7月25日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

最高気温記念日。 
1933(昭和8)年7月25日、日本の気象観測史上で最も高い気温が記録されたことから設けられた日。山形市の山形観測所で観測されたその気温は40.8℃。盆地特有のフェーン現象(山の斜面に当たった後に山を越え、暖かくて乾いた下降気流となった風によって、その付近の気温が上がる現象)によるものであった。長らくこれが、日本の最高記温の記録となっていたが、2007(平成19)年8月16日に岐阜県多治見市、及び埼玉県熊谷市で40.9℃を観測し、74年振りに記録が更新された。その後、2013(平成25)年8月12日に高知県四万十市西土佐用井の江川崎アメダスで41.0℃を記録したが、アメダスの設置ポイントの条件等から疑問の声もある。さらに、2018(平成30)年7月23日には、埼玉県熊谷市で最高気温が41.1℃を記録し、気象庁は、緊急記者会見で「命の危険がある暑さ。1つの災害と認識している」と発表した。2020(令和2)年8月17日、静岡県浜松市でも、日本歴代最高に並ぶ気温、41.1℃が観測された。「災害級の暑さ」は、2018(平成30)年の「新語・流行語大賞」のトップ10に選出された。2020(令和2)年4月に、「東京都立大学」へ名称を変更した公立大学、首都大学東京は、東京都の気象観測機器網「メトロス」を2006(平成18)年に引継ぎ、首都圏約200ヶ所に「広域メトロス」を展開している。その測定結果によると、2007(平成19)年8月16日、アメダス空白地となっている埼玉県川越市の最高気温は41.6℃であった。首都大学東京の研究チームは、東京のヒートアイランド現象が午後の海風を妨げるため、川越が日本で最も暑い地域となる可能性がある、との見解を示している。因みに、世界の最高気温の記録は、1921(大正10)年7月8日に、中東・西アジアに位置するイラク南東部の港湾都市、バスラで観測された58.8℃となっている。但し、そのデータ出所について疑問が提起され、実際の観測値は53.8℃であった可能性が高いとされる。2012(平成24)年9月に、国際連合の専門機関の1つで、気象事業の国際的な標準化と改善、及び調整、並びに各加盟国・地域間における気象情報・資料の効率的な交換の奨励を主な業務としている世界気象機関(WMO)は、1913(大正2)年7月10日に、アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州南東部とネバダ州南西部の一部に所在する、デスバレー国立公園のグリーンランドランチで観測された56.7℃を世界記録としている。
かき氷の日(夏氷の日)。
夏氷とはかき氷のこと。日付は、7月25日の「7」と「25」で「夏氷(な[7]つ[2]ご[5]おり)」と読む語呂合せと、1933(昭和8)年のこの日に、日本最高気温の40.8℃が山形市で記録され、当時の最高気温記念日となっていることから、かき氷を食べるのにふさわしい日として、東京都世田谷区若林に所在する業界団体、日本かき氷協会(現在は、一般社団法人となっている)が制定した日。かき氷とは、氷を細かく削るか、砕いてシロップ等をかけた氷菓である。餡やコンデンスミルク(加糖練乳、牛乳に糖分を加えて濃縮させた、粘度の高い液体状の食品)をかけたものもある。氷は、鉋(かんな)等で粒状に削るが、現在は専用の機械を用いる。日本では、夏の風物詩、かつ季語となっている。1869(明治2)年、現在の神奈川県横浜市中区にある馬車道で、日米修好通商条約の最終確認のため、江戸幕府が派遣した使節団のメンバーの1人であった町田房造が、初めての『氷水屋』を開店している。これは、日本においてアイスクリームを発祥させた店でもある。明治20年頃代になると、人造氷の生産が拡大したこと等から、かき氷は大衆的な飲食物となる。製氷技術については、1897(明治30)年頃以降は、機械製氷が主流となった。その後、昭和時代初期になって、氷削機が普及して一般化した。第二次世界大戦前は、削った氷に砂糖を振掛けた「雪」か、砂糖蜜をかけた「みぞれ」、小豆餡を乗せた「金時」が普通のメニューであった。第二次世界大戦後には、専用のいちごやレモン風味のシロップが販売されるようになって、「雪」は姿を消した。かき氷機は、天然氷を刃物の刃先で削ぎ落としたのが始まりとされ、この方法は現代でも、日本料理で用いられている。現代のかき氷器は、鉋(かんな)状の刃の付いた台座の上で氷の塊が回転し、氷をスライス状に削りながら氷の塊を繰下げていく仕組みを持つ。因みに、一般的にかき氷がおいしく感じられる(売れ時の)温度は、30℃以上とされる。 
知覚過敏の日。
冷たい水が沁みたり、歯ブラシの先が当たる等した時に、虫歯もないのに歯が沁みて痛いと感じる知覚過敏。東京都港区赤坂に本社を置き、知覚過敏症用歯磨剤「シュミテクト」を製造・販売し、歯の健康のために知覚過敏の改善に取組んでいるグラクソ・スミスクライン株式会社(イギリスに本社を置く、世界有数の規模を持つグローバル製薬企業、グラクソ・スミスクライン社の日本現地法人で、本社所在地は、東京都港区赤坂)が制定した日。この日は、7月25日の「7」と「25」で「夏氷(な[7]つ[2]ご[5]おり)」と読み、「かき氷の日(夏氷の日)」とされることから、冷たい物に歯の痛みを感じたら知覚過敏対策をと、この日付になった。知覚過敏とは、冷たいものを飲んだ時等に虫歯ではないのにピリッと痛みがでる症状で、知覚過敏の原因には様々なものがあり、原因によって治療方法が変わる。 
ナブコの日。
東京都千代田区平河町に本社を置き、精密機器、輸送用機器、建物・産業用自動ドア、プラットホームドア、福祉機器等を手掛ける機械メーカー、ナブテスコ株式会社の住環境カンパニーが制定。日付は、7月25日の「7」と「25」で、「ナ(7)ブ(2)コ(5)」と読む語呂合わせから。国内自動ドアのパイオニアであり、ナンバーワンシェアを持つ自動ドアブランドの「NABCO(ナブコ)」を、より多くの人に知ってもらうことが目的。ナブコは、これまであらゆる場所に最適な自動ドアを設置し、暮らしにおける、今では当たり前の快適を次々と生み出してきた。ナブコの自動ドアを、毎日利用してもらっていることへの感謝の気持ちを伝えたい、これからも「誰にとっても」安全・安心で快適な自動ドアを提供し続けたい、記念日には、改めてその想いが込められている。ナブコという名称は、ナブテスコ株式会社の前身企業の1つである、日本エヤーブレーキ株式会社(NIPPON AIR BRAKE CO.LTD)の頭文字を取った「NABCO(ナブコ)」に由来しており、商標登録されている。ナブテスコ株式会社は、新幹線等の鉄道車両用ブレーキ装置や、航空機の飛行姿勢を制御するフライト・コントロール・アクチュエーション・システム等、モノを精密に動かし、止める「モーションコントロール技術」によって、世界中の人々の安全・安心・快適な暮らしと、社会のインフラ(道路・通信・公共施設等、「産業や生活の基盤となる施設」)を支えている。長年受継がれてきた「ものづくりのDNA」は、ナブコ自動ドアにも信頼のブランドとして刻まれている。 
なつこの日。
2015(平成27)年から、毎年7月25日にサロンコンサート「725の会(なつこのかい)」を開催している企業、株式会社officeIKD(所在地は、東京都港区高輪)が制定。全国の「なつこ」さんが自分の名前を大切にし、名付けてくれた人へ感謝することで「なつこ」という名前に誇りを持ってもらうことが目的。「725の会」は2人のソプラノ歌手、赤嶺奈津子と山本夏子が、自分達の名前「なつこ」に因んで企画したもので、日付は、7月25日の「7」と「25」で、「な(7)つ(2)こ(5)」の語呂合わせから。
ワキ汗治療の日。
東京都文京区湯島に本社を置く、「For the Patient’s smile(患者様の笑顔のために)」という企業理念を掲げ、レーザー機器やワキ汗治療器「miraDry(ミラドライ)」等の医療機器を製造販売する企業、株式会社ジェイメックが制定。原発性腋窩多汗症(ワキ汗)が治療できるものであることと、薬による治療のみならず、機器を用いた治療があることを知ってもらうことが目的。日付は、ワキ汗に悩む人が増加する「夏(な[7]つ)」にワキ汗の悩みを解消し、「笑顔(ニコニコ = 25)」になってもらえるようにと、7月25日としたもの。体温の調節に必要な通常の範囲を超えて、発汗が異常に増加することを指す症状、多汗症の中で、先天性形質のものが原発性多汗症で、青春期の間や、その前に発症する。
不死男忌/甘露忌。
俳人、秋元不死男の1977(昭和52)年の忌日。「甘露忌」という名称は、1977(昭和52)年に刊行された句集『甘露集』に因む。善人性と庶民的ヒューマニズムが、秋元不死男の作風の基調を成す。その根底には、貧しい一家を支える母を助けながら、多感な少年期を過ごした経験がある。スローガン的な社会性俳句に疑問を投掛けつつ、俳句という形式は「事」ではなく「もの」に執着しなければ崩れてしまうと論じ、「俳句もの説」として注目を集める。晩年は、飄逸(世の中のことを気にしない)味のある伸びやかな境涯詠を詠んだ。なお、甘露の原義は、不死、天酒で、インド神話では、諸神の常用する飲物で、蜜のように甘く、飲むと不老不死になるという。