5月16日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

ネポムクの聖ヤン・ヨハネの祝祭日。
ボヘミア(現在のチェコの西部・中部地方)の司祭で自己判断の守護聖人。中央ヨーロッパに位置するボヘミア・チェコ・スロバキアの守護聖人。十字架や棕櫚(殉教を象徴する図像として描かれることが多い樹木)の枝を手にし、頭上に5つの星が輝く人物として描かれる。ネポムクの聖ヤン・ヨハネの象徴である5つの星には、聖人の遺体の場所を5つの星が示したとする伝説や、イエス・キリストが磔刑で負った5つの傷(聖痕)の数に因むとする説等がある。 
抗疲労の日。 
2009(平成21)年5月16日、日本初の疲労回復専用ウェア(リカバリーウェア)を開発した、神奈川県厚木市中町に本社を置く衣料品メーカー、株式会社ベネクスが制定。日付は、リカバリーウェアの開発日である2009(平成21)年5月16日と、5月16日の「5」と「16」で、「抗疲労(こ[5]うひ[1]ろ[6]う)」と読む語呂合わせから。リカバリーウェアは、人間が本来持っている自己回復能力を発揮させることを目的に、神奈川県と大学との産学公連携(民間企業が単独ではなく、大学や公的研究機関と連携して研究開発を行なう手法)により開発されたウェアである。スポーツウェアは、吸汗性や速乾性に優れた機能性ウェアや、身体に圧を加えることで運動機能のパフォーマンスを引出すコンプレッションウェアが一般的で、これらは全て、運動中に着るものとなる。これに対して、リカバリーウェアは、休養・睡眠時に着ることで、疲労回復を助ける働きを狙っている。最高のパフォーマンスを追究するアスリート、より高みを目指すビジネスマン、アクティブに毎日を過ごしたい人々にとって、「上質な休養」が必要不可欠になってきている。上質な休養とは、心身共に緊張が解け、ゆったりと落ち着ける環境にあってこそ得られるもので、疲れたからとただ横になっているだけでは、身体は十分に回復してくれない。緊張した状態をほぐすには、緩やかで優しい刺激が有効とされている。身体の緊張が解けて、リラックスしている状態、それが上質な休養と言えるものである。リカバリーウェアは、株式会社ベネクスが開発した特殊な素材であるPHT(Platinum Harmonized Technology)を使用して作られ、「ただ着るだけ」で、心地よい環境を整え「上質な休養」を得ることができる。  
オリーゼの日。
植物性発酵食品、オリーゼの商品化に成功した大場八治の誕生日を記念日として、大場八治が創業した、佐賀県唐津市浜玉町浜崎に所在する健康食品通信販売会社、株式会社オリーゼ本舗が制定した日。酵母が酵素を作り出すことに着眼し、1944(昭和19)年に開発されたオリーゼは、自然食品の草分け的な存在とされている。100種以上の麹菌、酵母、乳酸菌を安定培養し、キダチアロエ、ドクダミを加えて、顆粒状にした製品で、食品添加物・凝固剤・化学物質を一切使用せず、佐賀県産の自然素材だけで作られており、健康維持や体調改善の効果が期待できる。なお、自然食品の正確な定義は明確ではないが、普通に市販されている同種の食料品よりも、自然に近いと考えられる食品を、自然食品と呼称することが多い。即ち、加工食品では、食品添加物を使用していないもの、比較的加工度の低い食品、或いは、昔からの製造方式で生産している醸造食品等とされる。日本の法律上は単なる食品であり、医薬品成分を含まない、健康の保持増進に寄与するとされる食品全般のことは、俗に健康食品と呼ばれている。1991(平成3)年に保健機能食品の制度が定められ、国の定めた規格や基準を満たす食品において、保健機能を表示できることとなった。保健機能食品は、健康食品の内、安全性や有効性等が国の設定した一定の基準を満たした食品で、健康食品の品質を見極める時、評価基準の1つとすることができる。
HAE DAY。
遺伝子の変異により、皮膚や粘膜に浮腫ができる疾患で、難病に指定されている遺伝性血管性浮腫(HAE)。兵庫県加古川市野口町に事務局を置く、体の様々な場所に腫れが起こる遺伝性血管性浮腫(HAE)の患者・家族等が参加する団体、特定非営利活動(NPO)法人HAEジャパン(HAEJ)が制定した日で、患者自身が難病に負けずに笑顔(スマイル)でメッセージを発信し、世界中の患者の人達と繋がり、笑顔の輪を広げていく日、とすることが目的。また、社会に遺伝性血管性浮腫(HAE)のことを知ってもらうことも目的の1つ。日付は、「HAEi」(遺伝性血管性浮腫[HAE]世界国際患者会)が定めており、中央ヨーロッパに位置するハンガリーの首都ブダペストで、隔年で遺伝性血管性浮腫(HAE)についての医学学会が、毎回5月16日前後に行なわれていることから。
工事写真の日。
東京都清瀬市中里に所在し、写真撮影等を手掛ける企業、有限会社多摩フォートが制定。有限会社多摩フォートは、建築における工事工程の記録写真、いわゆる工事写真の撮影、及び整理を主な業務としていることから、その大切さをアピールすることが目的。日付は、有限会社多摩フォートが業務を開始した1997(平成9)年5月16日に因む。完成建造物の品質を長期に保証し、併せて施工合理化を推進する一環として、管理体制の充実が求められている。その意味で、施工管理の証明が一層重視されるようになってきた。工事工程の記録写真は、適正な施工管理を証明するための必須な手段であり、従来にも増して、その的確さが求められている。しかし、刻々に変化する工事現場にあっては、現場職員の人達は、往々にして施工管理に追われ、工事記録の写真撮影にまでは手が回らないのが現状である。そこで、有限会社多摩フォートでは、忙しい現場職員の人達に代わり、工事現場の、正確で肌理の細かい記録写真を撮影し、全工程の経緯がつぶさに把握できる編集を併せて行なっていて、現場の撮影頻度に合わせて、「常駐」と「スポット」の2種類の形態がある。 
透谷忌。
前期浪漫主義文学(明治中期以降に、西ヨーロッパのロマン主義[理性偏重、合理主義等に対し、感受性や主観に重きをおいた一連の運動]文学の影響を受けたもの)の詩人で、評論家としても活躍した北村透谷の1894(明治27)年の忌日。北村透谷は、明治期に近代的な文芸評論を行ない、自然主義(19世紀末、フランスを中心に起こった文学運動で、自然の事実を観察し、「真実」を描くために、あらゆる美化を否定する主義)派の代表的な作家の1人である島崎藤村らに大きな影響を与えたが、25歳5ヶ月の若さで自殺する。1889(明治22)年に『楚囚之詩』を発表するが、これは、北村透谷の最初の作品であると共に、日本近代詩の最初の作品として後世に評されている。但し、出版直後に、北村透谷は発表を後悔して自ら回収している。一時期自由民権運動に深く影響されたが、後になって政治から遠ざかり、キリスト教の信仰の世界に入る。1893(明治26)年、評論家・歴史家の山路愛山との論争の中で、自身の自由民権運動への挫折感と自己批判をし、肉体的生命よりも内面的生命(想世界)における自由と幸福を重んじる『内部生命論』を発表した。また、それまで自分には、「信仰」と「愛」が欠けていたとして、キリスト教信仰は個人を支え、他愛は他者との間に相互に自立した人格的な結合を実現し、精神を純化すると考えた。東京の数寄屋橋(現在の東京都中央区銀座に所在)近くの泰明小学校を卒業していて、「透谷」という筆名は、数寄屋橋の「数寄屋(すきや)」を「透谷(すきや)」に変え、読みを「とうこく」にしたと言われる。なお、島崎藤村も泰明小学校の卒業生であり、北村透谷の後輩に当たる。