8月21日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

噴水の日。
1877(明治10)年8月21日に開幕した第1回内国勧業博覧会(国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的とした、政府主導の博覧会)で、会場となった上野恩賜公園(上野公園、現在の東京都台東区に所在)中央の人工池に、日本初の西洋式の噴水が作られたことを記念した日。但し、8月21日は、第1回内国勧業博覧会(会期は11月30日まで)の開幕日であり、実際に噴水が落成したのは9月8日であった。1877(明治10)年2月に勃発した西南戦争(現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県で、元薩摩国/大隅国薩摩藩藩士から陸軍軍人・政治家となり、政府首脳陣と対立して下野した西郷隆盛を盟主として起こった士族による武力反乱)が終末を迎えつつある中で開催された第1回内国勧業博覧会は、1873(明治6)年にオーストリア=ハンガリー帝国(現在のスイス領内に発祥したドイツ系の貴族の家系、ハプスブルク家の君主が統治した、中東ヨーロッパの多民族[国家連合に近い]連邦国家)の首都ウィーン中心部にあるプラーター公園で開催された国際博覧会、ウィーン万国博覧会(日本が公式に初参加した万国博覧会でもある)を参考に、明治維新の元勲(明治政府の樹立、安定に寄与した最有力者)の1人である初代内務卿(内務省[現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身]を指揮監督した国務大臣)、大久保利通が推し進めたものであった。なお、日本で最古とされる噴水は、兼六園(石川県金沢市にある日本庭園で、日本三名園の1つに数えられる)の噴水で、1861(文久元)年に加賀国/能登国/越中国加賀藩第12代藩主前田斉泰が作らせたものである。当然、動力は使われておらず、高低差を利用した位置エネルギーのみで動いている。現在、噴水の高さ日本一は、山形県西村山郡西川町にある寒河江ダムにより形成された人造湖「月山湖」に於いて稼働している「月山大噴水」で、112mの高さまで噴上げることができ、世界でも第4位の高さを誇っている。季節によって打上げる噴水の形が変わり、夜間にはライトアップも行なわれ、幻想的な情景となる。この他、滋賀県大津市の琵琶湖上(大津港沖合180mの防波堤上)で稼働している「びわこ花噴水」は、複数の放射噴水を横並びに構築することにより、横方向の長さで世界最大級の噴水を造り出している。噴水とは、池や湖等に設けられる水を噴出する装置、又はその噴出される水そのもののことである。広場や庭園、公園の装飾的設備として設けられることが多い。噴上げる仕組みとしては、伝統的なものでは、落差を利用し水を噴上げる構造となっているが、現在稼働しているものでは、モーター等の動力とポンプで構成されるものが目立つ。形態としては、ただ上方に水を噴上げるだけの単純なものもあれば、噴上げる強さを変えられるもの、ノズルが可動式になっており、さまざまな噴水形状を作れるものも存在する。また、噴水の階層を複数にしたもの(二段噴水・三段噴水)や、噴水の周囲をプールとして使用できるように造られたもの(噴水プール)も存在する。さらに、ライトアップ機能が付加されているものや、音楽に連動して噴上げる水の形を変えられるよう機能構成されているものも存在する。1964(昭和39)年に開催された東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の2年後(1966[昭和41]年)、約10分の短編映画『水のデザイン』がリリースされた。これは、水処理専業最大手として知られる栗田工業(クリタ)の企画の下、教育・科学・文化に係わる映像の製作会社である東京シネマ(現:東京シネマ新社)によるもので、映画が製作された昭和40年代初頭に於いて、既に稼働していた各地の噴水の数々が取上げられている。その中には、東京都中央区にある八重洲通りの車道の間に造られた、風速に連動して高さを自動調節する噴水や、兵庫県神戸市内に造られた、水の噴射をしない時にはノズルが水面下に隠れるよう造られた噴水等が含まれており、加えて、現在は閉鎖された横浜ドリームランド(所在地は、神奈川県横浜市戸塚区俣野町)に存在した、音楽連動型噴水も取上げられている。さらに、映画製作当時において、『水のデザイン』の企画者栗田工業(クリタ)が開発していた噴水技術の幾つか(浮沈型噴水等)も紹介されている。現在、『水のデザイン』は、科学映像館のWebサイト上において無料公開されている。なお、科学映像館は、日本で過去に制作された科学映画の保存と普及を図るフィルム・ミュージアムで、企画運営は、2007(平成19)年4月1日に設立された特定非営利活動法人(NPO法人)科学映像館を支える会が担当し、関係者、関係企業・組織、映像制作会社等の協力と、個人会員、及び協賛企業の寄付に支えられている。 
福島県民の日。 
1876(明治9)年8月21日、第2次府県統合により、若松県・福島県・磐前県が合併して、福島県がほぼ現在の県域となったことを記念して、福島県が「福島県民の日条例(平成9年7月11日福島県条例第61号)」により、1997(平成9)年に制定。郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせて、より豊かな福島県を築き上げ次世代に引継ごう、という趣旨である。東北地方の南部に位置する福島県は、地形・気候・交通・歴史等の面から、越後山脈と奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の「会津」、奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれた太平洋側内陸の「中通り」、阿武隈高地と太平洋に挟まれた太平洋側沿岸の「浜通り」の3地域に分けられる。現在の福島県は、1876(明治9)年8月21日に会津地域の前身に当たる若松県と、中通り地域の前身に当たる福島県(1876[明治9]年以前)、浜通り地域の前身に当たる磐前県の3県の合併によって成立した。県名の「福島」は、当時県庁所在地であった福島県信夫郡福島町から採ったもので、「福島」の名は、福島城として使われたことが最初とされている。 
静岡県民の日。 
1876(明治9)年8月21日、第2次府県統合により、現在の静岡県西部に当たる浜松県が静岡県に編入され、静岡県がほぼ現在の県域となったことを記念して、静岡県が「静岡県民の日条例(平成8年3月28日静岡県条例第23号)」により、1996(平成8)年に制定。「今」の静岡県はもちろん、「過去」の歴史に触れたり、「未来」の形を考えたり、「ふじのくに」静岡県を身近に感じる機会になればと、毎年この日を「県民の日」として、様々なイベントを実施している。静岡県は、直線距離では、県域の東西が約155km、南北に約118kmと広大な県域を保つ。旧令制国の伊豆国の殆ど、及び駿河国と遠江国の3国にほぼ相当する県である。地域によって住民の意識に違いが見られ、地域によって方言も異なり、文化面に於いても、地域により差異が大きい。静岡県の形は金魚に例えられることがあり、この場合、西部を頭、東部を尾に見立てる。静岡県は、東日本と西日本のほぼ真ん中に位置しているが、歴史的・文化的経緯や人口・面積の比率・経済等を勘案して、東日本に分類されることが多い。しかし、日本の経済の重心が首都圏に偏っていることから、特に、経済分野で相対的に弱い西日本を補完するために、西日本に分類されることもある。基本的に、静岡県が地域分類される場合、大まかに分けて、一番よく見掛ける分類である中部(東海)、次に多い広域関東圏(関東・甲信越静)、静岡県を単独のエリアとする分類等が見られる。また、神奈川県西部や首都圏との経済的・観光的結び付きが強い、熱海市のみを東京圏とする場合がある。