8月22日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

天の元后聖マリアの記念日。
天の元后たる聖母マリアを記念する日。中東・ギリシャ・東ヨーロッパ等に広がり成長したキリスト教諸教派(東方諸教会)の1つである正教会や、西ヨーロッパに広がり成長したキリスト教最大の教派であるカトリック教会では、「天の元后」、或いは「天の女王」は、聖母マリアへの尊称として用いられている。元は、聖母マリアの月である5月の末日(5月31日)が祝日であったが、1954(昭和29)年の第260代ローマ教皇ピウス12世の回勅(ローマ教皇から全世界のカトリック教会の司教へ宛てられる形で書かれる文書で、道徳や教えの問題についての教皇の立場を示すものである)により、「聖母マリアの被昇天(聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴なって天国にあげられたという信仰、或いは、そのできごとを記念する祝日で、8月15日となる)」から8日目の8月22日に改められた。
ヤバイ夫婦の日。
2012(平成24)年9月8日に公開の映画『夢売るふたり』を多くの人に観てもらいたいと、東京都千代田区丸の内に本社を置く、映画製作・配給会社のアスミック・エース エンタテインメント株式会社(現在は、社名をアスミック・エース株式会社と改めている)が制定。『夢売るふたり』は、西川美和監督、松たか子、阿部サダヲ主演の、仲が良い時も悪い時も深い絆で結ばれているヤバイ(危ない、カッコイイ、スゴイ)夫婦を描いた作品。日付は、8月22日の「8」と「22」で、「ヤ(8)バイ夫婦(ふう[2]ふ[2])」の語呂合わせから。西川美和監督の長編映画第4作目となる『夢売るふたり』では、初めて女性を主人公に据え、小料理店を営む夫婦が火事で店を失い、再び店を構えるという夢を叶えるために、独身女性をターゲットに結婚詐欺を繰返す姿が描かれ、夫婦の物語、そして女性の生き方をテーマがテーマとなっている。キャッチコピーは、「人間最大の謎は、男と女」。『夢売るふたり』で松たか子は、2013(平成25)年の第36回日本アカデミー賞で優秀主演女優賞と、第31回ヨコハマ映画祭で主演女優賞、第27回高崎映画祭では最優秀主演女優賞を受賞している。 
はいチーズ!の日。
東京都千代田区大手町に本社を置く、各種写真サービス等の事業を手掛け、「一枚の写真から千の笑顔を。」をモットーに、「はいチーズ!」を運営する企業、千株式会社が制定。日付は、8月22日を「8/22」として、子ども達のとびきりの笑顔の写真を撮るための掛け声である、「は(8)い(1)チ(2)ーズ(2)!」の語呂合わせから。「はいチーズ!」は、カメラマンが保育園・幼稚園の行事等を撮影した写真を、ママやパパが見たり買ったりできるインターネット写真サービスのことで、インターネットで写真を24時間、どこからでも閲覧・購入でき、また、自宅まで届けてくれる。パソコンやスマートフォンで利用できるため、両親はもちろん、遠方の親戚の人達も写真を閲覧・購入できる。 
パニーニの日。
インターネット関連事業を手掛ける企業、株式会社サイバーエージェントと、在京キー局の1つ、株式会社テレビ朝日が出資して設立されたインターネットテレビ局、株式会社AbemaTV(アベマティービー、本社所在地は、東京都渋谷区円山町)が制定。日付は、8月22日の「8」と「22」で、「パ(8)ニ(2)ーニ(2)」と読む語呂合わせから。株式会社AbemaTVの「FRESH! by AbemaTV 」内で放送されている「太田チャンネル」でMCを務める、太田プロダクション所属のお笑いコンビ「パニーニ」(木坂哲平・飯沼博貴)の名前を広めることが目的。なお、パンで具材を挟んだイタリア料理の軽食「パニーノ」の複数形、「パニーニ」とは関係がなく、このコンビ名に決めた理由も特にないという。お笑いコンビ「パニーニ」は、若手漫才師による漫才日本一を決定する大会、『M-1グランプリ』の第13回大会(2017[平成29]年)で準々決勝に進出している。
みんなのあんバターの日。
東京都世田谷区太子堂に本社を置く芸能プロダクション、株式会社ベンヌに所属する、あんバターマニアでインスタグラマーの「うさもぐ」と「うさもぐwithクラウドファンディング支援者一同」が制定。あんバター溢れる1日をみんなで作りたい、という思いから、クラウドファンディング(不特定多数の人が通常、インターネット経由で、他の人々や組織に財源の提供や協力等を行なうこと)でプロジェクトを立上げた。記念日を通して、あんバターの美味しさを多くの人に知ってほしい、との願いが込められている。あんバターは、あんこ(あずき)とバターを組合わせた食べ物であることから、毎月1日の「あずきの日」と、8月21日の「おいしいバターの日」の2つの日付を組合わせ、8月22日としたもの。「うさもぐ」は、インスタグラムであんバターについての情報発信をしている他、YouTubeチャンネル「うさもぐるめ」でも、あんバターやあんバターを販売する店の紹介等を行なっている。
藤村忌。
詩人・作家、島崎藤村の1943(昭和18)年の忌日。島崎藤村は、月刊文芸雑誌『文学界』に参加し、ロマン主義(感受性や主観に重きをおいた精神運動)詩人として詩集『若菜集』等を出版。さらに小説に転じ、長編小説『破戒』や長編小説『春』等で代表的な自然主義(自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定するもの)作家となった。作品は他に、小泉家と橋本家という2つの旧家の没落を、相互の歴史を明らかにし、新時代の「家」と対比して描いた作品である長編小説『家』や、姪との近親姦を告白した長編小説『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作で、2部構成の長編小説『夜明け前』等がある。また、日本の文筆家で構成される法人である、日本ペンクラブの初代会長を務めた。島崎藤村の詩の幾つかは、歌としても親しまれている。詩集『落梅集』に収められている一節「椰子の実」は、農務官僚から民俗学者となり、日本民俗学の開拓者とされる柳田國男が、伊良湖の海岸(現在の愛知県田原市に所在)に椰子の実が流れ着いているのを見た、というエピソードを元に書いたもので、1936(昭和11)年に国民歌謡の1つとして、日本語の抑揚を活かしたメロディーで、多くの作品を残した作曲家・指揮者、山田耕筰門下の大中寅二が作曲し、現在に至るまで愛唱されている。また、同年に発表された国民歌謡「朝」(作曲:小田進吾)や、1925(大正14)年)に弘田龍太郎によって作曲された歌曲「千曲川旅情の歌」も、同じ詩集『落梅集』からのものである。1899(明治32)年、小諸義塾の英語教師として長野県北佐久郡小諸町(現在の長野県小諸市の一部)に赴任し、以後約6年過ごす(小諸時代)。この頃から現実問題に対する関心が高まったため、散文へと創作法を転回する。小諸を中心とした千曲川一帯を見事に描写した写生文『千曲川のスケッチ』を書き、「情人と別るるがごとく」詩との決別を図った。長編小説『破戒』に登場する市村代議士のモデルと言われる立川雲平(弁護士、政治家で、長野県北佐久郡岩村田町[現在の長野県佐久市の一部]に居住)を頻繁に訪問し、すぐ近くにある、室町時代に宿を創め、明治時代にホテルとなった佐久ホテルで執筆活動を行なった。 
向田邦子忌。 
1981(昭和56)年8月22日、台湾で発生した旅客機事故(遠東航空103便墜落事故)により、テレビドラマ脚本家・エッセイスト・作家の向田邦子が亡くなった。向田邦子は、精力的に海外旅行をしていたが、実は飛行機嫌いであったという。1981(昭和56)年5月に「ヒコーキ」(随筆集『霊長類ヒト科動物図鑑』に所収)という随筆で、「私は今でも離着陸の時は平静ではいられない」と書き、余り片付けて出発すると「やっぱりムシが知らせたんだね」等と言われそうで、縁起を担いで汚いままで旅行に出る、と述懐していた。しかしながら、験担ぎも虚しく、この僅か約3ヶ月後には、飛行機事故で命を落とすこととなった。向田邦子は、テレビドラマの脚本家として『七人の孫』『だいこんの花』『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『阿修羅のごとく』等、数々の名作を残し、市井の人々を描いた連作短編小説集『思い出トランプ』で、第83回直木三十五賞(大衆性を押さえた長編小説作品、或いは短編集に与えられる文学賞で、通称は直木賞)を受賞している。向田邦子は、映画雑誌編集者として過ごした後、テレビドラマ脚本家・エッセイスト・作家として活躍する。愛猫家としても知られ、実家暮らしの頃から亡くなるまで、常に複数の猫を飼っていた。また、向田邦子は、グルメとしても有名であった。料理も得意で自炊したが、著述活動の傍ら「女性が1人でも気軽に寄れるお店を作ろう」と、妹の随筆家、向田和子と東京都港区赤坂で小料理屋「ままや」を開店した。「ままや」は、向田邦子の死後も妹の向田和子によって営業が続けられたが、1998(平成10)年に閉店した。