7月22日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

著作権制度の日(続き)。
アラン・スミシーは、アメリカ映画で1968(昭和43)年から1999(平成11)年にかけて使われていた、架空の映画監督の名前である。なお、使用停止の年は、公式には2000(平成12)年となっている。アメリカでの映画制作中に、映画監督が何らかの理由で降板して、ポストが空席になったり、何らかの問題で、自らの監督作品として責任を負いたくない場合にクレジットされる偽名である。使用には厳密な規定があり、映画監督からの訴えを受付けた全米監督協会(DGA)による審査・認定の下に使用されていた。ハリウッド(アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州のロサンゼルス市にある地区で、映画産業の中心地であり、アメリカ映画のことを指して「ハリウッド」とも呼ばれる)や独立系等、アメリカの映画監督は、全米監督協会(DGA)という労働組合を組織している。映画製作を左右する実権を握る映画会社や映画プロデューサーに比べると、映画監督は立場が弱く、全米監督協会(DGA)を結成してメジャー映画会社等と対抗することで、映画監督の待遇改善や「映画の作家」としての地位確立の権利を手にした。勝取って来た権利の中には、「映画には監督の名を必ず冒頭には一連の最後にクレジットする、オープニング・クレジットが省かれた場合は、エンディングで最初にクレジットする」というものもある。これは、映画監督が、映画の作品的成功の功労者として認知されるために重要な権利であった。こうした経緯から全米監督協会(DGA)は、映画の失敗の責任も監督が負うべきであるとして、協会に所属する監督が勝手に映画からクレジットを外すことを許可していない。1968(昭和43)年以前は、映画プロデューサーや主演俳優らが、自分の名前を監督としてねじ込むことを防ぐため、監督が偽名を用いることも許可していなかった。唯一監督名を外せるのは、会社や映画プロデューサーらにより、監督の意図しない程の編集を加えられる等して、監督の手から映画が奪われ、映画の失敗の責任を、監督に問えない状態になる時であり、この場合に限り、全米監督協会(DGA)は、監督からの訴えを審査の上、映画会社に対して監督名に代わり、「アラン・スミシー」という偽名を使用するよう要請していた。また、全米監督協会(DGA)は、「アラン・スミシー」名義を使った監督個人に対し、監督名のクレジットを拒んだ理由を、決して口外しないよう要請していた。当初は無名の人物であったアラン・スミシーは、様々な映画にクレジットされるようになったが、やがて、映画マニア等の間では、「アラン・スミシーは映画にトラブルが起きた時の偽名」ということが次第に知られるようになり、偽名としての意味を失っていった。その一方、「アラン・スミシー」は、テレビドラマ、ミュージックビデオ、書籍等、映画以外の分野でも、責任者の降板等の際に使われるようになった。様々な問題が発生したことから、「アラン・スミシー」名義の使用を取止めた2000(平成12)年以降、全米監督協会(DGA)は、個々の案件について、毎回異なった偽名を選ぶようになっている。 
下駄の日。
全国木製はきもの業組合連合会(既に解散して現存しない)が、下駄の良さを見直してもらおうと制定。日付の由来は、下駄の寸法で7寸7分と「7」の数字がよく使われるために、「7」を7月と見立て、雪道で下駄の跡が「二二」に見えることから「22」を22日と見立てて、7月22日とした。なお、下駄の足跡が「11 11」に見えることに由来して、静岡県伊豆の国市にある伊豆長岡観光協会が、11月11日を「下駄の日」としている。下駄は、鼻緒があり、底部に歯を有する日本の伝統的な履物である。足を乗せる木製の板に、歯と呼ばれる接地用の突起部を付け(歯がないものもある)、眼と呼ぶ孔を3つ穿ち、そこに鼻緒を通す。足の親指と人差し指の間に鼻緒を挟んで履く(歴史的には、人差し指と中指の間に鼻緒を挟む履き方もあった)。呼び名の成立は戦国時代と推測され、「下」は地面を意味し、「駄」は履物を意味する。それ以前は「アシダ」と呼称された。日本には緒を用いる履物として、足を乗せる部分に木の台を用いる下駄、草や樹皮等の柔らかい材料を用いる草履(ぞうり)、緒が踵まで覆い足から離れないように踵の後ろで結ぶ草鞋(わらじ)の3つがある。かつて、道路が舗装されていなかった時代には、雨等が降って道がぬかるむと、草履等では、ぬかるみに足が埋まってしまったが、高さのある下駄は、ぬかるみに埋まりにくかったため重宝された。下駄は、普段着と組合わせることが多い。浴衣の際は、素足に下駄が基本である。今では、和装に組合わせることが殆どであるが、かつては、普段着の洋装に下駄を履く場合もよくあった。男子学生がファッションとして崩れた洋服(学生服)等に下駄を履いていることを「バンカラ」と呼んだ。現代の日本では、ビニール素材の軽装履(サンダル構造の草履)やスニーカーにとって代わられ、一般的には履かれることは少なくなった。これは、1964(昭和39)年10月に開催された東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)を契機に、それまで約9割以上が砂利道であった市町村道にも、急激にアスファルトによる舗装が広まっていったこととも関係している、とされる。歯を持っているため、下駄の足跡には独特の痕跡が残る。下駄は木製であるため、歩くと特徴的な音がする。「カラコロ」、或いは「カランコロン」と表現されることが多い。そのため、祭りや花火の日に浴衣姿で歩く場合や、温泉街の街歩き等では雰囲気を出す音であっても、現代の町中では騒音と受取られることも多く、(床が傷むことも含め)「下駄お断り」の場所も少なからずある。この対策として、歯にゴムを貼った下駄も販売されている。歯にゴムを貼る目的は音だけではなく、今日の舗装道路では、歯が異常に早く摩耗するため、それを防ぐためにゴムを貼るケースも少なくない。なお、裁判所に行く時、下駄は禁止である。下駄で行くと、裁判所が用意したゴムのサンダルに履き替えさせられる。ゴムを張った下駄であっても、同様の措置が取られる。温泉の旅館では、浴衣と下駄が備え付けてあり、外湯に行く場合は旅館は下駄を貸し、それを履いて出かける。兵庫県豊岡市城崎町にある城崎温泉、宮城県大崎市鳴子温泉にある鳴子温泉等、下駄履きを前提としたまちづくりをした温泉街もあり、下駄のレンタルがある地域もある。「下駄を預ける」「下駄を履かせる」「下駄を履くまでわからない」等、下駄を使った慣用句も多く、不動産業界では、1階に住居以外のテナント(店舗や飲食店等)が入る形態のマンションを「下駄履きマンション」と称したり、履物を収納する家具を下駄が一般的な履物でなくなっていにるも係わらず「下駄箱」と称したりもする。下駄占いは、日本の占い、又は、子どもの遊びの1つで、足に履いている下駄を投げ、落ちて来た下駄が表か裏かで、明日の天気を占うものであり、「明日天気(あしたてんき)」「天気占い(てんきうらない)」ともいう。足に履いている下駄の片方を、「明日天気になぁれ」等と言いながら蹴り上げ、地面に落ちた下駄の状態で、明日の天気を占う。下駄が表向き(鼻緒が上になった状態)なら晴れ、裏向き(下駄の歯が上になった状態)なら雨と言われる。下駄が横向きなら曇りで、地方によっては雪、風ともいう。遠足の前日等、天気予報で雨と聞いて、信用できないと言って下駄占いをし、その結果にも納得できないと、何回も下駄を投げる子どもの姿もあり、雨が降れば遊び場が無くなるため、「晴れ」になるまで占いを繰返す子どもの姿もあった。天気に関する民間信仰としては、てるてる坊主と共に、子ども達の間で流行していた。下駄よりも靴が一般的になった時代では、「靴飛ばし」等といって、靴を蹴り上げ、同様の占いを行なうようになった。