7月19日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

戦後民主主義到来の日。
1949(昭和24)年7月19日、新しい民主主義の到来を謳った青春映画『青い山脈』(正篇で、続篇は7月26日に公開)が封切られた。『青い山脈』は、作家の石坂洋次郎によって書かれた、男女交際を主題とした同名の長編小説(『朝日新聞』に連載された)を映画化した作品である。主演は、第二次世界大戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した女優の原節子。主題歌の『青い山脈』は、日本映画界に限らず、広く知られる歌となり、国民的愛唱歌と呼ばれる程の大ヒットを記録した。作品中、ラブレターの文に「恋しい恋しい私の恋人」と書かれるべきものが、「変しい変しい私の変人」となっているエピソードは名高い。戦後民主主義は、第二次世界大戦前の大正デモクラシー(1910年代から1920年代にかけての期間に起こった、政治・社会・文化の各方面における民主主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称)と対比して使われることがある。この言葉は、様々な文脈で用いられているが、「戦後民主主義」を説明する学問上の定説はまだ存在せず、その含意も、使い手によって千差万別といってよい程異なっている。但し、戦後民主主義が尊重した共通の価値としては、日本国憲法に示された国民主権(主権在民)、平和主義、基本的人権の尊重が挙げられる。その点で、戦後民主主義は、日本国憲法を背景にしていたと言える。大正デモクラシーは、天皇主権の大日本帝国憲法を民主主義的に解釈することに基づいていた。議院内閣制も憲法上の規定がないため、憲政の常道(政党政治における政界の慣例)という概念で慣習的に実現していた。そのため、首相の指導性が確立しておらず、内閣を構成する他の大臣を任意に罷免できない弱い立場であった。軍の最高指揮権(統帥権)は天皇に属し、内閣にはなかったため、統帥権を楯にした軍部の暴走を抑える法的な力も、内閣と議会にはなかった。戦後民主主義は、国民主権(主権在民、国権の最高機関としての議会)や基本的人権を基本原則に持つことで、大正デモクラシーの弱点を克服したと言える。しかし、イギリスのように、議会が力を蓄えて清教徒革命、名誉革命等の革命により、王権を制限することによってこれらを確立した訳ではなく、第二次世界大戦でのポツダム宣言(正式には「日本への降伏要求の最終宣言」で、宣言を発した各国の名から、「米英支三国共同宣言」とも称される)受諾・降伏文書調印後に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)影響下で為された一連の改革により確立された(封建制に対する明治維新同様、上から下された)ところに、戦後民主主義の弱点やジレンマがあるとも言われる。戦後レジームとは、第二次世界大戦後に確立された世界秩序の体制や制度のことで、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領下ででき上がった、日本国憲法を始めとする憲法や法令、即ち自由民主主義の体制、テレビや新聞等のマスコミ、経済や金融では、通貨発行権や通貨管理権の所在を意味する言葉として使われている。2006(平成18)年、安倍晋三が第90代内閣総理大臣に任命され、発足した第1次安倍内閣において、安倍晋三は、第166回国会(2007[平成19]年1月25日に召集された通常国会)における施政方針演説で「戦後レジームを、原点に遡って大胆に見直す」必要を説いた。
やまなし桃の日。 
全国一の生産量を誇る山梨県の桃をアピールしようと、山梨市江曽原に所在し、果樹農業の振興を目的とする事業等を行なっている社団法人、山梨県果樹園芸会(現在は、公益社団法人となっている)が制定した日。日付は、「百百」を「モモ」と読み、1月1日から数えて200日目(百が2つで二百)に当たることの多い7月19日としたもの。また、美味しい桃の出荷時期にも当たる。全国一の生産量を誇る、山梨県の桃をPRすることが目的。桃は中国原産で、食用・観賞用として世界各地で栽培されている。春には五弁、又は多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。実は、7月から8月に実り、「桃の実」は秋の季語となっている。球形で縦に割れているのが特徴的。果実は赤みがかった白色の薄い皮に包まれている。果肉は、水分を多く含んで柔らかい。水分や糖分、カリウム等を多く含んでいる。栽培中、病害虫に侵され易い果物であるため、袋を掛けて保護しなければならない、手間の掛かる作物である。また、痛み易く、収穫後すぐに軟らかくなるため、賞味期間も短い。生食する他、ジュース(ネクター)や、シロップ漬けにした缶詰も良く見られる。日本では、長崎県諫早市(旧:長崎県西彼杵郡多良見町)にある伊木力遺跡から、縄文時代前期(約1万5,000年前から約1万年前)の桃核が出土しており、これが日本最古とされている。弥生時代後期(1世紀頃から3世紀中頃)には、大陸から栽培種が伝来して桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。桃は食用の他、祭祀用途にも用いられ、斎串(榊や笹等の小枝に幣[ぬさ]をかけて神に供えるもの)等、祭祀遺物と伴出することもある。平安時代から鎌倉時代頃には珍重されていたが、当時の品種はそれ程甘くなく、主に薬用・観賞用として用いられていた、とする説もある。江戸時代にさらに広まり、全国で用いられた。明治時代には、甘味の強い水蜜桃系(品種名:上海水蜜桃等)が輸入され、食用として広まった。現在日本で食用に栽培されている品種は、この水蜜桃系を品種改良したものが殆どである。主に日本国内では、福島県、山梨県、長野県等、降水量の少ない盆地で栽培される。中国において桃は、仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれている。桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないとなる。桃の実は、長寿を示す吉祥図案であり、祝いごとの際には、桃の実を模った練り餡入りの饅頭菓子、壽桃(ショウタオ)を食べる習慣がある。壽桃は、日本でも桃饅頭(ももまんじゅう)の名で知られており、中華料理店で食べることができる。日本においても中国と同様、古くから桃には邪気を祓う力があると考えられている。日本最古の歴史書『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投付けることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。また、おとぎ話『桃太郎』は、桃から生まれた男児が長じて、鬼を退治する民話で、桃太郎が、お婆さんから黍団子(きびだんご)を貰って、イヌ、サル、キジを従えて、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く。桃太郎の物語は、幾つかの場面で出典により違いがある。但し、物語後半にある鬼との戦いの場面では、概ねどの書籍でも、桃太郎側の視点での勧善懲悪物語となっている。ゆかりの地とされる場所は全国にある。その中でも岡山県は、桃太郎作中の「黍団子」と同音の江戸時代の地元土産品「吉備団子」を繋げさせる等、全県を挙げての宣伝活動から、ゆかりの地として全国的に有名になったが、「吉備団子」と作中の「黍団子」との関係は証明されていない。有力説の1つとしては、第7代天皇、孝霊天皇の第3皇子彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命兄弟の吉備国(現在の岡山県にあった古代国家)平定における活躍と、吉備国の温羅(岡山県南部の吉備地方に伝わる古代の鬼)伝説に由来するものとする説がある。これは、古代の大和政権と吉備国の対立構図を、桃太郎と鬼の争いになぞらえたとするものである。この説を元に、岡山では笹ヶ瀬川(岡山市を流れる二級河川)が桃太郎の桃が流れた川と伝承が残っている。また、桃太郎のモデルとなった人物が、彦五十狭芹彦命であるとする見方が広く知られている。3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事である。物事を成遂げるには時間が掛かることを示唆することわざが、「桃栗三年柿八年」である。発芽から結実まで、桃や栗は3年、柿は8年掛かるという。 
知育菓子の日。
東京都港区海岸に本社を置く、様々な「知育菓子」を製造・販売する企業、クラシエフーズ株式会社が制定。日付は、7月19日の「7」と「19」を、「知育(ち[7]いく[19])」と読む語呂合わせと、夏休みに子ども達が様々な経験をして成長してもらいたい、との思いから、夏休みの直前としたもの。知育菓子を通して、子ども達の生きる力の育成に貢献し、その楽しさと美味しさを、多くの人に知ってもらうことが目的。知育菓子は、「個性を伸ばす」「失敗を楽しむ」「違いを尊重する」の3つの価値を提供して、子ども達の自信を育む。また、ただ美味しいだけでなく、新しい「好き」に出会い、世界が広がる。好奇心を持ち、夢中になり、挑戦し、人との交流を通じて自分の個性を育てる。クラシエフーズ株式会社の知育菓子には、水を入れて練ると色が変わって膨らむ「ねるねるねるね」や、のびるスライムとふわふわスライムが作れる「ドキドキスライム」、液体が手で掴める「つかめる!ふしぎ玉」、お絵描き感覚で自分だけのグミを作れる「おえかきグミランド」等の商品がある。