0645年 - 第35代天皇、皇極天皇の弟である軽皇子が即位し、第36代天皇、孝徳天皇となる。同時に、第34代天皇、舒明天皇の第2皇子で、後に第38代天皇、天智天皇となる中大兄皇子が皇太子(皇位継承の第一順位にある皇子)となる。
1191年 - 第3回十字軍: 西アジア・中東に位置する現在のイスラエル北部にあるアッコンが陥落し、十字軍がイスラーム王朝のアイユーブ朝に勝利して、約2年に及ぶアッコン攻城戦が終結する。
1441年 - 嘉吉の乱: 播磨国(現在の兵庫県南西部)守護、赤松満祐の子、赤松教康が、室町幕府第6代将軍足利義教を自邸に招き謀殺する。赤松氏は鎌倉幕府打倒に大きく尽力し、その功績により播磨国守護に任じられたが、恩賞への不満から、室町幕府初代将軍足利尊氏に与して室町幕府創業の功臣となり、播磨国の他に備前国(現在の岡山県南東部)、美作国(現在の岡山県北東部)を領し、幕府の四職の1つとなっていた家柄である。足利将軍の中では、父の室町幕府第3代将軍足利義満に比肩し得る権力を振るった足利義教であるが、猜疑心に駆られて過度に独裁的になり、粛清の刃は武家だけでなく、公家にも容赦なく向けられる。赤松家の家督を相続していた赤松満祐は、室町幕府の最長老格となっていたが、足利義教に疎まれる様になっており、1440年に「狂乱」したと称して隠居する。赤松満祐の子の赤松教康が、足利義教を自邸に招き、猿楽(舞踊と劇の要素を含んだ日本の中世芸能)を観賞していた時、甲冑を着た武者達が宴の座敷に乱入し、赤松氏随一の剛の者安積行秀が、足利義教の首を刎ねてしまう。その後、室町幕府第7代将軍となった足利義教の嫡男足利義勝の下、赤松氏討伐軍が編成され、その大軍に包囲された赤松満祐は切腹する。足利将軍家は、この一連のできごとで権威を大きく失墜させ、代わりに守護大名の合議制が復活する。
1495年 - 連歌師、宗祇の准勅撰連歌撰集『新撰菟玖波集』が完成。『新撰菟玖波集』は、約250名の句を集めた有心連歌(純正連歌とも称する、滑稽を主眼とした無心連歌に対して、和歌を基準とし、優雅な題材・用語等を用いる連歌)の集大成である。
1543年 - イングランド王ヘンリー8世が、6番目で最後の妻キャサリン・パーとハンプトン・コート宮殿(イギリスの首都、ロンドン南西部にある旧王宮)で結婚。
1562年 - スペイン生まれのカトリック聖職者で、ユカタン(現在のメキシコの東部、ユカタン半島の北部に所在)の司教ディエゴ・デ・ランダが、インディオ(ラテンアメリカ[メキシコを除く中南米]の先住民族の総称の1つ)の異端尋問を行ない、多数のマヤ(現在の北アメリカ南部に位置するメキシコの南東部、中央アメリカ北部に位置するグアテマラ、中央アメリカ北東部に位置するベリーズ等、いわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明)の絵文書の焚書を命じる。
1635年 - 江戸幕府が第3次鎖国令(外国との通交や貿易を禁止する法令)を布告。中国やオランダ等、外国船の入港を長崎のみに限定し、東南アジア方面への日本人の海外渡航、及び海外滞在者の帰国が禁止される。
1690年 - ウィリアマイト戦争: ボイン川の戦い。
1790年 - フランス革命: 国民議会(近代議会としての性格を有する、当時のフランスの第三身分である平民が中心となって形成された議会)が、フランス国内のカトリック教会を国家の管理下に置くことを内容とする、聖職者民事基本法を制定する。
1806年 - 神聖ローマ帝国に属していたドイツの諸侯が帝国を離脱し、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)を盟主とするライン同盟を結成する。ライン同盟には、1808年の最大期には、4つの王国、5つの大公国、13の公国、17の侯国、3つの自由都市が加盟している。公式には、同盟という対等の名称であるが、その実態は、フランスの従属国というものに等しく、また、国家連合自体の力は脆弱で、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)に援助した総兵力は、僅かに約6万程度であったという。1813年、フランス帝国による覇権に挑戦するため、ヨーロッパ諸国が結成した同盟、第六次対仏大同盟により、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)はロシアとドイツから押返され、ライン同盟も解体されている。
1862年 - アメリカ合衆国で名誉勲章(アメリカ合衆国の軍人に大統領から直接授与される、アメリカ軍の勲章において最高位の勲章)が制定される。
1868年 - 明治政府が、飛騨国(現在の岐阜県北部に相当する領域)の旧天領を管轄する飛騨県、兵庫港(現在の兵庫県神戸市にある神戸港)を管轄する兵庫県を設置。
1899年 - 徳島県を流れる吉野川が増水して各地で堤防が決壊。徳島県板野郡一条町(現在の徳島県吉野川市と、徳島県阿波市の一部)では、小学校や多数の人家が流失。死傷者197名、浸水家屋多数、田畑の収穫は皆無となる。
1902年 - スコットランドの旧家出身で、イギリスの保守政党、保守党を指導したアーサー・バルフォアが、イギリス首相に就任する。
1912年 - 新潟県と長野県を流れる姫川が氾濫。下流の新潟県糸魚川市では、小学校や国道橋の他、多数の人家が流される被害が出る。姫川は、流路が北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界となっている糸魚川静岡構造線にほぼ沿い、東西にある急峻な西頸城山地と、北アルプスから供給される土砂が多い。また、飛騨外縁帯の脆弱な蛇紋岩が、上流部の八方尾根、中流部の平岩・小滝付近、及び支流の大所川上流部に広く分布するため、地すべり(斜面を形成する地塊[土砂・岩塊]が、地下の地層中に円弧状、又は平面状に形成される地質的不連続面、即ち「すべり面」を境にして、すべり面上の地塊がゆっくりと移動する現象)地形が広く分布する。そのため、豪雨による土砂災害が絶えず、道路や鉄道が不通となることが度々あり、暴れ川として知られている。
1913年 - 第二革命開始。中国中部にある江西省で、清末中華民国の陸軍軍人・政治家の李烈鈞が袁世凱政権からの独立を宣言。
1917年 - 張勲復辟: 北京政府(北洋軍閥政府、1912年から1928年まで、現在の中国の首都北京に存在した中華民国政府)国務総理の段祺瑞率いる討逆軍が、清末中華民国の陸軍軍人・政治家である張勲の軍を破り北京に入城、中国清朝第12代皇帝愛新覚羅溥儀が退位を宣言する。
1918年 - 日本海軍が最初に保有した弩級戦艦、河内型戦艦の1番艦『河内』が、山口県南東部、周防灘に面する徳山湾で爆発事故により沈没する。
1920年 - ソビエト・リトアニア平和条約締結。ロシアが、北ヨーロッパのバルト海東岸に南北に並ぶバルト三国の中で最も南の国、リトアニアの独立を承認する。
1925年 - 社団法人東京放送局(現:NHK[日本放送協会]放送センター)がラジオ本放送を開始。
1940年 - 三宅島噴火。東京都の本州島側地域から南海上へ約175kmに位置する、伊豆諸島の三宅島で噴火が始まる。噴火は、三宅島の最高峰、雄山の北東山腹の標高約200m付近から始まり、流れ出た溶岩が、1時間程度で山麓の集落を埋める。居住域から噴火が始まったため被害が大きくなり、11名が死亡、20名が負傷する。その後、噴火活動は山腹から山頂火口に移り、約1ヶ月続いている。
1941年 - 第二次世界大戦: 英ソ相互援助協定が締結される。
1943年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: コロンバンガラ島沖海戦が行なわれる。
1943年 - 第二次世界大戦・独ソ戦: プロホロフカの戦いが行なわれる。
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 敦賀大空襲。日本海側沿岸の都市としては最初の空襲。109名が死亡し、福井県敦賀市の市街地の約80%以上が焼失する。
1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 宇都宮大空襲。アメリカ軍の戦略爆撃機ボーイングB-29スーパーフォートレス133機が、栃木県宇都宮市の市街地域を中心に爆撃し、市街区域の約65%の地域が被災、約600余名が死亡する。
1947年 - フランスの首都パリで、第1回欧州経済復興会議が開催され、欧州経済協力委員会(CEEC)の設置を決議する。