9月1日 記念日 その8 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ギリシャヨーグルトの日。
東京都港区芝に本社を置く大手乳製品メーカーで、日本で初めてギリシャヨーグルトを発売した、森永乳業株式会社が制定。ギリシャヨーグルトは、水切り製法でヨーグルトの水分を取除いた濃厚な味わいが特長。日付は、森永乳業株式会社から日本初のギリシャヨーグルト「濃密ギリシャヨーグルト パルテノ」が発売された、2011(平成23)年9月1日から。ギリシャヨーグルトは、水切り製法でヨーグルトの水分を取除いた多少堅めのヨーグルトで、濃厚な味わいが特長である。国によっては、水切りヨーグルトやヨーグルトチーズ等とも呼ばれる。パルテノは、ヨーグルトがぎゅっと詰まっていて、すくった瞬間、ツノが立つ程、濃密クリーミーなヨーグルトである。それは、ヨーグルトを3倍濃縮してく作られた証。たんぱく質も普通のヨーグルトの約3倍であるが、100gで100kcalと、高たんぱくでヘルシーである。種類には、プレーンタイプ、はちみつ・ラズベリーのソース別添タイプ、ブルーベリー・ストロベリー等のソース入りタイプがある。森永乳業株式会社は、かつては乳業業界最大手のメーカーであったが、現在では、業界2位となっている。業界1位は明治乳業株式会社であるが、この明治乳業株式会社は、旧明治製糖から明治製菓と共に分離・独立した企業で、森永と同様に、1つの母体から「乳業」と「製菓」に分離しており、また、設立時期が近く、製菓と乳業の2部門間の歴史や商品構成が類似していることから、業績面でよく比較対象として挙げられる。
しゃぶしゃぶ・日本料理 木曽路の日。
愛知県名古屋市昭和区白金に本社を置く、数多くの飲食料理店を全国で展開する企業、株式会社木曽路が制定。日付は、「しゃぶしゃぶ・日本料理 木曽路」の1号店がオープンした1966(昭和41)年9月1日から。株式会社木曽路の主要業態、「しゃぶしゃぶ・日本料理 木曽路」が提供する料理の魅力を、より多くの人に知ってもらうことが目的。しゃぶしゃぶ・日本料理「木曽路」は、大宴会場での忘新年会や歓送迎会、小宴会場・個室での親しい人との会合、同窓会・自治会の集まり等、各種の宴会でも利用できる。また、しゃぶしゃぶや、会席料理等、要望や季節に合わせて多彩な宴会料理を用意している。その他、結婚や出産、還暦のお祝い等、多様な用途で利用できるコースメニューや、お座敷も用意している。株式会社木曽路では他に、2月9日を木曽路「肉の日」・木曽路「ふぐの日」、4月2日を木曽路「しゃぶしゃぶの日」、4月8日を木曽路「すきやきの日」としている。
九一庵の日。
長崎県大村市東大村に所在し、美味しいこだわり豆腐の製造・販売を手掛ける全部協業型組合、九一庵食品協業組合が制定。日付は、組合名の「九(9)一(1)庵」から9月1日としたもの。九一庵という商号を、広く正しく知ってもらうことが目的。九一庵食品協業組合は、「九州で一番の豆腐屋さんになろう!」の合言葉を基に、長崎県内の豆腐製造業者5社が協業化して、1995(平成7)年に誕生した。当時、長崎県内の豆腐製造業者は、大手スーパーの進出により取引先であった地元中小スーパーとの取引の減少が懸念され、事業の縮小や廃業が危惧されていた。そこで、逆に大手スーパーとの取引を行なうことで事業の存続と成長を目的に、共同生産のための協業組合を設立した。これにより、共同生産による低コスト化が実現し、個別企業では取引できない大手スーパーとの取引ができるようになった。「一粒の大豆から命をつなぐ」を理念に掲げ、素材・水・味・健康に拘った、安全で美味しい豆腐を九州全域だけではなく、関西・関東まで毎日届けている。水は名水100選にも選ばれた多良の名水を使用。そして、厳選された大豆一粒一粒を大切にして製造。乳児の離乳食として、安心して与えられる豆腐を造ることを使命と考え、日々努力している。豆腐は、消化吸収も高く、原料の大豆は栄養価が高いことから「畑の肉」とも呼ばれ、昔から「長寿食」と言われている。筋肉や骨、臓器をつくるたんぱく質はもちろん、カルシウム・ビタミンE・マグネシウム・鉄分・カリウム等のミネラル分も豊富に含む。
モンモリロナイトの日。
東京都江戸川区東葛西に所在する、国産粘土(クレイ)のモンモリロナイトを基材としたスキンケアやボディケアの商品を製造・販売する企業、株式会社粘土科学研究所が制定。日付は、9月1日の「9」と「1」で、「ク(9)レ(0)イ(1)」と読む語呂合わせから。記念日を通して、自社の全ての製品に配合されているモンモリロナイトの魅力を、より多くの人に知ってもらうことが目的。クレイ(clay)とは粘土のことで、モンモリロナイト(montmorillonite)は、粘土鉱物であり、クレイの一種。火山灰が熱や圧力等に約6,000万年という時間さらされ、ゆっくりと自然に研磨され、非常に滑らかで細かい結晶となり、モンモリロナイトができ上がる。モンモリロナイトの名は、産地の1つであるフランス中西部のヴィエンヌ県にあるモンモリヨンに由来し、1847(弘化4)年に命名された。日本では新潟県や山形県、群馬県等で良質なモンモリロナイトが産出される。モンモリロナイトは、汚れを落とす、潤いを届ける、乾燥から守るという力があるため、スキンケアとの相性が良い素材。株式会社粘土科学研究所は、1984(昭和59)年の創業以来、モンモリロナイトを主材に、スキンケア商品等を研究開発、製造している。モンモリロナイトを使った商品として、洗顔料やローション、クリーム、パック、歯磨き粉等がある。商品開発において、環境への負荷や体への刺激になり勝ちな、界面活性剤の量を極力少なくする処方を心掛けている。
イオンタウンの日。
千葉市美浜区中瀬に本社を置く、ショッピングセンターの開発と運営等を手掛ける企業、イオンタウン株式会社が制定。自社の経営理念を具現化するために、「イオンタウンと地域がこれからのまちづくりや交流についてともに考える日」として活用することが目的。日付は、大手流通グループ「イオングループ」を運営するイオン株式会社(本社は、千葉市美浜区中瀬に所在)と、大阪市北区梅田に本社を置く住宅総合メーカーで、商業施設の請負・賃貸・管理等も手掛ける、ダイワハウス工業株式会社の共同出資によって設立されたロック開発株式会社が、2011(平成23)年9月1日にイオンタウン株式会社と社名の変更を行なったことから、2021(令和3)年の10周年を記念して。イオン株式会社は、ダイワハウス工業株式会社が保有する株式を取得する形で、ロック開発株式会社を100%子会社とした。併せて、ロック開発株式会社が運営していた「ロックタウン」や「ロックシティ」の名称を、「イオンタウン」に統一している。イオンタウン株式会社が主に展開するのは、ネイバーフッド型ショッピングセンター、略してNSC(Neighborhood Shopping Center)と呼ばれ、夫々のショッピングセンターは、日々の生活を安定的に支えるためのライフラインとしての役割だけでなく、災害発生時等には、安全・安心に貢献する拠点としての機能を整備し、地域ライフラインとしての社会的責任等も果たす。

喘息デー。
9月第1日曜日。和歌山市の開業医、久保裕の提唱により、ニフティサーブのフォーラム「すこやか村・喘息館」が中心となって、1993(平成5)年から実施。この日を中心に、全国で喘息治療に関する相談会や講演会等が行われる。喘息は、慢性の気道炎症(好酸球性炎症が典型的であるが、好酸球以外の炎症性細胞が主体の表現型も存在する)、気流制限(典型例では、通常、可逆性あり)、気道過敏性の亢進を病態の基盤に有し、発作性に、呼吸困難、喘鳴、咳等の呼吸器症状をきたす症候群である。気管支喘息とも呼ばれ、東洋医学では、哮喘と称される。哮は、発作性の喘鳴を伴なう呼吸疾患で、喘は、保迫するが喘鳴は伴なわない呼吸疾患である。双方は同時に見られることが多い為、はっきりと区別することは難しい。虚証・実証に区別はされるが、気機(昇降出入)の失調で起こる。自動車、タバコ、工場の煙等の環境刺激因子(アレルゲン)、寒気、運動、ストレス等の種々の刺激が引き金となり、これらに対する過敏反応として、気管支平滑筋、気道粘膜の浮腫、気道分泌亢進等により、気道の狭窄・閉塞が起こる。気道狭窄によって、喘鳴(ぜんめい:喉のヒューヒューという高い音)、息切れ、咳、痰(たん)等の症状を認める。喘息発作時には、これらの症状が激しく発現し、呼吸困難や過呼吸、酸欠、体力の激しい消耗等を伴ない、時には死に至ることもある。気道感染が喘息急性増悪の誘発因子となることが多い。
スポーツ環境・クリーンファーストの日。
9月第1日曜日。大阪府茨木市で社会人野球チームとして活動する「BB’monstars」では、グラウンド周辺のゴミを拾ってから試合を行なう等、清掃活動に力を入れているが、ゴミ拾いをする度に大量のゴミが集まる。そこで、全国のスポーツチームが一斉に地域の清掃を行なう日があれば、各地がキレイになるのでは、と考えて制定。スポーツチームによる清掃活動という文化の普及が目的。日付は、「ク(9)リーンファースト(1)」の語呂合わせから9月の第1日曜日に。学生や社会人のスポーツチームでは、曜日の変動のある「1日」や「平日」よりも、週末の方がより多くの人が集まれるため、第1日曜日とした。
木歩忌。
俳人、富田木歩の1923(大正12)年の忌日。俳号の木歩は、自らが歩きたい一心で手作りした木の義足に因む。富田木歩は歩行不能、肺結核、貧困、無学歴の四重苦に耐えて句作に励み、「大正俳壇の啄木」と言われ将来を嘱望されるが、大正関東地震(関東大震災)に遭遇し、27歳の若さで焼死する。「声高ではないが、自分の境涯を身辺の風物に託して詠んでいる」と評されている。富田木歩と同い年であった大正・昭和期の俳人、新井声風は、大正関東地震(関東大震災)被災時に富田木歩の元に駆付け、救助しようとしたが叶わず、自身は奇跡的に助かっている。新井声風はその後、富田木歩の句集・文集を編纂したり、富田木歩に関する本や文を纏める等、その業績を世に知らしめる為に尽力した。 
夢二忌。
岡山県邑久郡本庄村(現在の岡山県瀬戸内市邑久町本庄)出身で、明治期から大正期にかけて活躍した画家・詩人、竹久夢二の1934(昭和9)年の忌日。竹久夢二は、数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」等と呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵も描いた。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話等を創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨の他、浴衣等のデザインも手掛けており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けの1人とも言える。21世紀に入っても、画集、詩文集、童話が様々な装丁で刊行されたり、夢二作品を専門に所蔵する美術館(夢二郷土美術館[竹久夢二の作品を集めた美術館であり、本館が後楽園外苑の岡山市中区浜に、別館が瀬戸内市邑久町にある]や、竹久夢二美術館[東京都文京区弥生にある、竹久夢二作品を公開する私立美術館]等)以外でも展示会が開かれたりしている。