4月18日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

三重県民の日。
1876(明治9)年4月18日、第2次府県統合により、現在の三重県南部に所在した渡会県が三重県と併合し、現在の三重県の範囲が画定されたことから。三重県の置県100年目に当たる1976(昭和51)年3月29日に「県民の日条例(昭和51年3月29日三重県条例第2号)」として制定された。この日には、三重県津市一身田上津部田に所在する公立の博物館、三重県総合博物館(MieMu)等、公共施設の無料開放が行なわれる。紀伊半島の東側に位置する三重県は、海、山の豊富な自然に恵まれ、農業・漁業が盛んである。また、江戸時代(御伊勢参り)から現在(自動車レースの最高峰、フォーミュラ1[F1]日本グランプリや、日本最大のオートバイレース、鈴鹿8時間耐久ロードレース[通称:鈴鹿8耐]等)に至るまで、観光を産業として成立させている。北勢、伊賀、中勢、南勢(伊勢志摩)、東紀州の5地域で構成されて、江戸時代から、お伊勢参り(お蔭参り)の名で知られる、伊勢神宮(三重県伊勢市にある、全ての神社の上に位置するとされる神社で、「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮」である)を擁する地域として発展した。令制国(律令制に基づいて設置された日本の地方行政区分)では、伊勢国・志摩国・伊賀国の全域と、紀伊国(当初は熊野国)の一部、計4国より構成される。包括する旧律令国の数は、5国を包括している兵庫県に次ぐものである。人口は22番目、面積は25番目、人口密度は23番目である。経済力については、名古屋圏の一部である北勢地域を抱えることから上位の県であり、1人当たりの国内総生産(GDP)の県民経済計算は、5位から15位の間の高水準で推移している。三重県内で最大の人口を有する市町村は、三重県北部(北勢)にある四日市市の約31万名で、国から特例市(一定の規模・能力を有する地方自治体が処理することが可能であり、かつ、処理することが適当な事務権限が一括して委譲される、人口20万以上の都市)に指定されている。一方、県庁所在地である津市の人口は約16万名であり、2005(平成17)年から2006(平成18)年までの短期間は、県庁所在地の中では最も人口が少なかった。2005(平成17)年から2006(平成18)年にかけてピークを迎えた、全国の市町村が約3,300から約1,700に半減した平成の大合併後、津市の人口は、約28万名となっている。三重県は、東紀州を中心に過疎地域がある他、津市や松阪市の一部も過疎地域に指定されている。総人口は約180万名であり、熊本県、鹿児島県、岡山県等と同規模であるが、三重県は、これらの県と比較して人口が突出した都市は存在せず、中規模の複数の都市に人口が分散している。三重県の北中部は中京工業地帯であり、主要企業が多い。四日市市では、自動販売機が年間で約12万台生産されており、自動販売機の生産量が全国で最も多い。また、石油化学コンビナートの四日市コンビナートは、四大公害病の1つである四日市ぜんそくの原因となり問題になったが、現在は、法整備や汚染防止技術向上等の対策が格段に進み、工業地帯周辺の大気状態は良好になっている。亀山市には、ローソクの国内シェアが約5割を占める、ローソク専門メーカーのカメヤマローソク(本社は大阪市に移転)や、三重県のハイテク企業誘致策により建設されたもので、2004(平成16)年から2012(平成24)年にかけて展開されていた、「世界の亀山」ブランドの液晶テレビの生産で知られる、大手電機メーカー、シャープの亀山工場がある。なお、三重県は、ローソクの生産量と鍵の生産量が全国一である。伊勢神宮や、いわゆる伊賀忍者の里として名高い伊賀上野、三重県伊勢市二見町に所在し、2つの岩が夫婦が寄添うように見えることから名付けられる夫婦岩があることで有名な二見浦、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(自然遺産)に登録された熊野古道(熊野三山と呼ばれる。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社へと通じる参詣道の総称)等の観光地や、三重県桑名市長島町にある総合レジャー施設『ナガシマリゾート』、三重県志摩市磯部町にある複合リゾート施設『志摩スペイン村』、三重県鈴鹿市にある国際レーシングコースを中心としたレジャー施設『鈴鹿サーキット』等のテーマパークがある。特に、伊勢・志摩地区は観光地としても名高く、地理的に、三重県は近畿圏と中京圏の中間に位置しているため、両地域からの観光客が多い。一般的には、東海地方に含まれることが多く、国土整備行政上は、福井県、滋賀県と同様、近畿圏、中部圏のいずれにも含まれている。また、伊賀市と名張市の属する伊賀地域を近畿地方(大阪圏)、伊賀地域以外(北勢・中勢・南勢・伊勢志摩・紀北地域)を東海地方(名古屋圏)とする区分もある。全国八地方区分で、公式に複数の地方に跨っている都道府県は、この三重県(近畿地方と中部地方[東海地方を含む]場合毎に、それぞれにおいて扱われる)と山梨県(関東地方と中部地方)の2県のみである。三重県は南北に長く、長い海岸線を持ち、山岳地帯や盆地等、多彩な地形を持つため、各地域によって気候がさまざまである。東紀州(南部)は、潮岬からの台風の直撃を受けることが多く、「台風銀座」と呼ばれている。伊勢湾沿岸から熊野灘沿岸が太平洋側気候(伊勢湾沿岸は東海型に、熊野灘沿岸は南海型に属する)で、伊賀は内陸性気候(瀬戸内海式気候に含める場合もある)である。1872年1月2日(明治4年11月22日)の第1次府県統合により、安濃津県(桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県・津県)と度会県(久居県・鳥羽県・度会県)に統合される。安濃津県は、県庁を安濃郡津大門町(現在の津市大門町)、度会県は、県庁を度会郡山田岩淵町箕曲(現在の伊勢市岩渕)に置いた。1872年3月17日(明治5年4月24日)に安濃津県は、倒幕の論功行賞に不満を持つ旧伊勢国津藩藩士らの住む県南端の安濃津から、県中央の三重郡四日市(現在の四日市市北町)の四日市陣屋に県庁を移設し、郡名を取って三重県へ改称する。1876(明治9)年4月18日の第2次府県統合により、三重県と度会県が合併して、現在の三重県となった。三重県という名称の由来は、記紀(奈良時代に編纂された日本の神話や古代の歴史を伝えている重要な歴史書、日本最古の歴史書『古事記』と、日本に伝存する最古の正史『日本書紀』との総称)等に伝わる古代日本の皇族で、日本古代史上の伝説的英雄であり、第12代天皇、景行天皇皇子で、第14代天皇、仲哀天皇の父に当たるヤマトタケル(「日本武尊」)が、東方の蛮族の討伐を目的とした東方遠征を終えて、尾津前(尾津浜、現在の桑名市に所在)から能褒野(現在の亀山市に所在)へ向かう途中の三重郡(現在の四日市市に所在)で、『古事記』に「『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』とのりたまいき。故、其地を號けて三重と謂ふ」とあることが、由来とされている。1889(明治22)年までに建設された東海道本線は、本来の東海道が通る三重県内を経由しなかった。県内の交通としては、現在、東海旅客鉄道(JR東海)と西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する関西本線・草津線・片町線・紀勢本線・桜井線・和歌山線・奈良線・大阪環状線の前身となる私鉄、関西鉄道が、東海道に沿う区間に今日の草津線や関西本線等を敷設し、東海道本線と激しい旅客獲得競争を繰広げたこともあったが、国有化後は一地方幹線と扱われ、国土の動脈として扱われることはなかった。その他の地域には、殆どが関西資本の大阪電気軌道・参宮急行電鉄グループによって買収された。大阪電気軌道・参宮急行電鉄グループは、関西急行鉄道を経て1944(昭和19)年以降には、近畿日本鉄道(近鉄)となっている。近畿日本鉄道(近鉄)が特急運転の頻度が高いのに対し、JRグループは他県に比べてその頻度が低く、本数の多い特急として、一時は全国に普及した「エル特急」も、JR特急の走らない沖縄県と奈良県を除くと、三重県だけが今日まで、一度も設定されたことがない。一方で、東海旅客鉄道(JR東海)は、近畿日本鉄道(近鉄)線に対抗すべく快速「みえ」を運行する等、改善も進めている。高速道路は、東名阪自動車道・伊勢自動車道・紀勢自動車道がある他、新名神高速道路が亀山ジャンクション(JCT)から西側と、四日市JCTから新四日市JCTを経て東海環状自動車道東員インターチェンジ(IC)が供用されている。また、東名阪自動車道と奈良県の西名阪自動車道を結ぶ高速道路(高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路)、名阪国道がある。名阪国道は、通行料金が無料の自動車専用道路で、名神高速道路・新名神高速道路と並んで、中京圏と近畿圏とを結ぶ幹線道路となっている。路線バスとしては、近鉄グループの三重交通グループが、一部を除き県内全域をカバーする。三重交通グループが運行する高速バスによって、県内各地と横浜・東京・大宮、北勢地域・伊賀地域・東紀州地域と名古屋、伊賀・北勢地域と大阪・京都、そして、北勢地域と中部国際空港が結ばれている。