教会のあり方を模索する。 
1933年 - タジク・ソビエト社会主義共和国(中央アジアに位置するソビエト社会主義共和国連邦[ソビエト連邦]の構成共和国の1つで、1991年9月9日、タジキスタン共和国として独立した)科学アカデミーのパミール(タジキスタン、アフガニスタン及び中国に跨る、平均標高約5,000mの高原)探検隊が、ソビエト連邦の最高峰「スターリン峰」(現在の名称はイスモイル・ソモニ峰、タジキスタンにある山で、標高は7,495m)に初登頂。 
1936年 - 北海事件。中国南部にある広東省の港湾都市北海で、日本人商店経営者が、店舗を襲撃した暴徒達によって殺害される。
1939年 - 第二次世界大戦: 中央ヨーロッパに位置するポーランドに侵攻したドイツに対し、イギリスとフランスが宣戦布告。 
1941年 - アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(ドイツ占領下のポーランド南部にあったナチス・ドイツの強制収容所)のガス室で、初めて大量処刑が行なわれる。 
1944年 - ホロコースト: アンネ・フランクが、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ移送される。 
1945年 - オーストラリア出身でイギリスの新聞記者、ウィルフレッド・バーチェットが、原子爆弾(原爆)が投下された広島市を取材し、「No more Hiroshima」と打電して惨状を世界に訴える。 
1945年 - 中華民国(当時の中国で、1949年以後は台湾のみ)で、前日の対日終戦調印の翌日のこの日から3日間が、抗日戦勝記念の休暇とされる(対日戦勝記念日)。 
1945年 - フィリピン防衛戦を行なっていた山下奉文陸軍大将が降伏文書に調印。 
1948年 - 婦人運動家、奥むめおの呼掛けにより、東京都新宿区新宿で「不良マッチ退治の主婦の大会」が開催される。日本の消費者団体の1つ、主婦連合会結成のきっかけとなる。 
1950年 - ジェーン台風(昭和25年台風第28号)が徳島県海部郡日和佐町(現:徳島県海部郡美波町)付近に上陸。その後、台風は淡路島付近を通過し、兵庫県神戸市垂水区付近に再上陸する。当時の日本は、アメリカの占領下にあり、気象業務もアメリカ軍と共同で行なわれていたため、8月30日に発生した昭和25年台風第28号は、番号ではなく、アメリカ式に「ジェーン台風」と呼ばれる。1950年は、暖候期を中心に台風の発生緯度が比較的高く、ジェーン台風も高緯度で発生し、その最盛期は、中心気圧940ミリバール(現在の単位ではヘクトパスカル)、最大風速は秒速50mとなっている。台風による影響は、降水による影響よりも、強風による影響の方が大きく、四国や紀伊半島の沿岸では、秒速35mの暴風が吹き、近畿や北陸、東海では秒速30mの暴風が吹荒れる。大阪湾では、台風の強風による吹寄せで高潮が発生し、満潮時より約2m以上高い潮位を観測する。船舶に多くの被害が出た他、沿岸部では工業化による地盤沈下も影響し、家屋浸水も多発する。死者398名、行方不明者141名、負傷者26,062名、 住家全壊19,131棟、住家半壊101,792棟、床上浸水93,116棟、床下浸水308,960棟等、近畿地方を中心に、多大な被害が発生している。 
1950年 - 新潟県十日町市・小千谷市にある日本国有鉄道(現在の東日本旅客鉄道[JR東日本])の水力発電所、信濃川発電所第7号トンネル建設現場で落盤事故が発生し、作業員45名が死亡する。
1951年 - アメリカの対外放送ボイス・オブ・アメリカが、日本短波放送を再開。
1966年 - 荒舩清十郎運輸相(運輸行政を扱う運輸省[現在の国土交通省の前身の1つ]の長)が、自身の選挙区内の高崎線深谷駅に急行を停車させるよう、国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)に指示していたことが発覚。これが元で10月に辞任する。 
1966年 - 子どもを車にぶつけさせ、慰謝料を詐取していた当たり屋(故意に交通事故を起こして、損害賠償を請求しようとする者)夫婦が逮捕される。後に、この事件をモデルにして、映画監督の大島渚が『少年』のタイトルで映画化する。 
1967年 - 北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置するスウェーデンで、自動車の対面交通が左側通行から右側通行に変更される(ダゲン・H)。 
1971年 - 中東、アラビア半島東部のカタール半島のほぼ全域を領土とするカタールがイギリスから独立。 
1976年 - アメリカの火星探査機「バイキング2号」のランダー(着陸船)が、太陽系第四惑星、火星の表面に着陸。 
1977年 - 王貞治が通算756号ホームランを達成し、ハンク・アーロンの記録を抜いて世界最高記録となる。 
1980年 - 中華人民共和国で投獄され、日本では消息不明となっていた政治運動家で、元日本共産党幹部の伊藤律が、約29年振りに帰国する。