8月13日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1471年 - 浄土真宗の僧で本願寺第8世、蓮如が越前国(現在の福井県敦賀市と福井県南条郡南越前町との境にある標高628mの峠、木ノ芽峠[古代北陸道の通る道となった難所で、平安時代以前から明治中期までの約1,000年間、北陸地方と近畿地方を結ぶ交通の要として栄えた]以北の地域、嶺北[福井県北東部]に相当する地域)に吉崎御坊を建てる。吉崎御坊は、越前吉崎(現在の福井県あわら市吉崎)にあった坊舎である。比叡山延暦寺等の迫害を受けて京から逃れた蓮如が、本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として、越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立したもので、この地で、蓮如は教義を民衆に分かり易く説き、御坊には北陸は元より、奥羽等からも多くの門徒が集っている。御坊周辺の吉崎一帯は、坊舎や門徒の宿坊等が立並び、寺内町を形成したが、1475年に戦国の動乱で焼失し、蓮如は吉崎を退去する。 
1521年 - アステカ文明(北アメリカのメキシコ中央部に栄えた文明)の湖上の都、テノチティトラン(現在のメキシコの首都、メキシコシティに相当)が、スペインのコンキスタドール(探検家・アメリカ大陸征服者)、エルナン・コルテスによって陥落する。 
1536年 - 天文法華の乱。比叡山延暦寺の僧兵と、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国(現在の滋賀県に相当する)南部を中心に勢力を持った武家(守護大名)、六角氏の軍勢が、日蓮宗(法華宗)の信仰が町衆の大半に浸透し、極めて強い勢力を誇るようになっていた京(現在の京都市街)に侵入。市中の21の日蓮宗(法華宗)寺院に火を付け炎上させる。延暦寺の僧兵と六角勢が放った火は大火を招き、京は下京の全域、及び上京の約3分の1程度を焼失。兵火による被害規模は、1467年に発生し、1478年までの約11年間に亘って継続した内乱、応仁の乱を上回るものとなる。 
1553年 - 三位一体説(キリスト教において、「父」と「子[キリスト]」と「聖霊[聖神]」が「一体[唯一の神]」であるとする教え)批判の廉(特に取上げるべき事項)で、カトリック(旧教)・プロテスタント(新教)の双方から追われていたスペインの神学者ミシェル・セルヴェが、フランスの神学者でキリスト教宗教改革初期の指導者、ジャン・カルヴァン治下であった、スイス西部にあるジュネーヴで捕らえられる。 
1587年 - 肥後国人一揆。肥後国(現在の熊本県に相当)の国人、隈部親永らが、1586年の豊臣秀吉による九州平定で功を挙げたことを契機に、肥後国を拝領した佐々成政が、性急に行なった検地を拒否し、挙兵する。国人達の不満が一挙に爆発したことから、一揆軍の頑強な抵抗を受けた佐々成政は、豊臣秀吉に援軍を要請する。九州を唐入り(天下統一を果たした豊臣秀吉が、中国明朝の征服を目指した政策)の兵站基地と位置付けていた豊臣秀吉は、肥後国人一揆の早期解決を図って九州・四国の大名を総動員し、一揆を鎮圧したが、佐々成政の失政を咎め、切腹させる。その後、肥後国の北半国が加藤清正に、南東部の球磨を除いた南半国が小西行長に与えられる。
1690年 - 上野忍岡(現在の東京都台東区に所在)の忍岡聖堂(朱子学派儒学者の林羅山が私邸内に建てた孔子廟[中国、春秋時代の思想家、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟])を湯島(現在の東京都文京区に所在)に移転(湯島聖堂)。 
1704年 - スペイン継承戦争: ブレンハイムの戦いで、イギリス・オーストリア連合軍がフランス・バイエルン連合軍を破る。
1787年 - 江戸幕府老中の松平定信が、「享保の改革」(主としては、幕府財政の再建が目的であったが、先例格式に捉われない政策が行なわれ、文教政策の変更、法典の整備による司法改革、江戸市中の行政改革等、内容は多岐に亘る)に倣うよう各役人に訓戒する。これが、緊縮財政、風紀取締による幕府財政の安定化を目指した「寛政の改革」の始まりとされる。「享保の改革」と「寛政の改革」は、貨幣経済の発達に伴なって逼迫した幕府財政の再興を目的とした「天保の改革」と合わせ、「江戸幕府の三大改革」と呼ばれるが、これ以外にも、大規模な財政・制度改革は、幾度にも亘って行なわれている。
1814年 - イギリスとオランダがロンドン条約を締結。この条約で、両国が東南アジア西部に位置するマレー半島とスマトラ島との間の勢力圏を画定する。 
1844年 - 伝馬町牢屋敷(現在の東京都中央区日本橋小伝馬町の周辺に所在した、囚人等を収容した施設)が焼け、蛮社の獄(幕府が蘭学者に加えた弾圧)で収監されていた医者・蘭学者の高野長英が脱獄する。 
1868年 - アリカ地震。南アメリカ大陸南西部に位置するチリの最北部、アリカ沖でマグニチュード(M)8.9の巨大地震が発生(現地時間)。津波等で約25,000名以上が死亡し、ニュージーランドや日本等、太平洋沿岸の広い範囲にも津波が到達する。
1872年 - 西洋式印刷術による日本で初めての紙幣で、政府紙幣(「通貨発行権」を持つ政府が直接発行する不換紙幣[本位貨幣、即ち、正貨たる金貨や銀貨との兌換が保障されていない法定紙幣])であった明治通宝の百円券と五十円券が発行される。
1876年 - 第1回バイロイト音楽祭開幕。バイロイト音楽祭は、ドイツ南部のバイエルン州北部、フランケン地方にある小都市、バイロイトのバイロイト祝祭劇場(全館が木造の歌劇場[オペラハウス])で毎年7月から8月にかけて行なわれる、ドイツの作曲家ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーの歌劇(オペラ)・楽劇(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーによって創始されたオペラの様式)を演目とする音楽祭である。バイロイトは、ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー自らがバイロイト祝祭劇場を創設した故事と長い伝統により、多くのオペラファンからは今なお、ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー上演の総本山と見做されている。 
1897年 - 京都帝国大学(現在の京都大学の前身)で開学式が行なわれる。 
1904年 - 医師・病理学者の桂田富士郎が、日本住血吸虫(哺乳類に寄生する寄生虫の一種)を官報(国としての作用に関わる事柄の広報、及び公告をその使命とする日本国の機関紙)第6337号に報告掲載(発見は前月7月30日)。日本住血吸虫がヒトに寄生することにより起こる疾患を、日本住血吸虫症という。 
1913年 - 吉田岩窟王事件。現在の名古屋市千種区の路上で小売商の男性が殺害され、金銭が奪われる。翌日、被疑者として2名の男性(当時22歳と26歳)が逮捕されたが、その供述から、全く無関係の第三者ながら、主犯とされた吉田石松は、終始否認を続け、事件発生から50年目で無罪判決を受けている。
1914年 - 富山市で大水害が発生し、神通川流域で死者54名、行方不明者60名等の被害となる。  
1916年 - 鄭家屯事件。中国北東部、奉天省(後の遼寧省、1949年に消滅)鄭家屯で日中両軍が衝突。日本側に14名、中国側に4名の死者が出る。 
1926年 - 電気工学者で、東北帝国大学(現在の東北大学の前身)の八木秀次教授が「八木アンテナ」の特許を取得。「八木アンテナ」は、八木秀次教授が特許を取得したため「八木アンテナ」と呼ばれていたが、詳細設計は講師の宇田新太郎が担当したことから、「八木・宇田アンテナ」と呼ばれるようになる。「八木・宇田アンテナ」は汎用性のある指向性アンテナで、広範囲に電波発信できるレーダー性能と、遠距離からの電波受信が可能である。発表当時の国内では見向きもされず、軍関係者も「敵に居場所を教えるようなもの」と否定されている。一方の国外では、レーダー技術を飛躍させた画期的発明であると注目され、第二次世界大戦中は、イギリス軍の防空体制やドイツ軍の夜間戦闘機等に幅広く転用される。第二次世界大戦後はテレビ普及と同時に広く使われ、各一般家庭の屋根に設置されて、日常光景として定着する。 
1927年 - 大阪放送局(現:日本放送協会[NHK]大阪放送局)が、全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会の前身)の試合を生中継、日本初のスポーツ生中継となる。 
1937年 - 第二次上海事変(中華民国軍の「日本租界[中華民国内にあった外国人居留地]」への攻撃と、それに続く日本軍の反撃)が勃発する。