7月22日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

ディスコの日。
MCとミキシングの両方をこなすDISCO DJのスペシャリスト「DJ OSSHY(DJオッシー)」が制定。日付は、ディスコブームのきっかけとなった、アメリカの俳優・ダンサー・歌手、ジョン・トラボルタ主演のアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本で初公開された、1978(昭和53)年7月22日に因む。レコードで音楽を流しダンスを踊る空間として、1970年代から若者の人気を集めてきた「ディスコ」の魅力を、より多くの人に知ってもらうことが目的。東京都出身で、フリーアナウンサーやリポーターのマネジメント等を行なう芸能事務所、株式会社エス・オー・プロモーション代表取締役社長を務める「DJ OSSHY(DJオッシー)」は、本名が押阪雅彦で、その父は、フリーアナウンサーの押阪忍、母は、フリーアナウンサーの栗原アヤ子である。現在は80'sディスコ伝道師としてMCとミキシングを手掛けるDISCO DJとして、現職の内閣総理大臣、安倍晋三が主催する「桜を見る会」に、2016(平成28)年、2017(平成29)年の2年連続で招待されている他、東京都立川市柏に本部を置く音楽系の私立大学、国立音楽大学の特別講師等を務めている。ディスコは、音楽を流し、飲料を提供し、客にダンスをさせるダンスホールである。音楽は、殆どの場合はレコードを流す。単にレコードを順番に掛けるだけの場合や、DJが現場に合わせた選曲を行なったり、曲紹介やミックス、スクラッチ(音をこするように前後させ、同じ部分を反復再生したり、リズムを刻む等のパフォーマンス)を行なう場合がある他、生バンドが演奏する場合もある。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本公開されて大ヒットしたことで、新宿・渋谷・六本木・池袋等の繁華街に多数のディスコが開業する、ディスコブームが起こった。また、この社会現象により、「フィーバー」は流行語になった。この映画のヒットで、世間の偏見による不良のたまり場というディスコのイメージがやや変化し、ディスコは大衆化した。ディスコ・ダンスで踊り、熱狂することを指す「フィーバーする」という言葉(和製英語[英語に似ている和製外来語])は、後に転じて、パチンコでの大当たりのシステムでも、「フィーバー」という言葉が使われるようになった。
ONE PIECEの日。
東京都千代田区一ツ橋に本社を置く、少年漫画『ONE PIECE』を連載する少年漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の発行元である大手出版社、株式会社集英社が制定。日付は、連載開始日の1997(平成9)年7月22日に因む。漫画家、尾田栄一郎原作の『ONE PIECE』は、日本の漫画の最高発行部数等、数々の記録を持つ国民的漫画となっており、その連載20周年を記念すると共に、作品の魅力を、さらに多くの人に伝えることが目的。『ONE PIECE』は、海賊王を夢見る少年モンキー・D・ルフィを主人公とする、「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」を巡る海洋冒険ロマンを描いた作品である。夢への冒険や、仲間達との友情といったテーマを前面に掲げ、バトルやギャグシーン、感動エピソードをメインとする、少年漫画の王道を行く物語として人気を博している。 2015(平成27)年6月15日、「最も多く発行された単一作家によるコミックシリーズ」として、『ギネス世界記録』(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)に認定された。お、この『ギネス世界記録』は2022(令和4)年7月付で同じく『ONE PIECE』によって更新され、日本では同2022(令和4)年8月に「日本国内累計発行部数4億1,656万6,000部」と報道された。2024(令和6)年7月時点で、単行本は第109巻まで刊行されており、『週刊少年ジャンプ』歴代作品の中では、漫画家の秋本治による『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(1976[昭和51]年から2016[平成28]年まで)に次ぐ長期連載となっている。2012(平成24)年5月2日に発売された単行本第67巻は、国内出版史上最高記録となる初版405万部を発行している。1999(平成11)年からは、フジテレビ系列でTVアニメーション放送も開始された。制作は、映画の製作や配給、興行を行なう企業、東映株式会社を筆頭株主とするアニメ制作会社、東映アニメーション株式会社で、東映アニメーション株式会社の制作したアニメ作品の中では、最も長く続いている作品となっている。放送時間は、当初は水曜19時、後に日曜19時台、そして、日曜9時台後半と変遷している。常に高い人気を誇るロングシリーズとなり、東映アニメーション株式会社の長期放映作品が、ストーリーの進行や設定のリセットに合わせて、番組名を変更しながら放送を続けることが多いのに対し、タイトルが変更されることなく、単体のアニメ作品として放送され続けている。2010(平成22)年以降、多くの企業とのコラボ企画が実施され、全国各地で様々なイベントが行なわれている。 
夏ふーふースープカレーの日。
北海道札幌市西区二十四軒に本社を置く、ラーメン、焼肉のたれ、鍋つゆ等、さまざまな食品の製造販売を手掛ける企業、ベル食品株式会社が制定。ベル食品株式会社のスープカレー商品の最需要期である夏に、ふーふー汗を書かきながらスープカレーを食べてもらい、その美味しさを知ってもらうことが目的。日付は、7月22日の「7」と「22」で、「夏(なつ[7])ふーふー(22)」の語呂合わせから。スープカレーは、札幌発祥のご当地メニュー。そのヒントになったのは、中国・朝鮮の薬膳スープ、南インド・スリランカ・インドネシア・タイ等の汁気の多いカレー等である。ブイヨン、フォン・ド・ヴォー、野菜等でスープをとり、鶏肉、丸ごとのジャガイモ、ナス、ニンジン、レンコンといった野菜、キノコ、ゆで卵等を入れて煮込む。最後に、各種調合されたスパイスで香りを付ける。札幌市内でスープカレーを提供する店は、200店を超えると言われている。札幌に留まらず、函館、旭川、帯広、富良野といった北海道内、東京首都圏、関西、九州等、日本各地に進出しており、日本以外でも、香港、シンガポール、タイへも進出している。1971(昭和46)年、北海道札幌市中央区の喫茶店「アジャンタ」が発売した「薬膳カリィ」がオリジナルとされる。「アジャンタ」の創始者である辰尻宗男が、家伝の漢方薬とスパイスを調合して薬膳スープを考案した。この薬膳スープは当初、辰尻宗男が自分のために作っていたが、常連客から請われて、1日限定20食、常連客毎に漢方の調合を変えて提供していた。当初はスープであり、具材は入っていなかった。この薬膳カリィが評判となり、数多くの店から「アジャンタ」へ勉強に訪れるようになった。「スープカレー」という名称は、1993(平成5)年に開業した「マジックスパイス」による。通常のカレーのルーを薄めたもの、という誤解を生みかねないと、当初はスープカレーのネーミングに反対意見もあった。北海道では、ローカルフードとして人気を博したスープカレーであったが、長らく地域限定メニューに留まった。北海道のスープカレー屋が東京に進出した例もあるが、1ヶ月ももたずに閉店するようなことが繰返された。2003(平成15)年、神奈川県横浜市中区伊勢佐木町の「横濱カレーミュージアム」(2007[平成19]年3月31日に閉館)に「マジックスパイス」が請われて出店し、大反響を得たことで、スープカレーは全国的に知られるようになった。北海道のスープカレー店も東京進出を果たし、大手牛丼チェーン店やファミリーレストラン、コンビニエンスストアでも、スープカレーは販売されるようになっていった。 
塩っぺの日。
兵庫県たつの市新宮町新宮に本社を置く、醤油を使用した食品等の製造販売を手掛ける企業、ブンセン株式会社が制定。塩ふき昆布「塩っぺ」は、ブンセン株式会社を代表する商品の1つで、1961(昭和36)年に発売され、2021(令和3)年に60周年を迎えた。日付は、夏に欠かせない塩分補給にも役立つ商品のため、2021(令和3)年の二十四節気「大暑」の日である7月22日に(「大暑」は、7月23日になることが多い二十四節気ながら、7月22日になる年もある)。食物繊維とミネラルを豊富に含んだ肉厚の昆布を乾燥させた「塩っぺ」ブランドの商品と、自社のファンになってもらうことが目的。ブンセン株式会社は、1934(昭和9)年に地場産業の醤油醸造業として始まった。江戸時代に流通した銭貨「寛永通宝」の内、裏に「文」の文字が印されたものが「文銭(ブンセン)」と呼ばれ、重宝がられていた。これが社名の由来である。その後、自社の強みを生かし、自家製の醤油で佃煮の製造に着手する。1958(昭和33)年には、日本で初めての「白粉(おしろい)方式の塩ふき昆布」を開発。その後、開発当時は角切りが主流であった塩ふき昆布を、食べ易いように細切りにし、1961(昭和36)年に親しみ易く擬人化して、「塩っぺ」と命名して販売を開始した。「塩っぺ」シリーズは、長年培った秘伝の独自製法で、昆布の旨みや自家製醤油のコクと風味、そして、釜炊きによる香ばしさ等、バランスの取れた味付に仕上げており、昆布の美味しさを存分に味わうことができる。