4月20日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

0730年 - 現在の奈良市西ノ京町に所在する寺院、薬師寺の東塔(三重塔)が建立される。薬師寺東塔は国宝で、現在寺に残る建築の内、奈良時代(天平年間)に遡る、唯一のものである。総高34.1m(相輪[仏塔の屋根から天に向かって突出た金属製の部分]を含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。屋根の出が6ヶ所にあり、一見六重の塔に見えるが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし、軒下壁面に付いた庇状構造物)であり、構造的には三重の塔である。仏塔建築としては、他に類例のない意匠を示す。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には、飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている。 
1303年 - ローマ・ラ・サピエンツァ大学が設立される。ローマ・ラ・サピエンツァ大学はイタリアの国公立大学で、首都ローマに位置する。イタリアのみならず、ヨーロッパでも屈指の歴史を持ち、西ヨーロッパで最大規模の大学でもある。 
1580年 - 石山合戦: 織田信長と石山本願寺(戦国時代初期から安土桃山時代にかけて、摂津国東成郡生玉荘大坂[現在の大阪市中央区大阪城付近とされる]にあった浄土真宗の寺院)が和議。本願寺第十一世の顕如が石山(現在の大阪)を退去し、戦闘行為を停止する。多数の門徒と、その門徒がもたらす財力を有していた石山本願寺は、16世紀の中頃には、中央権門や戦国大名家への外交も展開し、中央権門では天皇・公家衆へ接近を強め、東国の戦国大名家では、甲斐国(現在の山梨県)の武田氏、相模国(現在の神奈川県の大部分)の北条氏康・北条氏政親子と親交を結ぶ等、戦国大名と同盟を結んで基盤を整え、絶頂期を迎える。しかし、その前に立ちはだかったのが、尾張国(現在の愛知県西部)を統一した後、上洛を果たした織田信長である。1570年、打倒織田信長を唱えて石山本願寺は決起し、石山合戦が蜂起する。これ以降、石山本願寺と織田信長の戦いは、連続した戦闘だけではなく、和睦戦術を交え途中断続し、両勢力とも同盟勢力の拡大を図りながら、約11年もの長きに亘り続くこととなる。1578年、本願寺付近の海上を封鎖していた織田水軍は、石山本願寺へ兵糧を搬入しようとする毛利水軍を撃破する。これ以降、制海権を奪われた石山本願寺は、大規模な補給路を断たれ、厳しい籠城戦を強いられることになる。そして、第106代天皇、正親町天皇の勅令(天皇が発した命令)により、京都御所に毎月酒饌(しゅせん)を納め、御物(ごもつ)の保管・金銭の出納・年貢米等の管理に当たった商人(禁裏御蔵職)で、朝廷と織田信長との間を周旋していた立入宗継が調停に出向き、織田信長と石山本願寺、双方の和議が成立する。石山本願寺は、織田信長軍の長期の攻撃耐え、武力で開城されることは無かったが、この最大の理由としては、城郭そのものが難攻不落の名城であったことが挙げられている。ただ、その後に天下統一を果たした豊臣秀吉が、跡地に大坂城を築き、城下町を建設したため、石山本願寺の規模や構造等は殆ど分からなくなっている。 
1598年 - 醍醐の花見。豊臣秀吉が醍醐寺(現在の京都市伏見区醍醐東大路町に所在する寺院)で最後の花見を行なう。豊臣秀吉は近親の者を初めとして、諸大名からその配下の女房女中衆まで、約1,300名を召し従えた盛大な花見を催す。真言宗醍醐派総本山の寺院、醍醐寺は、約200万坪以上の広大な境内をもち、古都京都の文化財の1つとして、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録されている。室町幕府内部の争いから始まり、ほぼ全国に争いが拡大した、1467年から1477年までの約11年間に亘って継続した戦乱、応仁の乱等で荒れ果てていた醍醐寺を復興した中興の祖、第80代座主(住職最上位の別称)である義演は、豊臣秀吉の帰依を得て良好な関係を築いていたが、豊臣秀吉の最期が近いことを感じ取り、一代の華麗な英雄の最後に相応しい大舞台を設えるために、あちこちにそれとなく手配をして、この醍醐の花見を実現させたともいう。豊臣秀吉は、この約5ヶ月後に没している。   
1653年 - イングランドの軍人・政治家、オリバー・クロムウェルがクーデターを起こし、ランプ議会(長期議会とも呼ばれる、スコットランドの反乱に敗れたイングランド、スコットランド、アイルランドの王であったチャールズ1世が賠償金を捻出するため1640年11月に召集した議会)を解散させる。 
1775年 - アメリカ独立戦争: ボストン包囲戦が始まる。 
1775年 - アメリカ独立戦争: 火薬事件(バージニア植民地[北アメリカ大陸に設立されたイギリス領植民地で、現在はアメリカ合衆国東部に位置するバージニア州となっている]総督ダンモア卿ジョン・マーレイと、愛国者を率いるパトリック・ヘンリー[アメリカ合衆国の弁護士、政治家]の民兵隊との間の紛争)が発生。ダンモア卿ジョン・マーレイは、バージニア植民地東部に所在するウィリアムズバーグの火薬庫から、イギリス海軍の艦船に火薬を移すよう命じたが、その動きは土地の政情不安に火を付け、民兵隊が植民地中に集結し始める。この事件は、イギリス軍水兵が火薬を除去し、民兵の蜂起は平和的に解散される。しかし、ダンモア卿ジョン・マーレイは、自分の安全が脅かされていると感じ取り、イギリス海軍の艦船に逃亡。イギリスによるバージニア植民地の支配が終わることとなる。
1792年 - フランスがオーストリアに宣戦し、革命後のフランスと、反革命を標榜する対仏大同盟との一連の戦争、フランス革命戦争が始まる。 
1810年 - 南アメリカ北部に位置するベネズエラのカラカス市参事会が、スペインからの独立を宣言する。翌年1811年には、ベネズエラ第一共和国が樹立されるが、王党派の介入とカラカス大地震によってベネズエラは混乱し、共和国は崩壊する。 
1854年 - ロシア使節エフィム・プチャーチンが、前年に続いて再び長崎に来航する。 
1871年 - 東京・京都・大阪に郵便役所が設置され、業務を開始する(郵政記念日)。 
1901年 - 日本初の女子大学、日本女子大学校(現在の日本女子大学の前身)が開学。 
1906年 - 全国的な鉄道網を官設鉄道(国鉄[日本国有鉄道、現在のJRグループ]の前身)に一元化するため、私鉄を国有化することを定めた「鉄道国有法(明治39年3月31日法律第17号)」が施行される。後の1987年4月1日、「日本国有鉄道改革法等施行法(昭和61年12月4日法律第93号)」の規定により廃止となる。「鉄道国有法」に基づき、私鉄17社の約4,500kmが買収される。買収前には約2,600kmに過ぎなかった官設鉄道は、約7,100kmと約3倍に増え、私鉄は地域輸送のみに限定されることとなる。
1914年 - 朝日新聞で、作家・評論家・英文学者、夏目漱石の長編小説『心 先生の遺書』(後に『こゝろ』に改題)が連載開始。8月11日まで。 
1917年 - 第13回衆議院議員総選挙。 
1920年 - アントワープオリンピック(第7回オリンピック競技大会)が開幕。開催都市はベルギー北部のアントワープ。初めて選手宣誓が行なわれ、オリンピック旗が初めて掲げられる。会期は9月12日まで。1918年に終結した第一次世界大戦で戦場となり、焦土となったベルギーにとって、オリンピックの開催は、国家再建に大きく貢献することとなる。オリンピック開催は男子テニスの熊谷一弥が、シングルス、及び、柏尾誠一郎と組んだダブルスで、日本人のスポーツ選手として、史上初めてのオリンピックメダル(銀メダル)を獲得する。 
1927年 - 陸軍軍人・政治家の田中義一が第26代内閣総理大臣に就任し、田中義一内閣が発足。 
1928年 - 中国の軍人・政治家、朱徳率いる国民革命軍の蜂起部隊(鉄軍)と、毛沢東の農民武装部隊とが井崗山(現在の中華人民共和国中南部、江西省井岡山市にある急峻な山)で合流し、中国工農革命軍第四軍(紅軍)を結成。 
1939年 - ドイツ国の政治家、アドルフ・ヒトラーの50歳の誕生日。ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)がこの日を休日とし、首都ベルリンで大規模な軍事パレードを行なう。