6月17日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第3月曜日 旧暦  5月12日、仏滅(壬子)、月齢 10.6 
グレゴリオ暦で年始から169日目、年末まであと197日。
誕生花 キバナコスモス・シロツメクサ。

おまわりさんの日。
1874(明治7)年、巡査制度が誕生したことによる。江戸時代には、警察に相当する役所として町奉行所があった。江戸には南北の町奉行が、諸国には地名を冠した遠国奉行があり、その職員である与力、同心は、現在の警察官に相当した。但し、与力、同心の人数は、人口に対して非常に少なく、江戸の人口100万(その内、町方の人口は半分の約50万)に対して、警察業務を執行する廻り方同心は、南北合わせて30名にも満たなかった。この人数で江戸の治安を維持することは困難であったため、同心は、私的に「岡っ引」と呼ばれる手先(非公認の協力者)を雇い、警察業務の末端を担わせていた。江戸の「岡っ引」は約500名、その手下の「下っ引」を含めて約3,000名程度いたという。また、重罪であった放火、押込み強盗等を取締まる火付盗賊改方も、断続的に設置された。明治維新によって江戸幕府が崩壊すると、諸藩の兵(藩兵)が治安維持に当たった。しかし、藩兵は純然たる軍隊であり、警察ではなかった。1871(明治4)年、東京府(現在の東京都の前身)に 邏卒3,000名が設置されたことが、近代警察の始まりとなった。同1871(明治4)年、司法省警保寮が創設されると、警察権は司法省に一括され、東京府邏卒も司法省へ移管された。その後、司法省警保寮は内務省(現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身)に移され、1874(明治7)年に首都警察としての東京警視庁が設立された。以後の警察は、国家主導体制の下、管轄する中央省庁の権限委任も多く行なわれたが、最終的に内務省に警察権が委任され、内務省方の国家警察・国家直属の首都警察としての警視庁と、各道府県知事が直接管理下に置く地方警察の体制に落着いた。明治初期には、英語の「patrol」に対する適切な日本語が存在せず、「巡邏査察(じゅんらささつ)」という言葉を当嵌めて、その省略形としたことが呼称の起こりである。制度の制定当初は、一等巡査から四等巡査に分かれており、一等巡査は、現在の警部補に相当した。現在の日本における巡査の階級は、「警察法(昭和29年6月8日法律第162号)」第62条に規定され、上位の階級には、警視総監、警視監、警視長、警視正、警視、警部、警部補、巡査部長がある。巡査部長との間には、「警察法」には規定されていない階級的呼称(職位)として巡査長が存在する。巡査は、警察署や警察本部に配置され、交番や駐在所等での勤務、各部署で担当する事件の捜査や事務を行なう。都道府県採用試験に合格した者は、学歴に関係なく、最初は皆この階級である。通常、都道府県警察官採用試験で採用された者は、学歴に関係なく採用日、つまり警察学校への入校日をもって巡査を命じられる。この時点で警察官であるが、研修中なので、現場での活動を行なうことは殆どない。割合は、警察官全体の約30%である。日本でもアメリカでも、世界各国の警察官に一番多い階級が巡査であり、日本警察では、約26万名の全警察官の内、約6割以上が巡査と巡査部長によって占められている。なお、厳密には「おまわりさん」という言葉は、警察官のことを親しみを込めて呼ぶ名前である。「おまわりさん」の由来は、江戸時代の警察組織である「御回り」、つまり、町のパトロールであると言われており、大正期に「おまわりさん」という呼び名として定着したようである。因みに、第二次世界大戦前は、消防も警察の仕事の一部であったため、かつては「おまわりさん」に消防士も含まれていた。なお、巡査の階級にある警察官を司法巡査という。司法警察活動(捜査)とは、犯罪の捜査や被疑者を逮捕すること等により、公判で事案の真相を明らかにする一連の活動を意味するが、こうした司法警察活動に従事する者が司法警察職員である。司法巡査は、司法警察活動を行なう司法警察職員の中の役職の1つである。原則として、巡査、及び巡査長の階級の者は司法巡査、巡査部長以上の階級の者は司法警察員とされている。しかし、捜査上必要がある場合には、巡査、及び巡査長の階級の者を司法警察員に認定することができる。司法警察員とは、司法警察活動(捜査)に関して、司法巡査には認められない特別の権限を付与された司法警察職員の資格の呼称をいう。司法巡査が捜査に関しては「見習い」の警察職員であるのに対して、司法警察員は捜査に関して「一人前」の警察職員とも言える。司法巡査が司法警察員と異なる点は、犯罪捜査や被疑者の逮捕等、司法警察活動を行なう際の権限が制約されるところにある。制限される権限としては、通常逮捕状の請求権限や通常逮捕、現行犯逮捕、及び準現行犯(一定の条件に当嵌まる者が、罪を行ない終わってから間がないと明らかに認められる場合)逮捕された被疑者の受取り、被疑者逮捕時の犯罪事実の要旨・弁護人選任の告知、弁解録取、釈放・送致の決定、捜索・差押・検証令状の請求、証拠品の売却・還付、鑑定留置処分の請求、代行検視、告訴・告発・自首事件の受理、調書作成、検察官への事件送致、等が上げられる。例えば、逮捕状請求は上申・提案しかできない。但し、緊急逮捕に係る逮捕状請求に関しては、司法巡査でも請求し得るが、実際、警察署に司法巡査しかいないということはあり得ないため、司法巡査が請求するケースはほぼない。第二次世界大戦前の警察制度においては、地方自治体や企業、或いは、個人の請願により配置された、請願巡査という制度が存在した。派出警察官の給料、及び、派出所等の費用は、請願者が全て負担することになっていた。日本では1881(明治14)年4月に発足し、1938(昭和13)年に廃止された。請願者の利益保護のために設けられた制度であったため、本来であれば、公正中立でなければならない警察官が、特定の企業や個人の利益のために仕事をすることになり、企業の管理職が労働者に対して暴力や虐待を行なっても、巡査は見て見ぬ振りをする等、恣意的な警察権の行使が行なわれ、中立性はないに等しかった。特に、個人の費用によって設置されている場合等では、公的権力を持つ用心棒になっていた。アメリカ合衆国の警察にも、派出請願制度があり、手数料を払うことで、通勤の際にマイカーの先導を引受けてくれる法執行機関が存在する。アメリカ合衆国北東部、ペンシルベニア州では1900年代、炭鉱や鉄山の治安維持・争議行為抑止のため、派遣どころか、警察機関を1つ設置することまで認めていた例がある。「炭・鉄警察」と呼ばれたが、日本での事例のように評判は悪く、後に州警察が正式発足した。なお、巡査を、東京の各「交番所(交番舎)」に配置し、巡査を交代で「屯所(警察署)」から「交番所(交番舎)」へ行かせ、立番(りつばん)等を行なう場所にした「交番所(交番舎)」は、1874(明治7)年に東京警視庁(現在の警視庁)が設置したもので、町の中に交番の建物を置き、そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度は、これが世界初のものである。1881(明治14)年2月2日、1つの警察署の管内に7つの交番を設置することが定められたことから、2月2日は「交番設置記念日」とされている。