6月29日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

星の王子さまの日。
長編小説『星の王子さま』で知られるフランスの民間航空士で作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの誕生日(1900[明治33]年6月29日)。1999(平成11)年6月29日、神奈川県足柄下郡箱根町に、世界で最初の記念館『箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム』がオープンした。このオープン記念として、記念日が設けられた。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、郵便輸送のためのパイロットとして、欧州 - 南米間の飛行航路開拓等にも携わった。1926(大正15)年、26歳で作家として本格的にデビューし、寡作ながら以後、自分の飛行士としての体験に基づいた作品を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをしたが、仲間のパイロットの間では、反感も強かったという。また、後に敵となるドイツ空軍にも信奉者はおり、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいた、とされる。1935(昭和10)年、フランス - ベトナム間最短時間飛行記録に挑戦するも、機体トラブルでサハラ砂漠(アフリカ大陸北部にある砂漠で、氷雪気候の南極を除くと世界最大の砂漠であり、南北1,700kmに亘り、面積は約1,000万平方kmであり、アフリカ大陸の約3分の1近くを占め、アメリカ合衆国とほぼ同じ面積である)に不時着、一時は絶望視されるも、3日後に徒歩で、エジプトの首都カイロに生還した(この体験が、後の『星の王子さま』に反映されている)。1939(昭和14)年には第二次世界大戦で召集されたが、1940(昭和15)年5月に開始されたドイツ軍のフランス侵攻で、フランスは敗北し、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリはアメリカへ亡命する。自由フランス空軍(ドイツによるフランス占領に反対して成立した組織となる、自由フランスの軍事組織、自由フランス軍の航空部隊)へ志願して、再度の実戦勤務で北アフリカ戦線へ赴いた。その後の1944(昭和19)年7月31日、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、写真偵察のために単機で出撃後、地中海上空で行方不明となっている。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの代表作である長編小説『星の王子さま』は、1943(昭和18)年にアメリカで出版された。体裁は児童文学ながら、子供の心を失ってしまった大人に向けての示唆に富んでいる。初版以来、作者自身による挿絵が使われ、素朴な主人公や脇役の姿は作品と共に愛されている。200以上の国と地域の言葉に翻訳され、世界中で総販売部数1億5千万冊を超えたロングベストセラーである。アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの生誕100年を祝した世界的記念事業の一環として、1999(平成11)年に開業した『箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム』には、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの生涯や、『星の王子さま』等の作品を辿る展示・映像ホール、作者の暮らした1900年代フランス風の街並み、イギリスでの滞在経験を生かし、園芸関係の分野でデザイン、著作等を行なっているガーデンデザイナーの吉谷桂子がプロデュースするヨーロピアン・ガーデン等がある。傘下に関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者である株式会社TBSテレビ、関東広域圏を放送対象地域とする中波放送の特定地上基幹放送事業者である株式会社TBSラジオ、BSデジタル放送の衛星基幹放送事業者である株式会社BS-TBSを収めているTBSグループの統括会社、東京放送ホールディングスの関連会社である番組制作会社、株式会社TBSトライメディアが経営していたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大による来園者の減少や、建物の老朽化等を理由に、2023(令和5)年3月31日をもって閉館を迎えた。
ビートルズの日/ビートルズ記念日。 
1966(昭和41)年6月29日、世界中の音楽ファンに愛されたイギリスのロック・グループ『ザ・ビートルズ』が初来日したことを記念して、『ザ・ビートルズ』の楽曲を手掛ける株式会社EMIミュージック・ジャパンが制定。なお、株式会社EMIミュージック・ジャパンは、元々は大手電機メーカー、東芝グループの会社、東芝音楽工業株式会社として成立したが、イギリスのレコード会社であったEMIの消滅に伴ない、アメリカの音楽会社ユニバーサル ミュージック グループ傘下となり、2013(平成25)年4月にユニバーサル ミュージック グループの日本法人、ユニバーサル ミュージック合同会社に吸収合併された。東京都港区赤坂に本社を置くユニバーサル ミュージック合同会社は、日本に拠点を置く外資系レコード会社の中では最大手である。外資系ではあるが、役員に実績のある生え抜き社員を登用する等、民族系同業他社と同等の経営体制となっている。東京都大田区羽田空港にある日本最大の空港、東京国際空港(羽田空港)に到着した『ザ・ビートルズ』を出迎えたのは、500名程のファンと、物々しい警備陣であった。警備は、『ザ・ビートルズ』の宿舎や公演会場でも厳重に行なわれ、誰1人近付くことができなかった。2016(平成28)年には、『ザ・ビートルズ』来日50周年となっている。翌6月30日から3日間、日本武道館で行なわれた『ザ・ビートルズ』の公演は、全部で5ステージ、それぞれ30分間だけであった。会場は、全て『日本武道館』(1964[昭和39]年に開館した、東京都千代田区北の丸公園にある武道館で、武道以外の屋内競技場、多目的ホールとしても利用される)で、地方公演は行なっていない。学校をさぼる等して駆け付けた高校生ら6,520名が警察に補導されたが、怪我人は1人も出さなかった。『ザ・ビートルズ』は、1962(昭和37)年10月にレコードデビュー、1970(昭和45)年4月に事実上解散しているが、活動期間内に母国イギリスで12作のオリジナル・アルバムを発売し、その内11作が全英アルバムチャートで週間1位を獲得した。アメリカを初め、各国でも高いセールスを記録し、ギネス世界記録(世界一の記録を「ガイドライン」と呼ばれる基準に従って認定するもの)に、最も成功したグループアーティストと認定されている。活動前期においては、アイドルとして「ビートルマニア」と称される人気を獲得。それに加えて、後期には音楽的にも評価されている。『ザ・ビートルズ』は、元々『クオリーメン』という名称で、1957(昭和32)年に結成されている。それ以降は『ジョニー&ムーンドッグス』、『ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ』、『シルヴァー・ビートルズ』と改名を繰返しており、『ザ・ビートルズ』と改名するまでに、複数のメンバーが入替わっている。『ザ・ビートルズ』と改名してから在籍したメンバーは通算6名で、その内2名(ピート・ベストとスチュアート・サトクリフ)は、1962(昭和37)年10月5日にシングル「ラブ・ミー・ドゥ」でデビューする以前に、バンドから脱退している。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4名全員が、いずれかの曲でボーカルを担当しているが、初期の「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」等、基本的にはジョン・レノンとポール・マッカートニーが、リード・ボーカル(メイン・ボーカル)を担当する曲が多い。ジョージ・ハリスンは主に「サムシング」や「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「タックスマン」等の自作曲でボーカルを担当。リンゴ・スターは「イエロー・サブマリン」や「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」等、比較的コミカルな曲でボーカルを担当している。これは、両曲のメイン作曲者であるポール・マッカートニーが、リンゴ・スターには、シリアスな曲は似合わないと考えたため、とされる。
夢中でトレーニングの日。
東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)を中核とするJR東日本グループの一員で、東京都豊島区西池袋に本社を置く、フィットネスクラブ、スイミングクラブ等のスポーツ施設の運営を手掛ける企業、JR東日本スポーツ株式会社が制定。記念日を通じて、自社の企業理念である「からだとココロの健康づくりに貢献」し、運動をする機会をつくり、フィットネスクラブを楽しむ日とすることが目的。日付は、JR東日本スポーツ株式会社の1号店、ジャナー・スイミングクラブ四谷がジェクサー・フィットネスクラブ四谷に名称変更し、ジェクサーブランドが誕生した1989(平成元)年6月29日から。また、6月29日の「6」と「29」で、「夢中(む[6]ちゅう)でトレーニン(2)グ(9)」の語呂合わせも。JR東日本スポーツ株式会社は、首都圏JR主要駅の駅ナカ・駅チカを中心に、スポーツ施設の建設・運営等を主な事業としており、ジェクサーブランドの下、フィットネス施設の他、テニスコートやテニススクール、フットサルコート、フットサルチーム等のスポーツクラブ、リラクゼーションスポット「リラクゼ」、運動型介護予防施設等を運営している。