7月1日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1月曜日 旧暦  5月26日、赤口(丙寅)、月齢 24.6 
グレゴリオ暦で年始から183日目、年末まであと183日。
誕生花 ケシ・クレマチス・マツバキク。


二十四節気・雑節等 
半夏生。
雑節。半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃(ハンゲショウ[カタシログサ]という草の葉が、名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも)。七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では、天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃に当たる。農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は、天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけない、とされたりした。また、三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部等では、ハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行なうことに対する戒めともなっている。近畿地方の一部地域では、蛸を食べる習慣があり、現在では、近畿地方各地の小売店、が盛んに販売促進活動を展開している。蛸を食べるのは、作物が蛸の足のように、大地にしっかりと根を張ることを祈願する、といった意味が込められているとされる。蛸は低カロリーで、たんぱく質、特に、タウリンが豊富である。タウリンは、生体内で重要な働きを示す分子であり、タウリンには「身体、細胞を正常状態で保つ作用」がある。また、亜鉛も多く含む。夏場のものが特に美味とされる。半夏生に蛸を食べる習慣は、タウリンを補給して夏バテを防ぐためと言われる。奈良県の一部の地域(香芝市周辺)では、「はげっしょ」と言い、農家の人達は玄米の餅を作り食べた。讃岐国(現在の香川県地方)の農家では、農繁期が一段落した半夏生の頃にうどんを食べて、労をねぎらう習慣があり、福井県では、東部の大野市等で焼き鯖を食べる習慣がある。この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。
半夏生ず。
七十二候の1つ(30候)。 

蛸の日。
関西地方では、7月2日頃の半夏生に蛸を食べる人が多い。それは、蛸に多く含まれるタウリンがスタミナを付け、夏バテ防止になるからと言われる。タウリンは生体内で重要な働きを示す分子であり、タウリンには「身体、細胞を正常状態で保つ作用」がある。そこで、この日を「蛸の日」と定めたのは、蛸についてさまざまな研究を行なっている蛸研究会。蛸は、手近で美味なたんぱく質の供給源として、世界各地の沿岸地方で食用されている。ヤハウェ(アッラー)を唯一神として奉じる信仰、ヤハウェ信仰を起源とするユダヤ教では、食物の清浄規定カシュルートによって、蛸は食べてはいけないとされる「鱗の無い魚」に該当する。イスラム教やキリスト教の一部の教派でも、類似の規定によって、蛸を食べることが禁忌に触れると考えられている。一方、蛸は、日本の食生活に深く根付いている。2000(平成12)年前後の時代には、北アフリカのモロッコからの輸入が増加し、全体の6割を超えていたが、乱獲による生物量の減少を受けて度々禁漁が行なわれ、他産地からの輸入が増加している。タコ類は多様な種が知られているが、日本では一般的に「タコ」と言えば、食用等で馴染み深いマダコを指す場合が多い。 日本人と蛸の関係は古く、池上・曽根遺跡(大阪府和泉市池上町と同泉大津市曽根町とに跨る弥生時代中期の環濠集落遺跡)等の大阪府下の弥生時代の遺跡からは、蛸壺形の土器が複数出土している。加熱調理されることが多く、多くの種は茹でると鮮紅色を呈する。料理では、刺身、寿司、煮だこ、酢蛸、酢味噌あえ、おでんの具材等に用いられる。たこ焼きや、その原形とされる明石焼きの具材としても親しまれている。また、瀬戸内海周辺地域等では蛸飯に供される。蛸は、夏場のものが特に美味とされる。青森県の下北半島では、蛸の内臓を茹でたものを「道具」の愛称で呼び、刺身や鍋の具等にして食べている。蛸の繊維は切れ易く、茹でる前に大根で叩いたり日本酒に漬けておくと、茹でた後も柔らかいままとなる。また、茹でる際、茶葉をひとつまみ入れると、臭みがとれるとされている。日本では、その形態、生態が極めて特徴的でユーモラスでもあり、また、茹でると真っ赤になる等といった性質から、漫画・映画・テレビ番組等でキャラクター化されることが多い(しばしば、胴体に鉢巻を巻いた姿で描かれる)。単純に馬鹿にする言葉としても、「タコ」という呼称が使われ、転じて、馬鹿や初心者を指して「タコ」という表現もあちこちで見られる。同じ墨を吐く動物として、烏賊(イカ)と対比されることが多い。なお、烏賊(イカ)の吸盤が、環状に並んだ微細で鋭利な歯を持つのに対して、蛸の吸盤にはそれが無い他、大きく肉付きも良いため、それ自体の食感が喜ばれる。狭い岩の隙間に潜り込む習性を利用した蛸壺、蛸箱漁業は、蛸漁業独特のものである。日本には、餌を付けない針金で引っ掛ける「から釣り漁法」も存在する。空の蛸壺が浜辺に積まれている光景は、一部の地域では、漁村景観の1つともなっている。日本、オーストラリア、スペイン、メキシコ、イタリア、中国等、世界中で養殖の研究が行なわれているが、商業用の養殖には成功していない。日本では、大手水産・食品会社の日本水産株式会社が、マダコの完全養殖に成功しているが、まだ商業ベースには到達していない。韓国では、蛸は日常的な食材である。台湾や中国で消費される蛸は、大部分が現地の日本料理店や韓国料理店の食材であり、中華料理の伝統食に蛸料理は無い。なお、蛸の足の数が8本であることから、8月8日が「タコの日」とされている。
釜蓋朔日(かまぶたついたち)。
死者の霊魂が、地獄の石戸を突破って出て来るという日。かつて、太陰暦の7月15日を中心とした期間に行なわれた、盆を迎える準備は朔日から始まる。この日を釜蓋朔日と呼び、あの世の釜の蓋が開いて、ご先祖様の精霊が、冥土からそれぞれの家へ旅立つ日とされている。あの世からの道は非常に遠く、それで朔日に出発しなければ盆までに間に合わない、ということである。この日を境に墓参等をして、ご先祖様等をお迎えし始める。この日に畑に行って地面に耳を付けると、地獄の釜の蓋が開く音がするとか、亡霊の叫び声が聞こえる等と言って、急いで盆の準備をする。小麦粉で団子を作ったり、釜蓋餅という餅を作ったり、新盆(故人の死後、四十九日の忌明けを過ぎてから初めて迎える盆)の家では、高灯籠を立てたりする。高灯籠は、高く立てれば立てる程よいと言われていて、10m以上もある棹を立てて提灯を吊るす。高いところに登って火を燃やしたり松明を振ったりする代わりに、高灯籠を吊るすようになったという。地域によっては、山や川より里へ通じる道の草刈りをするが、これは、故人が山や川に居るという文化に則り、その彼岸からお還りになる故人が通り易いように行なう。また、地域によっては言い伝えで「地獄の釜の開く時期は、池や川等の水源にはむやみに近付いてはならない」というものもある。12月の煤払いと同じように、「盆煤掃き(ぼんすすはき)」と称して、墓の掃除をするのも、習わしの1つとされる。 
山開き。
昔の登山は信仰行事であり、平日の登山は禁止されていたが、夏の一定期間だけはその禁が解かれ、これを「山開き」と言っていた。現在では、夏山登山の安全を祈願した行事として、殆どの山がこの日に山開きを行なっている。開山祭は、登山道のある山の積雪期が終わり、登山シーズンの始まる春期や夏期の「山開き」の際に、一般登山者の安全を祈願するために行なわれる神事を中心とした行事である。標高3776.12mの日本最高峰、富士山は、この日に北口本宮冨士浅間神社等で開山祭が行なわれる。山梨県富士吉田市上吉田に所在する北口本宮冨士浅間神社は、全国にある浅間神社(主に富士山に対する信仰の神社)の一社である。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つである「富士山域」の一部として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録されている。富士登山道の富士山北側から山頂を目指すルート、吉田口の起点に当たり、全登山者の6割以上がこのルートを利用する。江戸時代には、定期的に行なわれる「オガミ(拝み)」と呼ばれる行事と、富士登山(富士詣)から成っている富士講が流行し、周辺には御師(特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊等の世話をする者)の宿坊が100件近く立並んだこともあるが、これは、神社に属さない独自の宗教活動であった。 
海開き。
各年において海水浴場を開設すること、及び、その日である。また、開設の日に行なわれる行事も海開きと呼ばれる。海水浴場では、通常、開設期間を定め、その期間内に、監視員やライフセーバー(救助、蘇生、応急処置、特に一次救命処置のことであるライフセービングを職業とする者)の配置、サメ防護ネット・クラゲ防止ネット・オイルフェンスの設置等の安全対策を行なったり、駐車場、更衣室、シャワー、トイレ等を開設したり、海の家等の売店・飲食店を営業するといった、利便施設の提供を行なっている。そして、毎年、海水浴場を開設することを海開きといい、海開きの初日には、行事を行なうことが多い。行事としての海開きは、シーズン中の繁盛と安全を祈願し、神主等による神事や、安全祈願祭を執り行なうことが多い。海水浴場における遊泳の時期的な規制とは無関係で、特段の規制が設けられている場合を除き、海開き期間以外でも遊泳は可能である。但し、海開き期間以外は、前述のような安全対策が講じられなかったり、利便施設が閉鎖されている場合が多い。山開きのように、特定の日付が限定されている訳ではなく、夏の海水浴シーズンを前に海での安全を祈願して行なわれる行事なので、地方によって(海水温等の違い等の理由による)時期も異なるが、多くは夏の始まりと考えられる7月の始めに行なうことが多い。2016(平成28)年には、千葉県東部の太平洋岸に位置する千葉県山武郡九十九里町の片貝中央海岸(九十九里町の中心である片貝の地名は、紀州加太浦[現在の和歌山県和歌山市加太、旧和歌山県海草郡加太町]の漁民によって開かれたことに由来する)で「本州一早い」海開き式として、4月29日に海開きが行なわれたが、海水浴場が開設されたのは7月であった。沖合いに、世界最大規模の海流で、日本近海を流れる代表的な暖流、黒潮が流れているという恩恵もあり、1年を通じて温暖な気候で知られる、和歌山県西牟婁郡白浜町(千葉県等にも白浜という地名が存在することもあり、区別する意味で、南紀白浜と呼ばれることもある)の白良浜(近畿地方屈指の海水浴場であり、夏季には主に、京阪神方面から来遊する海水浴客で賑わう)では、2012(平成24)年から、毎年5月3日に「本州一早い」海水浴場開きを行なっていたが、2017(平成29)年からは、7月の海の日の3連休の初日に変更した。白浜町を管轄する和歌山県公安委員会から、警備員等の配置を求められたためという。温暖な沖縄県等では、これよりも早く、3月下旬から4月頃にかけて行なわれる。日本一早い海開きは、東京都特別区の南南東約1,000kmの太平洋上にある30余の島々、小笠原諸島の中心的機能を担う島、父島と、その南約50kmにある母島で、元旦に海開きとなる。小笠原諸島は、年間を通じて暖かく、夏と冬の気温差は小さい。沖縄等と同様、熱帯と温帯の間の地帯、亜熱帯とされるが、亜熱帯に厳密な地理的定義はなく、気温によって定義する場合には、夏に高温になることと、冬には極端な低温にならないことを条件にすることが多い。気候的には、熱帯と異なり、季節的なリズムがみられる地域である。小笠原諸島の特徴としては、他の陸地から大きく離れていることが挙げられる。例えば伊豆半島、マリアナ諸島北端のパハロス島から父島までは、共に約800km離れており、伊豆諸島の八丈島からも約600km以上離れている。ほぼ同緯度となる沖縄本島は、西に約1,300km離れており、東側に至っては、北西ハワイ諸島まで島らしい島は見られない。この地理的隔絶が大きいことは、生物が小笠原諸島に到達することに大きな制約となった。また、島の大きさが小さいことは、島内で生存することができる生物に大きな制限が加わることとなり、小笠原諸島の大きさと位置は、独自の生物相の形成に大きく寄与することになった。小笠原諸島は、これまで大陸と一度も地続きになったことがない大洋島であり、大洋によって隔絶された環境の中で、特異な生態系を育んで来た。小笠原諸島を中心とした国立公園、小笠原国立公園と南硫黄島原生自然環境保全地域は、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(自然遺産)に登録されている。