6月28日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

動物看護の日。
東京都北区中里に事務局を置き、動物看護職の職能団体(法律や医療等の専門的資格を持つ専門職従事者らが、自己の専門性の維持・向上や、専門職としての待遇や利益を保持・改善するための組織)であり、動物の看護に関する学術、及び教育の発展を目指す一般社団法人、日本動物看護職協会(JVNA)が制定。日付は、2019(令和元)年6月28日に「愛玩動物看護師法(令和元年6月28日法律第50号)」が公布され、愛玩動物看護師という国家資格と共に、その業務として動物にも看護が必要、ということが初めて公に明文化されたことから。記念日を通して、動物の看護を広く国民に知らせると共に、動物看護について共に考え育む日、とすることが目的。人と動物のより良い共生社会の実現に繋げるための様々な活動を展開していく。動物看護に関する学術、及び教育の発展、動物医療における動物看護職の職域の確立を図ることにより、動物の健康と福祉の増進、及び国民の健康と福祉の向上に寄与することを目的とする、一般社団法人日本動物看護職協会(JVNA)は、愛玩動物看護師の国家試験に向けて、受験資格取得のための指定講習会の実施や、国家試験の攻略WEB講座の開設等を行なっている。動物看護師とは、動物病院等で働く獣医療補助者を指す呼称である。業務は、獣医師の指示の下に行なう診療補助(主に保定)、カルテ作成、入院患畜の食事健康管理・世話、血液や糞便等の検体検査、薬の管理、清掃、受付等、多岐に亘る。獣医療分野では極めて重要な職務を担っており、動物看護学の他、動物行動学、公衆衛生学等の知識を有していることが望まれる。動物病院以外に、ペットショップ、トリミングサロン、検査研究機関、ペット保険会社、農業共済組合(大動物診療)、その他、動物系施設・企業等を従事の場とすることもある。近年、動物医療は眼科や皮膚科、エキゾチックアニマル科等の専門科が確立されて高度化しているが、法律上、獣医師以外の者が診療行為を行なうことはできない。しかしながら、各診療施設(特に、小動物専門病院)では、動物看護師の雇用が一般化し、「獣医師法(昭和24年6月1日法律第186号)」に抵触しない範囲で、診療補助業務の他、入院動物の飼育管理、診療施設の窓口業務、及び維持管理業務等に従事させているため、動物看護師の技術・知識の高位平準化、その資格制度や就業環境の整備が喫緊課題となっている。小動物診療部門において、動物看護師は獣医療向上のみならず、飼育者に対する動物保健衛生指導や、適正飼育管理の普及推進を図る上で必要不可欠な存在であり、また、産業動物診療部門、公務部門(家畜防疫、公衆衛生等の行政)では、獣医師が慢性的に不足しているいため、家畜の採血、ワクチン注射、食肉・食鳥検査等、獣医師が通常行なう業務を補助する専門職の必要性が指摘されている。愛玩動物看護師は、「愛玩動物看護師法(令和元年6月28日法律第50号)」により定められた国家資格(国の法律に基づいて、各種分野における個人の能力・知識が判定され、特定の職業に従事すると証明される資格)である。愛玩動物(犬・猫・オウム科全種・カエデチョウ科[鳥類スズメ目の科で、よく知られた種の1つはブンチョウである]全種・アトリ科[鳥類スズメ目の科の1つ]全種)についての獣医師の診療の補助(輸液剤の注射・採血・マイクロチップの装着・カテーテル留置・投薬等を含む)、愛玩動物の世話・看護、飼い主に対する適正な飼養等への助言を業務とする。また、動物病院のその他の事務として、カルテ作成、血液や糞便等の検体検査、薬の管理、清掃、受付等を担当する。2019(令和元)年末に試験機関が公募され、2020(令和2(年2月、東京都文京区本郷に事務局を置く一般財団法人、動物看護師統一認定機構が指定試験機関に指定された。2023(令和5)年4月の国家資格化前、獣医療補助者としては、民間による認定動物看護師が約3万名いたが、獣医療行為は一切できず、一方で獣医療が進化し、飼い主が高度な医療を求めた結果、獣医師の負担は増し、公的資格化が求められていた。ペットブームで医療ニーズが高まる中、看護の質向上と獣医師の負担軽減を目的に、愛玩動物看護師が国家資格化された。今後、動物看護師の公的資格化や国家資格化を推進するためには、質の高い共通のカリキュラムに基づいた教育と、公平で適切な試験、さらに、職務範囲の明文化を行ない、獣医療専門職としての役割や重要性が広く国民に認知されなければならない。そのため、一般財団法人動物看護師統一認定機構では、動物看護師の職務範囲の議論を行なうと共に、ほぼ小動物臨床に限られている就業範囲を、産業動物の分野まで網羅する必要性があることを活動報告に記載している。ただ、法整備が追付かない現状では、動物看護師の行為によって患畜が危険な状況になった場合、診療行為の範囲、獣医師の指示・監督責任問題等が医療訴訟で争点となることが危惧される。人間の医療における看護師には、「保健師助産師看護師法(保助看法、昭和23年7月30日法律第203号)」に基づく名称独占規定があるため、看護師でない者が、看護師、又はこれに類似する名称を用いることができない。そのため、動物病院で獣医療の補助を行なう者や、家畜防疫及び公衆衛生分野での補助を行なう者を指す呼称についても、法律上の整備が必要である(獣医療技術職、獣医保健衛生師等が提唱されている)。資格名称が曖昧であること、無資格でも業務に従事できること、動物看護師の就業希望者数が需要を上回っていること等から、動物病院での労働待遇(勤務時間、給与、福利厚生等)が劣悪であることが多い。特に、近年増加している「24時間診療」を掲げた動物病院での勤務は、動物看護師の労働環境をさらに悪化させ、動物病院の「ブラック企業」化を助長している。
芙美子忌。
作家、林芙美子の1951(昭和26)年の忌日。林芙美子には、物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、とりわけ名作がある。処女作であり、代表作でもある長編小説『放浪記』は、林芙美子が自らの日記を元に、放浪生活の体験を書き綴った自伝的小説で、「でんぐり返り」がある女優、森光子の舞台作品としても有名な作品となっている。『放浪記』は好評で、昭和恐慌(1930[昭和5]年から翌1931[昭和6]年にかけて日本経済を危機的な状況に陥れた、第二次世界大戦前の日本における最も深刻な恐慌)の世相の中で売れに売れ、林芙美子は流行作家になった。1935(昭和10)年32歳に発表した短編小説『牡蠣』は、私小説的な作風を離れた本格的な小説として評価された。活発な文筆活動を続けながら、第二次世界大戦中には陸軍報道部報道班員としても活動した。また、かつて原稿の売込みに苦労して、人気作家になってからも執筆依頼を断らなかったので、多作の作家として知られる。第二次世界大戦前も流行作家ではあったが、第二次世界大戦後は特にマスコミに取上げられ、1948(昭和23)年の女流文学者賞は短篇小説『晩菊』で受賞した。私用や講演や取材の旅も繁くし、1949(昭和24)年から1951(昭和26)年に掛けては、9本の中長編を並行に、新聞・雑誌に連載した。原稿依頼はことごとく、無理を承知で引受けたが、幾つもの連載中の小説を残し、林芙美子は短い生涯を閉じた。47歳没。林芙美子は生前、色紙等に好んで、『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いた。東京都新宿区中井には、林芙美子に関する資料館、新宿区立林芙美子記念館がある。林芙美子が1941(昭和16)年8月から死去するまで住んでいた家を改築・整備し、記念館として公開したもので、旧家部分の立入りは不可ながら、生前、林芙美子が生活していた茶の間、書斎、小間等の様子を庭先から知ることができる。画家であった夫、林緑敏の旧アトリエは展示室となっており、そこは入室可能である。