7月4日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1木曜日 旧暦  5月29日、先負(己巳)、月齢 27.6 
グレゴリオ暦で年始から186日目、年末まであと180日。
誕生花 ネジバナ・カノコユリ・モクレン。

那須の日。
栃木県那須郡那須町湯本に所在する、一般社団法人那須町観光協会が制定。日付は、7月4日の「7」と「4」で、「那須(な[7]す[4])」の語呂合わせから。那須高原は、栃木県北部の那須岳の南側山麓地域で、那須岳の標高千数百mの地域より東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線、国道4号が通る標高300m辺りまで、緩やかな斜面が広がる。那須高原は、古くから那須温泉郷(630[舒明天皇2]年開湯とされ、奈良時代[8世紀頃]には、中央の官人が湯治場として認知していたとされる)で知られた観光地で、1926(大正15)年に開かれた那須御用邸があることでも有名である。栃木県那須郡那須町にある那須御用邸は、天皇や皇族の別荘である御用邸で、年に数回、主に8月から9月に静養を兼ねて避暑で訪れる。宮内庁(皇室関係の国家事務、天皇の国事行為に当たる外国の大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務を掌り、御璽[天皇の印章]・国璽[国家の表徴として押す印章、又は印影]を保管する内閣府の機関)の定義では、一定規模の建造物と敷地を有するものを離宮とし、小規模のものを御用邸と称している。豊かな自然環境を保護しつつ、国民が自然に直接触合える場として活用してはどうかという、第125代天皇、今上天皇の意向を受けて、在位20周年という節目の機会に、那須御用邸用地の約半分に当たる約560haが宮内庁から環境省へ移管された後、施設整備や遊歩道等の整備が進められ、2011(平成23)年5月22日、那須御用邸敷地の約半分が一般開放されて、那須平成の森(自然公園・遊歩道・フィールドセンター等の総称)として開園した。那須高原には、栃木県那須郡那須町にある茶臼岳の別称である那須岳(標高1,915m)を始めとする登山、ハイキングコースが整備され、山麓には牧場、遊園地、ホテル、ペンション、美術館、リゾート施設、ショッピング施設、動物園、キャンプ場等の観光、ゴルフ場、スキー場、テニスコート等のスポーツ施設、別荘分譲地や保養所等が数多く立地している。東北自動車道や東日本旅客鉄道(JR東日本)東北新幹線が通じており、東京から日帰り可能な日本有数のリゾート地域となっている。雄大な自然に恵まれ、夏は涼しく、春はレンゲツツジ、秋のリンドウ、紅葉等、四季折々に変化に富んだ美しさと泉質が各地で異なる那須温泉郷を楽しむことができる。那須地域は、概ね旧那須郡を指す。現在の行政区画では、栃木県大田原市、栃木県那須塩原市(旧黒磯市・西那須野町・塩原町の新設合併により発足)、栃木県那須烏山市(旧烏山町・南那須町の新設合併により発足)、栃木県那須郡(那須町、那珂川町)にほぼ相当する。古代には那須国(なすのくに)が置かれた。那須国は、下野国(現在の栃木県)北東部を支配した国造(古代日本の行政機構において、地方を治める官職に就いた者)、那須国造が治めた、東山道に位置する令制国以前の国で、現在の栃木県大田原市を中心とする地域である。那須国造の那須直韋提が、永昌元年己丑(689[持統天皇3]年)4月に評督(古代日本での行政区域の単位が評で、その評の支配者が評督である)に任命されたとあり、この年に同族と考えられる下毛野国造が治めた下毛野国(毛野は、日本の古墳時代の地域・文化圏の1つで、現在の群馬県と栃木県南部を合わせた地域を指すとされ、北関東を流れる利根川の支流の1つ、渡良瀬川を境として上毛野と下毛野に分かれた)と共に、那須国は令制国(奈良時代から明治初期まで1,000年以上、日本の地理的区分の基本単位であった地方行政区分)の下野国に編入され那須郡となった。地形的には、北西部の那須高原と、南東部の複合扇状地である那須野が原(那須野原)からなる。那須五岳(最高峰は那須岳)、高原山等の火山があり、温泉も多く、那須火山帯の一画を構成している。これらの火山は、日光国立公園の一部となっている。東は八溝山地で茨城県と、北は白河の関や那須五岳で福島県と接する。観光地として言われる場合の「那須」は、非常に範囲が広く曖昧であるが、一般的には、栃木県那須郡那須町の那須岳やその麓の那須御用邸をランドマークに広がる、那須温泉郷や那須高原を指す場合が多い。かつては、栃木県那須郡西那須野町(現在の那須塩原市)の西那須野駅から同郡黒羽町(現在の大田原市)の黒羽駅を経て、同郡小川町(現在の那須郡那珂川町)の那須小川駅までを結んでいた鉄道路線、東野鉄道や、栃木県塩谷郡藤原町(現在の日光市)の新高徳駅と同県矢板市の矢板駅間を結んでいた東武鉄道の鉄道路線、東武矢板線等のローカル私鉄線も存在したが、現在、那須地域は、東日本旅客鉄道(JR東日本)線のみのネットワークである。東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線は、栃木県那須塩原市本町にある黒磯駅を境に、南側は直流電化(1,500V)、北側は交流電化(20,000V・50 Hz)と、電化方式が異なっており、旅客列車の大部分を占める普通列車では、それぞれの電源方式専用の電車が運用されることから、貨物列車と一部の臨時列車を除き、運転系統が分断されている。黒磯駅より南側の直流区間である上野駅 - 黒磯駅間は、JR発足後に「宇都宮線」の運行名(愛称)が与えられており、黒磯駅はその終端駅となり、正式路線名の「東北本線」で案内される黒磯駅 - 盛岡駅間とは、ラインカラーでも区別されている。黒磯駅は、日本国有鉄道(国鉄)時代から、運用上の境界扱いの駅であり、東京近郊区間も黒磯駅までとなっている。那須地域内のバス運行は、東日本旅客鉄道(JR東日本)グループのバス事業者、ジェイアールバス関東と、1968(昭和43)年までは、東野鉄道として鉄道事業を行なっていた、栃木県東部・北部を中心に乗合バス・貸切バス・索道(那須ロープウェイ)事業等を行なう企業、東野交通が主に行なっており、両社共同運行で都心と那須を結ぶアクセスとして、高速バスの那須リゾートエクスプレス号・もみじ号・与一号を、東京の新宿駅・東京駅方面から運行している。所要時間は、約3時間から約4時間となっている。観光客向けとしては、那須高原内には観光シャトルバス(愛称:キュービー号)、那須塩原駅と那須温泉を結ぶシャトルバス(愛称:りんどう号)等がある。古来から、日本人は石や岩を霊的なものとして崇拝しており、そうした霊的な存在は、妖怪にとって格好の住処であったとされることが、こうした伝承の背景と考えられている。陰陽石と言われる男女を表わす石もあり、殺生石は「妖怪の祟り」をもたらすとされる。栃木県那須郡那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩、殺生石の付近一帯には、硫化水素、亜硫酸ガス等の有毒な火山ガスが絶えず噴出しており、「鳥獣がこれに近付けばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られている。現在は観光名所となっており、観光客も多く訪れる。但し、ガスの排出量が多い場合は立入りが規制される。殺生石には、鳥羽上皇(第74代天皇、鳥羽天皇が譲位により皇位を後継者に譲った後の尊号)が寵愛した伝説の女性、玉藻前(白面金毛九尾の狐の化身)が正体を表わし、数万の軍勢によって殺害され、石となったという逸話がある。その後、1385(至徳2)年に曹洞宗(坐禅修行を主とする禅宗の一派)の僧、玄翁心昭によって打砕かれ、そのかけらが全国3ヶ所の高田と呼ばれる地に飛散したという。