5月6日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

さくらパンダの日。 
東宝映画『余命1ヶ月の花嫁』のモデルとなった長島千恵さんの命日であるこの日を、「さくらパンダの日」に制定したのは、映画を製作した共同製作プロジェクト、"April Bride" Project。長島千恵さんが伝えたかった「乳がん検診の大切さ」と「生きることの素晴らしさ」を、多くの人の心の中に残るように、との願いが込められている。記念日の名称は、乳がんと闘う日々の中で、長島千恵さんを励まし続けたキャラクターの「さくらパンダ」に因んで。"April Bride" Projectは、TBSテレビ・東宝・電通・毎日放送・ツインズジャパン・中部日本放送・RKB毎日放送・ハピネット・朝日新聞社・Yahoo! JAPAN・北海道放送・JNN28局からなる映画の製作委員会で、製作委員会方式は、アニメ・映画・テレビ番組等の映像作品や、演劇・ミュージカル等の舞台作品を製作する際の、さまざまなリスクを回避するための方式・手法の1つであり、現在の主流の方法となっている。建設業における共同企業体(JV)と同様の形態である。『余命1ヶ月の花嫁』は、1人の女性が送った闘病生活を題材とした、日本のノンフィクション物語である。2007(平成19)年5月10日と5月11日に、TBS系列の報道番組『イブニング・ファイブ』で、「24歳の末期がん」ドキュメンタリー特集として放送され、放送終了後も大反響を呼び、同年7月17日に特番『余命1ヶ月の花嫁/乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ』が高視聴率を記録。同年12月には、それに関した本が刊行40万部を突破した。これをきっかけに、TBSと系列各局が中心となった「ピンクリボンプロジェクト」キャンペーンが展開された。主人公である長島千恵は、24歳ながら2007(平成19)年4月に、既に末期の乳がんに冒されていた。宣告された余命は1ヶ月。しかし、「がんと闘う自分の思いを、同世代の人達に伝えたい」と取材に応じた。長島千恵の最大の夢は、「ウエディングドレスを着ること」であった。長島千恵の夢を叶えるため、長島千恵の恋人、赤須太郎との模擬結婚式を友人達が計画し、2007(平成19)年4月5日、婚姻届は出さずに結婚式を挙げる。そして、模擬結婚式から約1ヶ月後の5月6日、長島千恵は亡くなった。2009(平成21)年5月9日、これを題材にした東宝映画『余命1ヶ月の花嫁』が公開された。2005(平成17)年10月、イベントコンパニオンをしている千恵は、千葉市美浜区中瀬にある大型の会議・展示施設、幕張メッセで開催されるCEATEC JAPAN(アジア最大級の規模を誇るIT技術とエレクトロニクスの国際展示会)での、ソニーのブラビア発表イベント会場で知合った太郎と交際を始めるが、千恵は乳がんに侵され、太郎の元を離れる。太郎の千恵への想いは変わることがなく、千恵を屋久島まで追掛け、一緒に生きることを伝え、千恵も太郎と生きることを決意する。しかし、千恵は乳がんを再発し、父・貞士と叔母・加代子に、医師から余命1ヶ月と告知される。長島千恵を榮倉奈々、赤須太郎を瑛太、父・長島貞士を柄本明、叔母・大塚加代子を手塚理美が演じている。2010(平成22)年には、貫地谷しほりと渡部豪太が主演する、『余命1ヶ月の花嫁』の舞台も制作されている。さくらパンダは、老舗百貨店の大丸と松坂屋を運営する大丸松坂屋百貨店の公式マスコットキャラクターである。2007(平成19)年3月、松坂屋上野店の50年振りとなるリニューアルオープンと共に誕生した。松坂屋上野店の近隣にある上野公園のサクラと上野動物園のパンダをモチーフとしており、パンダの黒い体毛部分にサクラ柄がデザインされていることが特徴となっている。元々は、松坂屋上野店の広告用のキャラクターとして誕生したが、ライセンス事業を開始したことで、ボランティア団体「ぱんだの会」のシンボルマークや、映画・舞台『余命1ヶ月の花嫁』のオフィシャルキャラクターとしても利用されている。
コロネの日。
東京都千代田区岩本町に本社を置く、日本最大で、世界でも第2位の規模となる製パン業者、山崎製パン株式会社が制定。日付は、5月6日の「5」と「6」で、「コ(5)ロ(6)ネ」と読む語呂合わせから。「コロネ」は、昔から愛され続けている、巻き貝のような螺旋状の形(コルネ型)が特徴の日本発祥の菓子パンである。その魅力を、さらに多くの人に広め、「コロネ」を食べるきっかけの日としてもらうことが目的。山崎製パン株式会社の「コロネ」商品には、「ミルクチョコクリームコロネ」がある。ヤマザキパンの中でもロングセラーを誇る一品であり、巻き貝のようにぐるぐる巻きになったパンに、たっぷりとミルクチョコクリームを詰めてある。かじるたびにミルクチョコクリームがはみ出て、美味しい格闘をすることになる。「コロネ」は「コルネ」とも呼ばれる。その語源は、金管楽器の「コルネット(cornet)」と同じく、イタリア語で角や角笛(ホルン)を意味する「corno(コルノ)」に由来する。一般に、クリーム類をパンに練り込んだり、パン生地に乗せたりする欧米の調理法に対して、パンの中に空洞を作り、そこにクリームを詰込むのは日本的な仕様であり、饅頭に通じるものがある。「コロネ」の中でも、特にチョコレートクリームを入れた「チョココロネ」が有名である。その他に、カスタードクリームやホイップクリーム等を入れた「コロネ」もある。 
鑑真忌。
中国唐朝の高僧で、日本に渡って日本律宗(戒律[仏教において守らなければならない道徳規範や規則]の研究と実践を行なう仏教の一宗派)を開いた鑑真の763(天平宝字7)年の忌日(旧暦)。現在の奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院、唐招提寺では、唐招提寺開山忌が、月遅れで6月6日に行なわれる。鑑真は、日本の学問僧の要請に応じ、5回の渡航失敗と失明にも係わらず、6回目の渡航で来日に成功する。鑑真は戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝えた。また、悲田院(仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設)を作り、貧民救済にも積極的に取組んだ。763(天平宝字7)年、鑑真は唐招提寺で死去(遷化)した。享年76歳。死去を惜しんだ弟子の忍基は、鑑真の彫像(脱活乾漆 彩色 麻布を漆で張合わせて骨格を作る手法 両手先は木彫)を造り、現代まで唐招提寺に伝わっている(国宝唐招提寺鑑真像)。これが、日本最古の肖像彫刻とされている。また、779(宝亀10)年、淡海三船(第38代天皇、天智天皇の玄孫[孫の孫、4代後の末裔]となる、奈良時代後期の皇族・貴族・文人)により鑑真の伝記『唐大和上東征伝』が記され、鑑真の事績を知る貴重な史料となっている。因みに、砂糖は、日本には奈良時代に、鑑真によって伝えられたとされている。砂糖の国産量は微増傾向にあるが、それは主にテンサイ(別名はサトウダイコンで、寒冷地作物であり、サトウキビと並ぶ砂糖の主要原料)糖の増加によるもので、サトウキビ糖は微減傾向にある。サトウキビの主な生産地は沖縄県や鹿児島県で、テンサイの生産地は主に北海道である。 
万太郎忌、傘雨忌。
作家・劇作家・俳人・演出家、久保田万太郎の1963(昭和38)年の忌日。俳号の傘雨から、傘雨忌とも呼ばれる。久保田万太郎の別の筆名は千野菊次郎。東京の浅草生まれで、生粋の江戸っ子として、伝統的な江戸言葉を駆使して滅びゆく下町の人情を描いた。俳人としては、しっとりとした人事句を得意とした俳人の岡本松浜、俳聖松尾芭蕉の俳諧精神を尊んだ俳人の松根東洋城に師事、第二次世界大戦後に俳誌『春燈』を主宰し、文人俳句の代表作家としても知られる。江戸情緒の残る下町の暮らしを、平明な言葉によって余情深く詠む句風で、主に短編小説を書き、多くの傑作を残した作家、芥川龍之介は、その句風を「東京の生んだ<嘆かひ>の句」と評し、久保田万太郎自身は、自分の句を「家常生活に根ざした叙情的な即興詩」と見做していた。久保田万太郎は終生、自身の俳句を余技として位置付けていたが、俳壇の中心的な位置から外れながらも、その俳句に対する世評は高く、歳時記(俳諧・俳句の季語を集めて分類し、季語毎に解説と例句を加えた書物)への収録も非常に多い作家である。 
春夫忌、春日忌。
詩人・作家・評論家、佐藤春夫の1964(昭和39)年の忌日。春日忌とも呼ばれる。佐藤春夫は、艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌と、その活動は多岐に及び、明治末期から昭和期まで旺盛に活動した。俗に門弟三千人と言われ、その門人もまた、井伏鱒二、太宰治、檀一雄、吉行淳之介、稲垣足穂、龍胆寺雄、柴田錬三郎、中村真一郎、五味康祐、遠藤周作、安岡章太郎、古山高麗雄等、一流の作家になった者が多かった。